2025年2月28日金曜日

なんと1万人の悪の巣窟が

特殊詐欺グループといえばこれまで、フィリピンやベトナムの日本人グループをイメージするが、ミャンマーで1万人を超える巨大な詐欺グループが摘発されたという。この中の日本人が複数人救助されたが、逃亡している者が何人かいるらしい。

タイとミャンマーの国境になっている歩いて渡れる程度の川を境に、ミャンマーに入ったすぐそこに新しい建物が多数建設された場所が詐欺グループの拠点だという。

ここが悪の巣窟 一つの都市という規模
川の手前側がタイ

この建物群の建設資金の出どころは何処かは不明

監禁されて強制労働させられた被害者
幹部クラスは中国人だという。強制労働させられた人は世界各国にまたがるようだ。
高校生の日本人2人が救助された。余り日本人がいなかったのが救いである。しかし、全容が不明なので、これから色々と判明していくことだろう。
タイ政府高官は19日、現地で詐欺への加担を強要されている外国人が、25か国・地域の約1万人に上るとの見方を明らかにした。
しばらく成り行きを注視したい。

なにせ無政府状態の無法地帯の悪の巣窟なのだ。オレオレ詐欺は世界各国に広まったのだろうか。

2025年2月27日木曜日

92歳の歌手

80歳になって現役を引退した歌手の二葉百合子が、去年92歳で再びマイクの前に立った。驚く事に立ち居振る舞いや歌声に全く衰えというものは感じられなかった。

80歳引退時と容姿も声も殆ど変わっていなかった

おはこの「岸壁の母」を歌った。つやとはりは現役時代とそん色がなかった。
インタビューで引退理由について答えていたが、秘書役だったご主人に80になったから引退しようと思うと話したら、そうだねと頷かれたのだという。

この歌を聞くと、十数年前に亡くなった母がいつもこの歌を口ずさんでいたことを思い出す。聞くところによると、ケアセンターでもこの歌を得意げに歌っていたという。

詩吟の入る「あゝ七尾城」も中々すばらしい

岸壁の母のほかに「あゝ七尾城」という歌がある。詩吟が入った歌が素晴らしい。
時々姿を見せて欲しいものである。

2025年2月26日水曜日

いつか消えてしまった風景

随分昔の話だが、、まだ駅の切符販売が人の手で行われていた時代の写真を見つけた。小さな開口部に顔を下げて駅員に○○までと行先を告げると、切符を並べた版にある切符をサッと取り出して窓口に置いた。そんな情景が写されている。

実に手際が良い
切符の位置は全て頭の中にあるのだろう。考えることなく自然にある場所へ手が動くという感じである。
現在はどうなったか。人がいなくなってしまったのだ。全部自分でやれということになっている。

現在の切符売り場
この積雪時季だが、駅構内に人影はない。金沢駅高架化になる前は駅員が構内線路の除雪をしていたものだが、もう人影はない。だからすぐ運休となっている。

こんな比較をすると前時代的な人間になっていることに気づく。

2025年2月25日火曜日

県内にベトナム、中国の労働者が増えた

家の近くのイオンで外国人の団体が時々買い物をしているのに出くわすことがある。
ニュースで外国人の住民数が初の2万人超えたと報じた。
人手不足背景に労働者が増加したという。

 
県内で暮らす外国人の住民の数は、技能実習生が増えていることなどから初めて2万人を超え、過去最多を更新したらしい。
県内で暮らす外国人の住民の数は、去年12月末の時点で2万510人と前の年より1684人増えて、初めて2万人を超え、3年連続で過去最多を更新した。

人手不足を背景に、技能実習生や特定技能の在留資格を持つ外国人労働者が増えていることなどが背景にある。金沢、小松、白山市に多いという。
一方で、能登の輪島市、珠洲市、能登町、七尾市の4つの市と町では、前の年より減っていて、能登半島地震や豪雨の影響で働く場所が減少したことが影響しているとみられる。

国内の新卒者がどんどん減少しているため、海外からの就労者を増やさざるを得ない状況はこれから先も続きそうだ。

2025年2月24日月曜日

宇出津から蛸島をめざした建設工事で38豪雪に遭遇

 今朝も薄く雪化粧の世界が広がった。大雪警報も最終日となったが現在は青空が広がり太陽が輝いている。こんな景色を見ると、能登線宇出津、蛸島間の軌道敷設工事に従事していた時で、38豪雪のため毎日ストーブの前で暖を取っていた頃を思い出す。

宇出津駅構内で
38豪雪で能登線も10日ほど不通だった

能登地区でも宇出津は大雪にならないのが普通なのだが、38豪雪時は宇出津も豪雪だった。
線路分区の雪下ろしが見える

当時のモノクロ写真をカラー化してみた。まずまずの出来栄えになった。

新町通りもご覧の通り
この頃、基本給は1万円ちょっと。中学を卒業したばかりの漁師は4カ月で50万円稼いでいた。宇出津のキャバレーでは漁師が札束を撒き大賑わいしていた。吾々仲間は隅の方で小さくなっていた。そんな時代だったなぁ。

2025年2月23日日曜日

漓江下りと日本ライン下り

中国桂林の郊外に漓江下りの乗り場がある。もう30年程経過したが、3組の夫婦6人で漓江下りを楽しんだ。観光船はほぼ同時に2隻が出発した。昼食を船中で摂ったのだが、船尾の厨房の写真を見たら気持ちが悪くなった。何せ不衛生だった。そんな写真を見て、二度と船中で飯は食わんぞと思った。

景観は素晴らしかった
日本国内にも川下りはあるが、やはり日本ライン下りが代表格だろう。
その日本ライン下りをほぼ同じころ体験した。

その日は増水がまだ収まっていなかった
木曽川の観光船だが、吾々が乗船した船は相当大型だった。かなり急流でところどころの岩を避けながら下った。数年前だったか、京都で観光船が岩にぶつかって乗客が死亡する事故が発生した。だが、船頭の腕を信じて乗るよりどうしようもない。

漓江の観光船は自力で出発点に戻るが、日本ライン下りの船は陸送している。そんな経費が含まれるので日本ライン下りは高いと感じる。ま、しょうないか。

2025年2月22日土曜日

5か月前に行った酸ヶ湯が5m超えの積雪

中能登宝達付近が大雪だという。金沢は2,3cm程度で今日は除雪作業が大いに助かる。去年旅行した青森の酸ヶ湯温泉では5m超えというニュースもあった。そこには9月に行ったのだが、積雪が5m超えなんて想像もできなかった。

あの広い駐車場が豪雪 5m超え!

9月の酸ヶ湯は快適だった。

酸ヶ湯の千人風呂は男女混浴

温泉玄関口
自分の居住地域では、海岸沿いの内灘よりも積雪が少ない。数百メートル山手に行けば、そこはもうここよりも10cm前後は多い。
ここの前は鳴和奥の団地だったが、そこでは坂道が上れず県道沿いに置き捨てにしたこともあった。やがて3月。春はすぐそこまで来ているよ。




2025年2月21日金曜日

つい昨日のように思う16年前の出来事

平成19年5月、金沢港に世界一周している外国船が寄港した。船の名はドウルス号といい、船内に様々な本が販売されていた。その船を見に二人の孫を連れて港に行った。

大勢の人が船を見に来た

船内に沢山の本が販売されていた

5歳と2歳の孫を連れて行った

16年前になる出来事だが、今は上の孫が院1の22歳、下が大2の19歳になった。
上の孫は現在名古屋で就活、下は京都で大2で現在自動車学校に行っているとか。
べったりくっついていた孫だが、遠い所に行ってしまったので時々どうしてるかなぁと思う。

2025年2月20日木曜日

今日も明日も明後日も雪かきだ

今日の早朝までの積雪は大したことはなかったが、6時過ぎあたりから先ほどまで強い降雪があった。玄関から家の前や歩道を折角きれいにしたと思ったら元の木阿弥に。

しかし今回の予報では、明日以降3連休にかけて大雪のおそれとなっている。 
県内の大雪のピークはいったん過ぎたが、20日以降も雪は続く見込みだという。21日の金曜日以降、3連休にかけて平野部も含めて大雪になるおそれがあり、予定の見直しなど、雪への備えを進めた方がいいと。

今日も雪は断続的に降り、20日午後6時までの24時間に降る雪の量は、多いところで加賀地方の平野部で15センチ、山沿いで40センチ、能登地方の平野部、山沿いともに10センチと予想されている。金曜日には再び強い寒気が流れこむため、3連休にかけて雪が続き、平野部も含めて大雪になるおそれがあるという。

先ほどまで福久南交差点からわが家の前まで約300m間が渋滞していたが、ようやくのろのろと走り出したようだ。8号線が通行止めにならないよう強く祈らなければならない。

2025年2月19日水曜日

たったこれだけ?e taxの還付金 申告せんでも良かったと

4日前に送信したと思っていたが、昨日、送信確認したところ、まだ終了していなかった。そのため、初めからやり直ししたのだが、そんなに手間暇はかからなくて送信を終えることができた。一昨年は実家売却による収入(2百万円)があったので、確定申告し納税した。

今朝の積雪は3cm前後
そして去年は眼の手術で医療費が30万円前後かかったので、申告して還付金をもらう算段だった。ところが、昨日の結果では還付金が4千円弱だった。なんか骨折り損のくたびれ儲けという気持ちになった。なぜなのか不思議に思う。4千円前後だったら神経を使って、確定申告の作業の必要性がないのではないかとも思う。来年はやめようかと思うと女房殿に言うと、それくらいは頭の体操になるからやれば・・・という。

それにしても、降積雪注意報がでていたが、今朝は3cm前後と少なかったので安堵した。だが、今回の寒波は2,3日続くようなので気が抜けない。もうこれ以上積もりませんようにと祈るしかあるまい。

2025年2月18日火曜日

今までこんな発想はなかった「3Dプリンターで排水溝の製造」

道路や排水溝はすぐ目の前にある。それだけに、地震で破壊されるとその復旧には膨大な手間と暇がかかるのは当たり前である。
が、それがそうとも言えなくなった。3Dプリンターを活用して、排水設備をあっという間に製造できるのである。元土木屋として、その便利さは十分理解できる。
今朝の新聞にこんな記事が踊った。

「能登半島地震の被災地で3Dプリンターを活用した工事 輪島市」
能登半島地震のあとの復旧工事の増加により、被災地で行われる工事の長期化が課題となっている。こうしたなか、国土交通省は建設用3Dプリンターの活用を始め、短期間で制作した道路設備を17日、石川県輪島市の工事現場に設置した。
輪島市山ノ上町で行われている国道の建設現場に設置されたのは高さ80センチ、幅50センチ、長さ1.4メートルの排水設備である。

あれよあれよという間に溜枡が完成した
被災地で行われる工事の長期化や人手不足が課題となるなか、1月末、国土交通省が建設用3Dプリンターでモルタルを重ね、制作した。
制作された設備は排水路が折れ曲がる部分だが、3Dプリンターを使うことで水が流れやすい曲線の形に造形することができ、土砂が詰まり道路に水があふれるリスクが軽減できた。

コストは通常の倍というが、人不足に威力が発揮される
国土交通省によると、3Dプリンターを活用することにより今回の排水設備に関しては工期が1週間から5時間へと大幅に短縮し、強度は従来の2倍以上の圧力に耐えられるようになったという。
ただ3Dプリンターに使うモルタルは高価なため、通常の2倍ほどの費用がかかったということでコスト面が課題となってる。
国土交通省・輪島国道出張所の室隆司所長は「工期短縮や被災地での活用に効果的であることがわかったので、復旧復興に関する工事に今後、活用していきたい」と話していた。

排水設備は先ず測量し、設計製図、現地測量、型枠組立、コンクリート打設、型枠ばらし、埋め戻しという工程を踏まなければなれないが、この場合、測量しながら位置を決めて設置するという単純な工程で完成する。これからどんどんこの方式を採用する現場が増えるだろう。

2025年2月17日月曜日

どでかいアンコウ

こんなどでかいアンコウは見たことはない。
新聞記事の写真を見たが、とてもでかいのに驚いた。
タイトルは「見事 あんこうつるし切り 珠洲・道の駅すずなり 実演、鍋振る舞い」

先ずごらんあれ!


  つるされた巨大なあんこうを器用にさばく室谷千代和さん=珠洲市野々江町で
開けた口は人の顔よりでかい。
珠洲市中心部の道の駅すずなりで16日、冬の恒例行事「あんこうのつるし切りショー」があった。能登半島地震により2年ぶりのお披露目となった職人芸に、訪れた人は見入っていた。同所で毎年1月に開いていた「珠洲あんこう祭り」は昨年、元日の地震により中止となった。今年はボランティアなど支援者らに感謝を伝えたいと「道の駅すずなり感謝祭」として開催。規模は縮小したものの、祭りの目玉だったつるし切りの実演やあんこう鍋の振る舞いを実施した。
つるし切りには、地元でとれた重さ17キロの巨大なあんこうを使用。同市蛸島町で民宿を営む室谷千代和さん(60)が「心臓はこんなに小さい」「喉の中にも歯がある」などと解説しながら、慣れた手つきで見事にさばいた。

このどでかいあんこうは何人前の料理ができるのだろう。室谷さんはこれまでに何匹のあんこうを捌かれたのだろう。恐らく「その数知れず」というところだろう。

お見事でした!

2025年2月16日日曜日

好天が続いてお陰様で雪が溶けてなくなった

今朝も晴天。何だか心も晴れる。家の前の玄関付近に溜まっていた雪がすっかり消えてなくなった。一昨日になるが、名古屋にいる孫が帰省した。目的は厄払いで、数え25の厄年になったという。神社は2kmほど海側にある須岐神社。もうそんな年になったのかと。現在は大学院で情報に関する勉強中の身だが、二年生になる前から就活しているようだ。就職先が決定したら何をするのだろうといらん心配をしている。

開港間近の能登空港で

平成16年5月、孫を連れて間もなく開港という空港へ見学に行った。あれから20年、時の巡る速さに驚く。この頃はやがて二回目の退職となる2,3年前だった。

今日は小松市で開催されるイベントに親子で出かけた。名古屋には明日帰るという。
希望する就職先が決まって欲しいと願うばかりである。

2025年2月14日金曜日

去年のe taxと全然違うではないか

確か去年は今年より1週間ほど前にe taxの作業を終えて申告終了となった筈だが、それより1週間遅くe taxを開始したばかりである。始めてみて去年とは全く違うe taxなのには驚いた。そんなこととはつゆ知らず、始めてみたら紙の資料は全く不要になっていた。

医療費の領収書をきちんと整理して入力しようとしたら、全く骨折り損した。名前と医療費と入力したらデータが出来上がった。これには驚きだった。凄い進歩だ!

 
マイナンバーカードの暗証番号はいつも使用している文字を入力したが、ロックされているので市町村に届け出なさいと指示され、森本支所に出向いて処理してもらった。なんのことない、暗証番号を再設定する届け出だった。マイナンバーカードを交付してもらった際の番号がいつもの番号でなかったことに気づいた。道理でうまく進まなかった理由がわかった。

午後から歯医者の予約があるので、それが終わってから再挑戦しなければならない。

2025年2月13日木曜日

60年前の記憶

60年前といえば昭和40年、齢22歳、中央本線恵那~中津川間複線化工事に従事していた頃である。毎日々々、繁忙の日々に埋もれていた。

恵那山の麓 数キロ先が長野県境に近い中津川市

中央西線名古屋・塩尻間がハチの巣をつついたように複線化工事が行われていた時代である。業務量が急増し、昭和40年から3年間は国鉄の複線化工事が急増し、新規採用が毎年複数回行われた。

そんな多忙にもかかわらず、事務所関係者一同の旅行会が開催された。行先は浅間温泉、霧ヶ峰高原、黒四ダムだった。

この写真は黒四ダムが完成してまだ間もない頃、ダムの裏側に行くことができた頃であった。その頃と言えば、今時と違ってどこへ行く時でも背広を着た時代だった。

徹夜の仕事も多々あった。60年前の写真を見て色々な出来事が思い出された。

2025年2月12日水曜日

中学の同窓生が「あえのこと保存会長」

中学の同窓生があえのことの儀礼で今年も新聞に掲載された。金沢で定年まで働いていた人だが、退職して間もなく国重の実家に帰られ、親の後を継がれた。そしてそれ以降、その彼は12月5日と2月9日のあえのことの神事には必ずその模様がTVや新聞に紹介されていた。

能登町国重 吉村家の田の神様
吉村さん「今年で最後」 能登町国重の保存会長
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている農耕儀礼「あえのこと」が9日、奥能登各地で営まれ、能登半島地震や奥能登豪雨で傷んだ農地の復旧や農業復興を願う住民は、田の神様に小豆飯やメギスの団子汁など山海の幸を振る舞った後、田んぼへ田の神様を送り出した。

集落合同で儀礼を営む能登町国重(くにしげ)では、国重田の神様保存会長で、あえのこと継承で県の「ふるさとの匠(たくみ)」に認定という重責を果たされた吉村安弘さん、長年、ご苦労様でした。

2025年2月11日火曜日

町内にあったドラッグストア跡地の今と昔

現在地に引っ越ししたのは平成9年だった。それから27年が経過したのに伴い、街並みがかなり変化した。わが家の近辺でも、クリーニング店や不動産店、家の裏側にあった工場と民家が無くなり、新しく民家が立ち並んだ。

最も不便に感じるのが、ドラッグストアーが移転してしまったことである。家から数分歩けば行けたシメノドラッグストアである。

移転直前のドラッグストア(平成21年)

その跡地には高齢者向け施設ができた。

介護施設ではないが、介護施設に通う住人が多数入居

町内で一人暮らししていた高齢者が多数入居されている。その人たちが亡くなられると住んでいた家は取り壊され、1区画2棟の家が新築され若い人たちが入居されている。
かくして、町内在住の住民が増えるとともに平均年齢が若返っている。
田園地帯に団地が開発され住み始めたのが昭和37年と聞く。63年経過したため、どんどん入れ替わった。自分の年齢からしてそのうち家主交代となるだろう。こればかりは何とも仕様がない。

2025年2月10日月曜日

備蓄米放出で令和の米騒動収まるか

コメ価格が異常高騰している。これまで例のなかったコメの便乗値上げである。ここにきてようやく政府も重い腰を上げざるを得なくなった。

歴史的高騰のコメ、今秋には一転「コメ余り」か 「備蓄米の放出」は生産者にも変化をもたらす 

というタイトルの記事が踊った。店頭からコメが消えた「令和の米騒動」。異常事態は今なお続く。「秋に新米が出回れば落ち着く」という農林水産省の見立てとは裏腹に、コメ価格は大幅に値上がりしてきた。年が替わって1月下旬。農水省は備蓄米の放出に踏み切ることにした。1月の東京23区消費者物価指数で米類は、1年前の1.7倍になった。全国指数とともに2024年10月以来、統計上最大の上昇率を更新している。



需給逼迫対策の1つは備蓄米の放出だ。今年放出する分、翌年コメを買い戻す条件が付いており、2025年産の需要が増えることになる。需要増に対応して生産が増えると見込まれる。これは自然の成り行きである。もう1つは、品薄が起こりやすい端境期に、収穫を控えたコメを他用途からご飯向けに振り向けられるようにすることだ。

コメ全体でみれば需要増への対応余地はある。用途変更の柔軟化で、再び「米騒動」に見舞われるリスクは低下する。

米で一儲けしようとする悪徳商人は排除しなければならない。

2025年2月9日日曜日

今朝は5日ぶりに積雪ゼロ

今朝のニュースでは四国や九州にも積雪したという。にもかかわらず、金沢ではめずらしく昨夜からの積雪はなかった。天気予報では雪マークだった。名古屋や横浜の知人は毎日の予報で金沢は雪となっているため、相当積雪しているというイメージが強い。電話でどうですか・・と聞かれるが、そんなに積もっていないというと、エエッと驚かれる。

昨日夕方の状態のまま朝を迎えた

側溝蓋が見えるが手前にも1か所蓋がある
昨日、この2つの溝に雪捨てしたので今日は満杯のまま

今日は溝から向こう側の歩道部の除雪すればすっきりするだろう。
こんな状態なので今日はたいした運動にならないが、歩道部の除雪をすることにしよう。


2025年2月8日土曜日

今日も4日連続の雪かきが待っている

4日前から毎朝雪かきしているが、今朝もこれからやらなければならない。
しかし、毎朝の積雪量は十数センチとドカ雪でないのが大いに助かっている。
今朝の除雪はまだ手付かずだが、午前中には済ませるつもり。

今朝の雪景色 新雪は今日も昨日と同じ十数センチ前後

除雪がしてない部分の歩道にはかなりの積雪がある。

昨日の除雪状況

昨日で3日連続の雪かき。今朝はこれからだが、積雪量は大したことはない。毎日の除雪だが、お陰様で体の痛みは全くないのが嬉しい。
しかし、今日で4日連続の雪かきだが、もうこれっきりになって欲しいものだ。
2か所の溝蓋はもう満杯だから隅に積み上げるしかない。ま、しょうないか。

2025年2月7日金曜日

奥能登各地にドローンの駅を設置予定

こんなのができたら最高!と思われる頼もしくて素晴らしいプランが記事にあった。
ドローンの空の駅を奥能登に張り巡らせるという。
そんな記事を見て「血沸き肉躍る」思いをした。
タイトルは「奥能登「空の駅」ドローンで結ぶ 珠洲拠点に新法人設立」とあった。
面白い計画である。
記事を見てみよう!

奥能登各地に「空の駅」を設け、ドローンによる物流や観光事業に取り組む法人が6日までに、珠洲市に設立された。将来的な目標として大型ドローンに人を乗せる「空飛ぶ車」のネットワーク構築も掲げる。道路網が寸断された能登半島地震も教訓に、無人機で被災地の状況把握ができる態勢を整え、「能登モデル」として全国に発信する。

能登半島地震後に山間部の事業所へ物資を空輸するドローン。
奥能登での活用計画が進む=昨年6月、珠洲市内
設立されたのは一般社団法人「スカイ モビリティ ジャパン」。ドローン活用に取り組む珠洲市の会社役員、浦達也さんが代表に就いた。市内の若者や岡山県内を拠点とするドローン事業関係者が協力する。

 浦さんらはまず「空の駅」となる20メートル四方の離着陸場を探す。年内には小型ドローンを使った物流、観光事業に着手したい考え。第2段階としてドローンを大型化しての定期物流や、100キロを超える重量を運ぶ実証実験を行い、全国からの視察などにつなげる。「空飛ぶ車」の遊覧飛行は長期的な目標と位置付けている。

 能登半島地震や奥能登豪雨では、各地で道路が寸断して集落孤立が頻発した。浦さんはドローンの活用で地域の防災力向上や買い物支援を進めたいとし、「事業の課題を見つけ、解決していきながら、半島の先端から奥能登『空の駅』ネットワークを構築したい」と意欲を語った。

何と夢のあるプロジェクトではないか。
空の駅の場所が早く見つかって欲しいと強く願わずにはいられない。

2025年2月6日木曜日

望遠鏡の復旧はまだだが、学芸員が積極的に情報発信中

柳田植物園に隣接している「満点星」が地震で大型望遠鏡の台座などが破損したという。まだ復旧の目途は立っていないというのだが、そこの宇佐美学芸員が星に関わる情報を積極的に発信しているという記事があった。

能登町上空能登町上空を流れるしぶんぎ座流星群

能登町が運営し、能登半島地震では大型天体望遠鏡などに大きな被害があった「柳田星の観察館『満天星』」の学芸員宇佐美拓也さん(38)が、館公式のX(旧ツイッター)で能登の星空の美しさを積極的に発信している。地震後、交流サイト(SNS)には被災地の厳しい状況を伝える情報であふれたこともあり、「能登の魅力も伝え、現地で実際の星空を見てほしい」との思いを強めている。

破損した大型天体望遠鏡と宇佐美拓也さん=能登町の満天星で

昨年元日の地震では、県内の最大4万戸が停電した。夜、街灯や家々の明かりが消えて暗闇が街を包むと、地上の惨事とは裏腹に、夜空にはより輝きを増した星々が広がった。「停電で暗くなり、いつもよりきれいな星空を見た」。
そんな夜空の美しさを発信しているという。

もう館内に入場できるようになっているというが、肝心の大型望遠鏡の土台がまだ復旧していないのだという。宇佐美学芸員は満点星への関心が薄れないよう頑張っておられるようだ。そのうち暇を見つけて行きま~す。

2025年2月5日水曜日

5年に1度の大雪警報

今冬一番の冷え込みと積雪は、5年に1度の確率だという。北陸地方は明日まで大雪が続くとしている。5年に1度とは大げさに聞こえる。昨日は11cmと伝えていた雪だが、1時間くらいかけて全ての雪を2か所の蓋を開けてそこに投げ込んだ。今朝も積もったが昨日ほどではないようなので安心した。

今朝の状況 意外と積雪は少なかった!

運動不足解消にはなった雪かきだが、お陰様で体の痛みは皆無。
今朝の新聞に掲載された積雪状況の写真では、わが家周辺より雪が深いようだ。
 
小立野周辺の積雪状況

今日も運動のつもりで雪かきをしよう。

2025年2月4日火曜日

地震と水害で過疎化が加速した北河内集落

子供の頃、親戚がある旧柳田村北河内のまつりに行ったことがあった。その集落は過疎化が著しく、地震で一層の過疎化が進んでいるという。
能登半島地震で一時、孤立した集落では、町の外に避難していた人が戻る動きがあるものの、「過疎化がいっそう進んでもしかたがない」という諦めの声も聞かれたという。

能登町の山あいの北河内地区は、能登半島地震によって集落につながる道路が土砂崩れなどで寸断され、一時、孤立した。
区長によると、地震の前には15世帯、27人が住んでいたということだが、このうち6人が町の外に避難したという。
その後、道路の復旧が進み、4月下旬には水道も使えるようになったことから、避難していた住民が戻り始めていて、7日は1人暮らしの西谷進さん(71)が4か月ぶりに自宅に戻った。

北河内に住む西谷進さん

西谷さんは地震あと地元の病院で持病の治療ができなかったため金沢のホテルに避難していたが、自宅に大きな被害がなく病院での治療も再開できることになったことから戻ることを決断した。
一方で、西谷さんは、深刻な過疎化に直面している北河内地区が地震をきっかけにさらに人口が減り、ふるさとがなくなるのではという寂しさを感じているということで、「自宅に戻って落ち着きますが、住民どうしで協力して生活することができなくなるという不安があります」と話していた。

北河内集落
北河内地区は65歳以上の住民が8割を超えるいわゆる「限界集落」で、池田光正区長はこのまま地区を離れて高齢者施設や都市部に移り住む住民が出てくる可能性があるとして、過疎化がいっそう進むことを懸念していた。
池田区長は「1人暮らしの高齢者も多いので、人口減少はしかたがないと思っています。残った住民で協力しながらなんとか集落を存続させていきます」と話していた。

高齢者が住んでいた住宅が壊れて住めなくなった人は、そこに再築して住むか、あるいは子供のいる場所で家を建てるか思案中だろううと思われるが結論は中々難しいと推察される。

2025年2月3日月曜日

中村勲さんのご冥福をお祈りします

県議会議員中村勲さんが1日医科大病院で亡くなられたという。
そんな一報を昨夜のネットで知りました。
県議7期目で、議長や副議長を務めた中村勲氏が1日午後9時33分、多臓器不全のため内灘町の金沢医科大病院で死去された。83歳でした。

中村勲さんは町会の盆踊り大会には欠かさず出席され、町民と交流を続けられてきました。

平成30年8月町会盆踊り大会で挨拶された

誰とでも和やかな雰囲気で接しられ、終始偉そうな態度はなく、親身になって話を聞いていただきました。
中村さんは中学を卒業されてから、北鉄に就職され組合関係で活躍された後、市会議員から県会議員になられ、県会では議長の要職も踏まれました。
当町会の荒屋会館完成式典にはお祝いの言葉を述べられました。

本当に色々とお世話になりありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

2025年2月2日日曜日

40年前に設計した構造物

 昨日もこの時期には珍しく晴れていたので外に出かけた。いつも歩いているルートではなく金市団地を通り抜け百坂地内を通った。百坂の国道を出る前に踏切を横断するのだが、その付近の北陸線で金沢駅から森本駅の複々線化(貨物通路線を新設)工事に関わった。今から40年前の話。その時に建設した上り貨物通路線なのだが、現在は貨物線は撤去されているが、上り貨物線だった線路が上り旅客線として今も使用されている。

高架橋側の線路が元上り貨物通路線だった
金沢貨物ヤードが完成したのに伴い、東金沢駅が廃止され、海側の貨物ヤード内に駅が移転した。工事を担当した時はまだヤードは新設工事中だった。この写真の先には北陸線の上り線を跨ぐために高架橋が設けられた。

踏切を渡ってすぐ、左側に新しい道路ができたのでそこを歩いたのだが、どうも不思議に思う土地が設けられている。

舗装した土地がいくつも設置されているが
果たして何の目的で?

北陵高校の登り口
北陵高校は地震で建物の足元まで山崩れした。その後はどうなったのか気になるところなので、近いうちにこの坂を上って確かめてみたい。

2025年2月1日土曜日

20年前のできごと

アルバムを見ていて20年前の写真に、そういえばそんなことがあったなぁと注目した。当時柳田村の北河内ダム建設に伴う付け替え道路の開通式だった。ほんの猫の額ほどしかなかった、ダム建設の建設用地内に自分の所有地があったので、開通式出席の案内があった。

式典で挨拶の谷本知事

テープカット

走り初め

付け替え道路遠望

翌年にダム起工式が行われ、この式典にも参加した。昨年9月の能登豪雨の際にはダムがあったおかげで、柳田商店街が洪水から免れることができた。猫の額ほどの土地が有効利用されてうれしく思う。