2021年8月28日土曜日

日本人医師がベラルーシの少女達を救った

自分より1才若い信大付属病院外科医は、「アホらしくてやっとられん!」と思ったのかどうか確証はない。だが、「43歳で死ぬ」との易占いがその年頃になって気になり始め、「死ぬならもっと他の生き方があるだろうと思った」という。
43才になった菅谷(すがのや)昭 外科医は信州大医学部付属病院で甲状腺ガンの小さな手術跡の研究に取り組んでいた。そんな時、教授昇任選考から外されたショックでこの先の自分の生き方をどうしたらいいか悩んだ。

今朝、ビデオでプロジェクトXの番組を見た。昔は殆ど漏らすことなくこの番組をみたものである。内容は昭和61年のチェルノブイリ事故後、少女に多発する甲状腺ガンの発症期にあったことから、チェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺ガンになった子どもを助けたい──外科医菅谷昭は、ベラルーシに5年半にわたって滞在。貧弱な医療体制の中で数多くの子どもを救い、その手技は「奇跡のメス」と賞賛された。
無給で手術のお手伝いをさせてくださいと病院に頼み込んだという。

20年ほど前の放送だったか記憶が無い
驚くことに無報酬のうえに、ベラルーシから300km離れたチェリノブイリ近郊の町まで甲状腺ガンの手術を受けた患者の家に訪問看護までしたという。

これまで傷跡は耳したから首の最下部に至り反対側も耳したまでの傷が残った

菅谷医師執刀の傷跡 殆ど目立たない
5年半滞在したが、現地の医師から「センセイ、センセイ」と日本語で呼ばれ、門下生が沢山生まれたという。
着任した時は、おくれた医療技術、旧式な医療機器、非衛生な環境、学ぶ意欲のない医師、に気がついた。
しかし、現地の医療の状況を受け入れる、決して批判はしない、という態度でのぞんだ。
さらに、「他人に与えた影響の総量が、その人の一生の価値を決める」という気持ちで医療支援活動をされ、現地人に接したことで、ベラルーシ人から慕われ、尊敬された。

望んだわけではないが、ベラルーシ共和国から、国家の最高勲章である、「フランシスコ・スカリナー勲章」が、授与された(2000年)。
菅谷さんの前の受賞者は、ロシアのエリツィン前大統領である。
その菅谷さんは、2004年から松本市長を4期された。現在は信州大学学長に就任された。


今日はいいビデオを見ることができた。

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