今から25年前の平成7年は国鉄清算事業団名古屋支社に勤務し、住まいは岐阜駅から700m位の場所にあったJR東海と看板が塗り替えられた独身寮にいた。この1月17日未明にいきなりグラグラッと揺れて目が覚め、TVのスイッチを入れると阪神淡路大地震の大惨状発生を告げていた。
山陽新幹線が復旧した頃、大阪へ出張した際に現場視察に行ったことがあった。神戸の埋め立て地の新交通システムに乗って1周したのだが、道路の至る所が憤泥現象を起こしており道路復旧はまだまだ時間がかかると感じた。この新交通システムの橋台が80cmもズレたと聞き、復旧したのが不思議に思った。
さて、上の写真だが淡路島北淡町の北淡震災記念公園開設20周年を迎えたという。
実は地震発生3年後に現地を訪れたことがあった。この年4月に県の社団法人石川県建設技術センターに転職し、全国建設技術協会が主催した現場研修に参加したのである。
この年4月に完成したばかりの明石海峡大橋 |
明石大橋の巨大な橋台や大橋の桁の中を見学してから北淡町に向かった。
淡路島のインターを降りて野島断層保存館を目指した。
断層部分を保存するため上屋で覆った |
見学デッキはまだ完成していなかった |
これも後で整備されたものだろう |
この付近に断層上にある民家も見学した。
この民家も保存されている |
翌日、しまなみ海道来島大橋の建設状況を視察した |
東日本大震災から9年、まだ復興途上にあるがそれを知らない世代がやがて10歳になる。25年も経過するとそんなことがあった記憶も薄れるのが心配だ。
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