2024年8月9日金曜日

行く、行かないの決断

昔話になるが、鉄道トンネル工事は基本として請負工事だったが、一部は国鉄直轄施工が行われていた。北陸線親不知トンネルはその範疇だが、昭和36年の秋に青函トンネル直轄部隊として、親不知トンネル直轄部隊(約30人)が青函トンネル竜飛崎工区に転出した。開通する27年も前のことだった。
その3年後の昭和39年(1964)に着工して以来、24年の歳月をかけて昭和63年(1988)に開業した青函トンネルがこの真下を通っているのである。その工事の本州側の基地がここ龍飛におかれ、津軽海峡の海底を目指して掘り進められたのである。青函トンネルの延長53.85km(海底部は23.30km)は鉄道トンネルとして今のところは世界一であるが、2018年頃には現在建設中のスイスの鉄道トンネル(57.091km)にその座を明け渡すことになっているという。

竜飛崎

親不知トンネルは国鉄岐阜工事局の直轄部隊が施工していた。S36に就職してまだ何がどうか五里霧中の頃だった。自分はあることがきっかけで7月に能登線建設事務所となっていた小木工事区に転勤した。直轄部隊として竜飛崎に行きたいと申し出ればそうなっていたかもしれない。昭和39年4月に鉄道建設公団が設立されたが、この要員として執拗に勧誘された。人生の岐路だったが、何とか執拗な勧誘を逃れた。

この勧誘に応じていればまたほかの人生があった。が、行かない決断が良かったとしよう。

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