2024年9月29日日曜日

今日こそ・・と大規模な捜索活動は続く 

昨日も晴れたが、今日も雨は降らない見込みだという。
中学3年生の娘さんは、連日の必死の捜索もむなしく昨日も見つからなかった。ご家族のご心痛はいかばかりかと胸が痛む。今日あたり見つかってくれるといいが・・・


大雨から1週間を迎えた28日、輪島市久手川町では、連絡が取れず安否がわからなくなっている中学3年生、喜三翼音さんの父親の鷹也さんが知人とともにみずからも捜索活動に当たった。鷹也さんは捜索に臨んだ心境について、「家のものは自分でしかわからないので、ちょっとでも手がかりがないかと思い探していました」と話した。
そして、安否がわからなくなってから1週間がたった翼音さんについて「そろそろ見つかってくれるのではないかと思います。必ず会えると信じていますので見つかるまでは諦めません」と話したうえで、「これだけ大勢の方々が一生懸命捜索してくれているので、必ず見つかると思います。皆さんには感謝しかありません」と警察や消防などへの感謝を述べた。

家ごと流される直前だろうか
鷹也さんによると、これまでの捜索活動で翼音さんが外出するときによく履いていたスカートが、川の河口に近い塚田橋の周辺で新たに見つかったという。

早く見つかるように合掌。

2024年9月28日土曜日

小学生下校時の安全誘導

 いつものことだが、月末に忙しい仕事をしなければならない。仕事とは、小学生低学年下校時の交差点交通誘導の当番表の作成である。この仕事を引き受けたのが62歳だったが、それ以降月末になると学校から配布される下校時刻表に基づいて作成する当番表である。

毎週1回の誘導員当番はやがて20年目を迎える。誘導員も二十数名を数えたこともあったが、20年程当番を務めていただいた方々が、高齢のため引退された人も多い。

 
現在はメンバーの中で自分が最高齢者になってしまった。
当初は、メンバーが5,6人の時にそのうちのある人から当番表の作成依頼があった。間もなく町会あげて安全誘導しようと、一時は二十数名の登録者があった。うちの孫たちが入学した時も誘導したが、もう院2年生、大2年生になった。
ま、人の役に立つことなら、目いっぱい任務を果たそう。

2024年9月27日金曜日

竜飛崎、大間崎から見る北海道

今月初頭に旅行した青森の風景で、二つの岬から見た北海道の景観が忘れられない。
数年前に見た宗谷岬から樺太の霞んだ風景も忘れ難いが、青森から函館間を往復していた連絡船から竜飛崎を見た風景が津軽海峡冬景色にも歌われている。残念ながらとうとう連絡船は昭和62年に廃止された。廃止前に一度乗ってみたいと思いつつも、とうとうその機会は失われてしまった。

竜飛崎 下北半島が霞んでいる

津軽海峡冬景色の石碑がドカンと聳えていた


大間崎から北海道は17kmと近い

対馬から韓国の島影がはっきりと見えるという。
さて、ここへ行く機会はあるのだろうか。

2024年9月26日木曜日

唯一無二の力士を目指す・・・と

昨日、協会から二所ノ関部屋へ二人の使いが来て、大の里の大関昇進を伝えたという。
何もかも記録づくめの大の里。実に頼もしい。新入幕からあれよあれよという間に大関になった。これからの横綱挑戦が始まる。これも新記録で横綱になることは間違いなし。


日本相撲協会は25日、東京・両国国技館で大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付編成会議と臨時理事会を開催し、関脇大の里(24)=二所ノ関=の大関昇進を満場一致で決めた。大の里は口上で「唯一無二の力士」を目指すと宣言。父・中村知幸さん(48)の願いを言葉に込め、比類なき存在になることを誓った。

驚異的な速さで歴史を塗り替え続ける“ちょんまげ大関”にふさわしい口上だった。緊張の面持ちで、大の里はハッキリと決意表明した。「大関の地位を汚さぬよう、唯一無二の力士を目指し、相撲道に精進します」。思い描く未来は、誰とも比べられない最強の存在。壮大な目標を掲げた。

先ず、九州場所の大活躍が見もの。同じ県人として実に頼もしい。

2024年9月25日水曜日

半年ぶりのグラウンドゴルフ

 町内のシニアクラブでグラウンドゴルフ部会がある。会員は15人前後で推移している。開催日は毎週水曜日AM9:00からとしている。会場は隣町の八幡公園。今日は晴天、絶好のグラウンドゴルフ日和であった。

3月と5月に白内障の手術をし、なおかつ体調が優れなかったので先週まで休んだ。今日は久しぶりにプレーした。今日は市のシニア層の大会があるということだったので、町内から腕に自信のある数名がそちらに参加したので、町内の例会はいつもより人数が少なかった。

シニアクラブの大会

写真は今日のプレーとは別物であるが、公園内に8ホールを設け、4巡して腕を競っている。4巡で32ホールなのだが、今日は何と2回もホールインワンとなった。これまでの最高は3ホールインワンだったが、もっと真剣にプレーすれば成績アップするだろうが、なかなか簡単ではない。なんやかんや言いながらプレーしているのだが、コミュニケーションに役立っていることは間違いない。それに少しは健康のためになっているだろうから、来週もプレーしたい。

2024年9月24日火曜日

家ごと流され少女不明

中3の娘さんが一人で家にいて洪水に襲われ、2階に避難し父親や同級生に現況写真を送ったが、そのうち通信不能となったという。家は基礎部分だけ残って他は全て流さてしまった。
二階の一室で恐怖に包まれ、とうとう濁流に飲まれたと想像するしかないが、娘さんの心境を思うといたたまれない気持ちで一杯である。一刻も早く発見されることを祈りたい。

むごい爪痕

娘さんが2階窓から写して友人に送った写真

父親のご心痛はいかばかりか

翼音さんは、現場から南に約900メートル離れた塚田川沿いの自宅に両親と中1の弟、1歳の妹の5人暮らしだった。21日は両親ら4人は朝から出かけ、家には翼音さんだけが残っていた。
 大雨が心配になった鷹也さんは午前9時40分すぎ、電話で連絡を取ると、翼音さんは2階の窓のすぐ下まで土砂で埋まった動画を送ってきた。土砂は室内にも入り込んでいたのか、翼音さんは「部屋のドアが開かない」と訴えたという。鷹也さんは「窓から飛び降りても泥にのまれるだけ。『2階におれ』と言うしかなかった」と伏し目がちに話した。

娘さんは本当に怖い思いをしたと思うと、心が痛む。
今日中に娘さんが発見されることを祈ろう。

2024年9月23日月曜日

エエッ、生後3か月の赤ちゃんが化粧まわし?

今朝のニュースを検索していたら、生後3か月の赤ちゃんが化粧まわしをした写真が掲載されていた。赤ちゃんは何と昨日優勝した大の里が生まれて3か月目の写真だという。
そして赤ちゃんはニコニコ顔をしているのである。こんな写真は初めて見た。

化粧まわしが嬉しくてたまらない・・・という顔ではないか

さすが大の里である。その親も「この子が将来相撲で大成功しますように」・・・と願掛けされたのだろう。昨日、2回目の優勝を果たした大の里を24年前に予見されたような化粧まわしである。

優勝祝賀会にはお父さんも

お父さんは元々相撲が大好きで、自分も相撲の選手として各種の大会に出場されていた。
そんなお父さんは、きっと昨日の祝賀会では最高の気分を味わられたことだろう。中村知幸さん、おめでとうございます。

2024年9月22日日曜日

これは酷すぎ地震に豪雨

まだ復興が手つかずの状態にある被災地に昨日から現在も非情の雨が降り続いている。仮設住宅の住民も床上浸水で避難を余儀なくされている。正に踏んだり蹴ったりである。

子供の頃に遊んだ笹川橋付近も

線状降水帯とやらは一点集中豪雨をもたらす。自然現象とはいえ、余りにも非情すぎる雨である。曽々木地内ではトンネル入り口付近の土砂崩壊で家屋が吹っ飛んでしまった。先ほどまで金沢も豪雨だったが、今は収まった。能登地方の雨も収まって欲しいと願わずにはいられない。

さて、大の里だが、
【藤島親方のこの一番】大の里、これだけの内容で大関にあがった例は過去にない あっぱれの一言  と、評価が高い。
大の里(24=二所ノ関部屋)が大関・豊昇龍(25=立浪部屋)を破って13勝目を挙げ2場所ぶり2度目の優勝を決めた。これで大関昇進目安とされる3場所合計33勝を上回る34勝目。初土俵から所要9場所での史上最速大関昇進は確実で、優勝で快挙に花を添えた。新入幕から所要5場所で2度目の優勝を果たすのは、栃木山の7場所を上回る史上最速となった。

来場所から大関だ

凄い英雄が現れたものだ。来年は横綱となって大活躍するだろう。

2024年9月21日土曜日

自分がやったように鼻が高い

昨日の出来事のNo1は「大谷翔平 大リーグ史上初 50HR50盗塁達成 「51-51」に伸ばす」だ。
ドジャースの大谷翔平選手は19日のマーリンズ戦で2つの盗塁を決めたあと、3本のホームランを打って、今シーズンのホームランが51本、盗塁の数は51に伸ばしました。1つのシーズンでホームラン50本、50盗塁以上を達成したのは大リーグで史上初めての快挙です
本当に素晴らしい「男」だ。


大谷選手は試合後、グラウンドで行われたインタビューで「きょう本当に勝ててよかったですし、早く決めたいなと思っていたので一生忘れられない日になるんじゃないかと思う」と話した。
そして、この試合の勝利でチームがプレーオフ進出を決めたことには「チームは変わったけど大リーグに来てずっと夢に見ていた。チームとしてもいい勝ち方ができてすばらしい日になった」と話し、大リーグ7年目で念願のプレーオフに進出したことを喜んだ。

この快挙は世界の子供たちに大きな夢をもたらした。
日本の子供たちにも夢を与え、野球を始める子供たちも大勢いると思う。

こんな子供がいた

前人未踏の記録を書き換えた影響は誠に大きなものがある。同じ日本人として鼻が高いではないか。

2024年9月20日金曜日

昨日の悔しさをバネに今日勝って大関に

9割勝っていた大の里だったが、驚きのバネを持った若隆景に見事やられた。敵ながらあっぱれというところか。三役経験者の実力者相手に2度のもろ差しを許すなど、今場所はあまり見せていなかった脇の甘さを突かれた。「昨日から良くなかった。昨日の落とし穴にハマった感じがする」と物言いがついた11日目(琴勝峰)戦からの流れを反省した。

一方で、連勝中は言葉数が少なかったものの、敗れたことで重圧から解放された。報道陣から「張り詰めていた部分があったのでは?」と問われると、「そうですね。気持ち的にすっきりしたと思う。明日からまた頑張ります」と気持ちを新たにしていたという。

驚異の粘りに根負け

こういう論評もあった。
「敗因はただ1つ、腰がやや高かったことです。腰が普段より高いがゆえに押しや左おっつけの威力が半減。それでも押し込もうとし、さらに腰が伸びてしまった。若隆景は低い姿勢で相手のふところに潜り込むのが上手く、優勝経験もある実力者。腰高を見逃してくれるほど、甘い力士じゃなかったということです。これが並の力士相手だったら、多少腰が上がろうが最初の攻めで勝負が決まっていたでしょう。大の里は11日目も普段より腰が高かった。疲労なのか、それとも大関とりの重圧なのか……」

今日の相手は琴桜。1差で高安が・・・

2024年9月19日木曜日

またもや物言いが

琴勝峰が押し出される直後にやけくそ技で大の里が倒された。これが行事軍配にクレームの「物言い」。

この写真では大の里負けのように見えるが

物言いがつくはずがない決定的写真があった

大の里が、前頭四枚目・琴勝峰を押し出しで下した。大の里の大きな体が宙に浮いて物言いがつき、館内が騒然となる場面もあったが、行事軍配通りの結果で11連勝を飾った。
今場所で12勝を挙げれば、大関昇進の目安とされる直前3場所の合計33勝に数字上は到達する大の里。優勝すれば“ほぼ確実”と言われているだけに、日本人大関の誕生に期待を寄せているファンは多いことだろう。

琴勝峰との取組では、右を差して押し込んだ大の里だったが、土俵際で琴勝峰が突進をかわし、身長192センチ、体重182キロという大の里の大きな体が宙に浮いた。微妙な結末に物言いがついたが、協議の結果、“琴勝峰の右足が先に出ていた”ということで、行司軍配通り大の里が白星を飾った。琴勝峰は5勝6敗となった。

今日はしぶとさと絶妙な技を備えた隆景勝との闘いだが、大の里は必ず県民の期待に応えてくれるだろう。

2024年9月18日水曜日

家の外で見た中秋の名月

昨日は中秋の名月。日中は曇りだったので外で見えるかどうかと思い、家の外に出てみた。
すると、いつもより数倍の明るさで電柱のちょい上に輝いていた。スマホで写真を撮ろうと思ったが、いい構図にならなかったので取りやめた。

新聞で金沢港で写した写真が掲載されていた。

ガントリークレーンの上に輝く月

数枚の満月の写真が掲載されていたが、何か違和感のある写真があった。それは岐阜城の背面から登る月の写真だった。

なぜか不自然に思われる満月は余りにもでかすぎ

さて10日目(17日、東京・両国国技館)
元大関の関脇・霧島(音羽山)は、1差で追いかけていたトップの関脇・大の里(二所ノ関)との一番、左で張りながら左に体を動かす立ち合い変化。

ちょいと右に飛んだ霧島

しかし、すぐに体勢を立て直した相手に右差しを許し、そのまま一気に寄り切った。

支度部屋では開口一番「言うことはありません」と唇をかんだ。その後、一呼吸置き「全くダメだった。いろいろな立ち合いを朝から試していたが、全くできなかった」と振り返った。八角理事長(元横綱・北勝海)は「元大関として恥ずかしい。気の弱さが出た」と指摘した。

成長著しい吾らが大の里。今日も油断するでないぞ。 

2024年9月17日火曜日

あの炎鵬が序二段で5連勝!

 5年前に新入幕を果たした炎鵬は白鵬の土俵入りを務めたことがあった。その炎鵬は脊椎損傷の大怪我で引退もささやかれていたが、先場所から序二段で復帰した。そして昨日は5連勝だという。大の里の人気で忘れられた炎鵬だが、序二段で無敗の記録を作っている。

5連勝!

元幕内の序二段炎鵬(伊勢ケ浜)が千代大光(九重)を押し出し、土つかずの5連勝を飾った。立ち合いでしっかりと当たって押し込むと、回り込む相手を逃さず、力強い下からの押しで圧倒した。脊髄損傷の大ケガから復帰2場所目となるが「復帰して一番いい相撲じゃないですか」と自賛。「土俵に上がるまでの落ち着きというか、今日は心が座っていた。正直、負ける気がしなかった」と明かした。首をケガする以前、番付を上げていた時期にはあった感覚だといい「いい時の状態を思い出せた。自信になる一日でした」とうなずいた。

幕内筆頭あたりで大活躍していた炎鵬だが、大病を克服して序二段から再スタートした精神力に頭が下がる。
花道の奥では、指導を受ける宮城野親方(元横綱白鵬)が見守っていた。かつて付け人も務めた炎鵬は「気になりますよね。見守ってくれるのは心強い。気にしてくださっているのでうれしい」と笑顔。「いい相撲をとろうと、より一層気合が入りました」と、会心の一番で応えたことを喜んだ。

9連勝大の里の陰に炎鵬の活躍もあることを忘れてはならない。

2024年9月16日月曜日

ラクナはくい、来館10万人 オープン2カ月半で

ラクナはくいという記事があった。なにこれと思ったのだが、羽咋駅前にできた交流拠点施設らしい。
ラクナはくいは7月1日にオープンしたという。市は年間来館者数を6万5千人と見込んでいたが、2階の屋内公園などに市内外から多くの利用者が訪れ、2カ月半での達成となった。

交流拠点施設「ラクナはくい」

式では、稲安さんの家族らがくす玉を割り、岸博一市長が新米やドトールの商品を贈った。稲安さんの姉の田畑梨恵さん(39)=福井市=は「木のぬくもりが感じられて開放的な施設。子どもたちとも過ごしやすく、また来たい」と話した。

うれしい見込み違い 来館者10万人達成

さて、今日も大の里の記事を省けない。御嶽海を破り8連勝勝ち越しを決めたのだ。安易に勝ちにいくことを自重し、最後は自らの持ち味である左おっつけを利かせた。名古屋場所初日に敗れた御嶽海から白星を挙げ、大の里は勝負のかかる場所を全勝ターン。ここに来て、勝利の形も身に付けつつある。

ほんの少しだけ押されたが、すぐ押しもどして勝った

立会い、もろ手突きから左を差して右で抱えて出たが、御嶽海が踏みとどまる。大の里は右で相手の首を巻いて引きに転じようとした。呼び込んでしまう場面だったが、思い直したように腰を落として左でおっつけ、一気に土俵際へ押し込んだ。こうなると、御嶽海も残せない。大関経験者を相手に、瞬時の判断が光った。

御嶽海と一緒に土俵下に落ちたがすぐ戻った

今日の相手は先場所負けた若元春と。だが、今日の勝利は間違いない。

2024年9月15日日曜日

県勢大活躍

遠藤好調!

大の里、霧島の次に遠藤が5勝2敗と3位につけた

角界の人気者がふさわしい舞台に戻ってきた。先場所で再入幕した後、初めて幕内の後半戦の土俵に上がった遠藤。会心の相撲で明生に勝ち、無敗の大の里、1敗の霧島を追う5勝2敗。「白星が先行している。それだけが何よりの救い」。ベテランの言葉に実感がこもった。
1度目は明生、2度目は自身がつっかけて立ち合い不成立。神経戦になっても「向こうもいろいろ考えていたんだろうが、集中力を切らさないように」と落ち着いていた。3度目で立つと、顔を張った右で上手を素早く奪い、差した左もまわしを引いて十分の形に。ほぼ何もさせず前に出て、寄り倒した。今日も健闘してくれるのに違いない。

さて、大の里。2敗を喫している平戸海を僅か2秒で勝負を決めた。

2連敗しているが今日は俺の勝ちだ

足出た!天下無敵!

炎鵬も4連勝だという。県勢の大活躍を誇らしく思うのは自分だけではないだろう。

2024年9月14日土曜日

2連敗中の平戸海だが今日は勝てるぞ

昨日の大の里はあの正代をいとも簡単に負かした。これが大の里の勝ちパターン!
安定した攻めを見せ視界良好だ。元大関の幕内正代(時津風)を一方的に押し出して、初日から無傷の6連勝。幕内唯一の無敗をキープした取組後は「6連勝? 一日、一日集中するだけなので」と気を引き締めた。  

数秒間で勝負が決した

今場所の結果次第で大関昇進の可能性がある中、その実力を発揮している。幕内後半の審判長を務めた九重親方は「面白い取組だったけど今の番付(の差)が出ていた。お互い腰高な相撲だけど、大の里が出足で勝っていた」と〝大器〟に一定の評価を与えた。  単独トップの大の里に、大関琴桜(佐渡ヶ嶽)、関脇霧島(音羽山)が1敗で続く。7日目は2敗の小結平戸海(境川)との一番。ここ2場所で連敗している相手だ。大の里は「明日の相手に集中するだけ。一日一番、集中して頑張ります」と言葉に力を込めた。

さぁ、自信を持って前に進め!

2024年9月13日金曜日

老人の日と敬老の日がある?

もうすぐ敬老の日、町内では70歳以上の男女に饅頭が配られる。校下でも長年、敬老会を開催している。
県は老人の日(15日)に合わせ、本年度に100歳となる491人に記念品を贈るという。本年度末で100歳以上となる高齢者は1313人(1日時点)で、2023年度末の1327人、22年度末の1322人に次いで3番目に多い。
 老人の日は老人福祉への関心を高めようと老人福祉法で定められた日で、敬老の日(16日)とは異なる
県によると、本年度末に100歳以上となる高齢者は男性163人、女性1150人。市町別では金沢市の474人が最も多く、白山市の126人が続く。県内の最高齢は金沢市の111歳の女性で、男性の最高齢は金沢市の105歳

馳浩知事から記念品や花束を受け取る中村外枝さん(右)=金沢市東山で

馳県知事は11日、来年1月に100歳の誕生日を迎える金沢市東山の中村外枝さん(99)の自宅を訪れ、記念品の九谷焼の皿や花束を手渡した。馳知事が長生きの秘訣を尋ねると、中村さんは「毎日を笑顔で穏やかにストレスなく生活し、何でも好き嫌いせずに食べること」と答えた。今年も町会配布の饅頭を元気で食べようっと。

2024年9月12日木曜日

4連勝もどこか危なっかしさが

大相撲4日目を見た。注目したのは大の里、大栄翔戦だった。
大の里の一方的な攻撃で危なげないと思ったが、土俵際の大栄翔はしぶとかった。

土俵際は危なかった

そういえば熱海富士戦の土俵際も危なかった。土俵際の戦いは見ていて安心感のある戦いをしてほしいものだ。

この戦いもヤバかった

そして3日目の琴桜・翔猿戦だが、琴桜の土俵際は危うかった。立ち合いで右をねじ込み、差し手を返して攻め込んだ。しかし翔猿も頭をつけて食い下がる。琴桜が不十分な体勢で出たところを、逆に右下手投げを打たれた。

土俵下まで跳ね飛ばされた翔猿が落ちるのより先に、琴桜が両手をついたようにも見えたが軍配は琴桜。そのまま物言いはつかず、「軍配を見てないし、もつれたのも見えてなかった」。翔猿は「感覚的には負けてない」と不満げだったが、九重審判長(元大関・千代大海)は「(翔猿の体が)飛んじゃってた」と死に体との判定だった。これは疑問!

舞の海が解説で、「検査役の誰一人としてクレームをつけなかったが、結果はどうあれ、やはり誰かが待ったと手をあげるべきだと思う」と。
舞の海の意見に賛成である。今日も大の里の勝利を信じている。

2024年9月11日水曜日

羽田22番ゲート

先日の旅行で飛行機を利用したのだが、行きも帰りも羽田空港に寄った。羽田はこれまでも何回も利用しているのだが、到着ゲートから出発ゲートまでの移動距離が極めて長いのには閉口する。先日の帰りは、到着ゲートから小松行出発ゲートが実に遠かった。出発ゲートは22番だったが、ここまで4,5百mはあるのではないかと思われる。待合ロビーも広大だった。

左側から歩いて22番ゲート待合室へ

これまではもっと端のゲートだったように思う。いつもだが、余りにも広大過ぎて自分がどこにいるか把握できない。

今から二十数年前になるが、東京で3か月間の研修があった時、羽田空港のビルが新築完成したというので自主的に見学に行った。今の第1ターミナルだと思うのだが、そのビルの屋上で飛行機の発着を数時間眺めていたことがあった。ぞろぞろと次々に出発する様子を見て、いよいよ飛行機の時代が到来したことを実感した。国鉄が分割民営化して7,8年経過した頃だった。

さて、あと何年羽田を利用できるか・・・。


2024年9月10日火曜日

旅の最終日は青森市内ねぶたの家と三内丸山遺跡

浅虫温泉の宿を9時に出発し、青森市内に向かった。青森には現役時代に講習会に出席したことがあった。その時は連絡船発着場付近を散策した。今回、青森駅付近がその当時と随分様変わりしていた。

青森港 連絡船八甲田丸がなつかしい

ねぶたの家ワ・ラッセの展示物は迫力があった

大勢の人で賑わっていた

前に来た時はこのような施設はなかった

昼食後、観光物産館アスバムでおみやげを買い求め、最後の目的地三内丸山遺跡に向かった。この遺跡の広さは半端じゃない。とても隅々まで巡ることは不可能なので、少しの範囲にとどめることにした。

ここはべらぼうに広い

縄文時代にこんな広い建物があったとは驚き

復元された建物群

遺跡見学後はバスに乗り込み青森空港で下車して羽田行きに搭乗した。小松到着は午後10時過ぎになったが、無事帰着した。
今回の旅は「行きたいところ」だった竜飛崎や大間、恐山等を巡ることができ、満足できる旅だった。

2024年9月9日月曜日

大間埼の本マグロの旨さは格別だった

旅は3日目、この日も快晴。青森の快晴は空の青さが金沢で見るそれとは格段に鮮やかだった。黒石市にあるホテルを出発して約140km先の大間埼を目指した。むつ市を過ぎ山道を走行し、ようやく海が見える道路に出た。

大間町はまずまずの賑わいのある町だった。

バスを降り海岸先端のモニュメントのある場所に行った

対岸は函館 

北海道まで17kmの近さだという

北海道はすぐそこだった

ご飯の上に本マグロがどっさり
余りの旨さに感動!

本マグロをたらふく食べた後は、霊場恐山を目指した。ここを訪れる観光客の多いのに驚きだった。

到着

溶岩の間を通り抜ける道をたどった

ようやく湖が見えてきた

ようやく駐車場に戻った

こんな広大な宗教施設には驚きだった。大祭には全国からドッと押し寄せるという。
さて、ここから浅虫温泉を目指して出発した。

到着は正に日没した頃だった

ホテルでは午後8時半から「津軽じょんがら節」の生演奏があるというので、早めに最前列のソファに陣取った。

奏者は中野みち子さん

数々の全国大会で最優秀賞を獲得された奏者で、迫力ある演奏に感動した。無料で聞けるなんて嘘のような話だった。

かくして3日目が終わり、次は最終日となる。