2021年10月11日月曜日

高校相撲金沢大会の記憶が蘇った

昨日は卯辰山に歓声が響き渡った。鳥取城北が優勝したという。あの白鵬や照ノ富士等を世に送り出した名門校である。その校長が金沢高校相撲部出身だということを知った。そんなニュースに接すると昭和35年5月の大会が開催された兼六園球場で応援した色々なシーンを思い出した。

熱戦に湧く卯辰山相撲場

昭和35年4月からクラスの代表として応援リーダーに任命され、最初の晴れ舞台に立ったのが兼六園球場で行なわれた第44回高校相撲金沢大会であった。土俵は球場の真ん中付近に設置され、各校の応援団は全校生徒が4列だったか(確証はないが)放射線状に並んで座った。だから土俵が小さく見えた。同級生が2人も出場した。応援リーダーは立ち放しで矢継ぎ早に校歌や応援歌を繰り出した。ブラスもいた筈だが歌だけだったかも知れない。

熱き思いで応援は昔も今も変わらない
一般の観客は応援スタンドだった。で、兼六園球場で開催されたのはこの年で最後となり、翌年から新設された卯辰山相撲場で開催されるようになった。それから30年ほど経て娘が高校生になり、送迎のついでに卯辰山相撲場に行って観戦したことがあった。

今は孫が高校生なのだが、第1回から前回大会まで欠場しなかった伝統校も、今年から(今年は?)欠場になったという。そんなことで、やっぱり俺は「年いったんだなぁ」と・・・。

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