2020年4月16日木曜日

2年前の就航110年記念イベント

2,3日前だが、もう2年も経過したあるイベントに関する記事に関心を持った。
その記事は「旧連絡船「摩周丸」の汽笛を鳴らす記念イベント」というものであった。
函館山を背景とした摩周丸
かつて北海道と本州を結んだ国鉄・JRの青函連絡船が就航110年を迎えた2018年3月7日、函館市の函館港に係留されている旧連絡船「摩周丸」の汽笛を鳴らす記念イベントがあったという。
「語りつぐ青函連絡船の会」の主催で、1981年まで摩周丸で船長を務めた山田友二さん(92)が退職以来という制服姿で参加した。
船首
最初の連絡船「比羅夫丸」が1908年3月7日に出港した午前10時にブリッジに立ち「スタンバイ、エンジン」「レッコーショアライン」と叫んで船を進めた思い出を語ったという。
 制服に身を包み、号令を掛ける山田さん(右)=函館市若松町の「函館市青函連絡船記念館摩周丸」で
この写真を見て22年前に函館港に係留されているこの船に乗ったことを思い出した。
そして上の写真と同じ操舵室で記念に写真を写したのであった。
元船長がとった舵を手にしたのだ ほぼ上の写真と同位置から写した
1998年(平成10年)3月、国鉄清算事業団を退職し県の関係機関に転職することが決まっていたので、「(退職記念に)出張を切るから自分の好きな場所へ行って来ていいよ」とありがたい上司の計らいで女房と一緒に北海道を旅することを決めた。

北海道にした理由があった。当時、司馬遼太郎の「菜の花の沖」という小説を読んだこともあって、高田屋嘉兵衛が寒村に過ぎなかった函館に本店を開設し、発展に尽くした功績に感動したので、この目で確かめたかったのである。

名古屋から女満別まで飛行機、網走で砕氷船、次の日は小樽・札幌、翌日は函館周遊、翌日、函館から飛行機で名古屋に到着した。この旅行は自分で航空券や列車、ホテル等を予約したので3泊4日の旅にしては30万円ほどかかった。が、それだけ思い出が多い価値のある旅行だった。

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