診断書料100円を渡し、次の日、何と診断書書いてもろたぞと、それを受け取った。
考えてみればおおらかな時代だったんだなぁと思う。
お陰様で広坂警察署で講習会を受け、第一種原動機付き自転車運転許可証を交付して貰った。
翌年の昭和36年3月に卒業し就職した。勤務箇所は岐阜駅から東海道線に沿った徒歩10分の所にあった。5月から6月にかけ、三島市にあった中央鉄道学園三島文教所に入所、そして岐阜に帰って間もない7月に思いがけない辞令が出た。赴任先は九十九湾ほとりに設置されていた小木工事区だった。
九十九湾蓬莱島 |
単車に乗ってみたいと思ったが、第1種原付許可証では不可だった。単車はメグロ125ccだったのだ。
排気量125ccといえども重量が半端なかった |
恐る々々上司である助役に、運転免許取得の講習会に行きたいので2週間の休みを貰いたいと申し出た。いいよと即答を得て講習会に臨んだ。出勤簿は休みの処理は無かった。
小学校の夏休み期間に教室で講習、グラウンドで実習して学科と実地の試験を受験し合格した。免許は「軽二輪運転免許証」だった。そして晴れてメグロ125ccに跨がった。
このタイプだった |
この同型単車に跨がって宇出津から小木間のまだ軌道が敷設される前に走破した。
宇出津田ノ浦海岸の眺望は最高だった |
10kmの区間だったが、廃線となった今でも走行はできないだろうなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿