今日の新聞でNHKの「夢であいましょう」という番組に出演された中嶋弘子さんが亡くなったことを知った。この番組があったのは昭和36年4月から昭和41年4月までだったという。自分の記憶では結婚した前後だと思っていたが、まだ独身時代だったわけだ。テレビはもちろんモノクロ時代。昭和36年7月から旧内浦町市ノ瀬にあった能登線建設事務所(小木工事区)に勤務していた頃、寮の食堂においてあったテレビを見るのが楽しみだった。
シャボン玉ホリディが終わって「夢であいましょう」が始まったという記憶がある。首を右斜めに傾け、「皆様こんばんは、中嶋弘子です」「それでは皆さんまた来週まで、さようなら」と挨拶する姿がとても上品だった。
カラーテレビがとても高価だった頃の放送だった |
夢であいましょうで出演していた坂本九や渥美清がこれを機に大歌手や大スターに出世するきっかけになったという。
あの頃から高度経済成長まっしぐらに突き進んだ日本だった。青春の思い出の1ページ、中嶋弘子さんのご冥福を祈ろう。
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