2024年9月21日土曜日

自分がやったように鼻が高い

昨日の出来事のNo1は「大谷翔平 大リーグ史上初 50HR50盗塁達成 「51-51」に伸ばす」だ。
ドジャースの大谷翔平選手は19日のマーリンズ戦で2つの盗塁を決めたあと、3本のホームランを打って、今シーズンのホームランが51本、盗塁の数は51に伸ばしました。1つのシーズンでホームラン50本、50盗塁以上を達成したのは大リーグで史上初めての快挙です
本当に素晴らしい「男」だ。


大谷選手は試合後、グラウンドで行われたインタビューで「きょう本当に勝ててよかったですし、早く決めたいなと思っていたので一生忘れられない日になるんじゃないかと思う」と話した。
そして、この試合の勝利でチームがプレーオフ進出を決めたことには「チームは変わったけど大リーグに来てずっと夢に見ていた。チームとしてもいい勝ち方ができてすばらしい日になった」と話し、大リーグ7年目で念願のプレーオフに進出したことを喜んだ。

この快挙は世界の子供たちに大きな夢をもたらした。
日本の子供たちにも夢を与え、野球を始める子供たちも大勢いると思う。

こんな子供がいた

前人未踏の記録を書き換えた影響は誠に大きなものがある。同じ日本人として鼻が高いではないか。

2024年9月20日金曜日

昨日の悔しさをバネに今日勝って大関に

9割勝っていた大の里だったが、驚きのバネを持った若隆景に見事やられた。敵ながらあっぱれというところか。三役経験者の実力者相手に2度のもろ差しを許すなど、今場所はあまり見せていなかった脇の甘さを突かれた。「昨日から良くなかった。昨日の落とし穴にハマった感じがする」と物言いがついた11日目(琴勝峰)戦からの流れを反省した。

一方で、連勝中は言葉数が少なかったものの、敗れたことで重圧から解放された。報道陣から「張り詰めていた部分があったのでは?」と問われると、「そうですね。気持ち的にすっきりしたと思う。明日からまた頑張ります」と気持ちを新たにしていたという。

驚異の粘りに根負け

こういう論評もあった。
「敗因はただ1つ、腰がやや高かったことです。腰が普段より高いがゆえに押しや左おっつけの威力が半減。それでも押し込もうとし、さらに腰が伸びてしまった。若隆景は低い姿勢で相手のふところに潜り込むのが上手く、優勝経験もある実力者。腰高を見逃してくれるほど、甘い力士じゃなかったということです。これが並の力士相手だったら、多少腰が上がろうが最初の攻めで勝負が決まっていたでしょう。大の里は11日目も普段より腰が高かった。疲労なのか、それとも大関とりの重圧なのか……」

今日の相手は琴桜。1差で高安が・・・

2024年9月19日木曜日

またもや物言いが

琴勝峰が押し出される直後にやけくそ技で大の里が倒された。これが行事軍配にクレームの「物言い」。

この写真では大の里負けのように見えるが

物言いがつくはずがない決定的写真があった

大の里が、前頭四枚目・琴勝峰を押し出しで下した。大の里の大きな体が宙に浮いて物言いがつき、館内が騒然となる場面もあったが、行事軍配通りの結果で11連勝を飾った。
今場所で12勝を挙げれば、大関昇進の目安とされる直前3場所の合計33勝に数字上は到達する大の里。優勝すれば“ほぼ確実”と言われているだけに、日本人大関の誕生に期待を寄せているファンは多いことだろう。

琴勝峰との取組では、右を差して押し込んだ大の里だったが、土俵際で琴勝峰が突進をかわし、身長192センチ、体重182キロという大の里の大きな体が宙に浮いた。微妙な結末に物言いがついたが、協議の結果、“琴勝峰の右足が先に出ていた”ということで、行司軍配通り大の里が白星を飾った。琴勝峰は5勝6敗となった。

今日はしぶとさと絶妙な技を備えた隆景勝との闘いだが、大の里は必ず県民の期待に応えてくれるだろう。

2024年9月18日水曜日

家の外で見た中秋の名月

昨日は中秋の名月。日中は曇りだったので外で見えるかどうかと思い、家の外に出てみた。
すると、いつもより数倍の明るさで電柱のちょい上に輝いていた。スマホで写真を撮ろうと思ったが、いい構図にならなかったので取りやめた。

新聞で金沢港で写した写真が掲載されていた。

ガントリークレーンの上に輝く月

数枚の満月の写真が掲載されていたが、何か違和感のある写真があった。それは岐阜城の背面から登る月の写真だった。

なぜか不自然に思われる満月は余りにもでかすぎ

さて10日目(17日、東京・両国国技館)
元大関の関脇・霧島(音羽山)は、1差で追いかけていたトップの関脇・大の里(二所ノ関)との一番、左で張りながら左に体を動かす立ち合い変化。

ちょいと右に飛んだ霧島

しかし、すぐに体勢を立て直した相手に右差しを許し、そのまま一気に寄り切った。

支度部屋では開口一番「言うことはありません」と唇をかんだ。その後、一呼吸置き「全くダメだった。いろいろな立ち合いを朝から試していたが、全くできなかった」と振り返った。八角理事長(元横綱・北勝海)は「元大関として恥ずかしい。気の弱さが出た」と指摘した。

成長著しい吾らが大の里。今日も油断するでないぞ。 

2024年9月17日火曜日

あの炎鵬が序二段で5連勝!

 5年前に新入幕を果たした炎鵬は白鵬の土俵入りを務めたことがあった。その炎鵬は脊椎損傷の大怪我で引退もささやかれていたが、先場所から序二段で復帰した。そして昨日は5連勝だという。大の里の人気で忘れられた炎鵬だが、序二段で無敗の記録を作っている。

5連勝!

元幕内の序二段炎鵬(伊勢ケ浜)が千代大光(九重)を押し出し、土つかずの5連勝を飾った。立ち合いでしっかりと当たって押し込むと、回り込む相手を逃さず、力強い下からの押しで圧倒した。脊髄損傷の大ケガから復帰2場所目となるが「復帰して一番いい相撲じゃないですか」と自賛。「土俵に上がるまでの落ち着きというか、今日は心が座っていた。正直、負ける気がしなかった」と明かした。首をケガする以前、番付を上げていた時期にはあった感覚だといい「いい時の状態を思い出せた。自信になる一日でした」とうなずいた。

幕内筆頭あたりで大活躍していた炎鵬だが、大病を克服して序二段から再スタートした精神力に頭が下がる。
花道の奥では、指導を受ける宮城野親方(元横綱白鵬)が見守っていた。かつて付け人も務めた炎鵬は「気になりますよね。見守ってくれるのは心強い。気にしてくださっているのでうれしい」と笑顔。「いい相撲をとろうと、より一層気合が入りました」と、会心の一番で応えたことを喜んだ。

9連勝大の里の陰に炎鵬の活躍もあることを忘れてはならない。

2024年9月16日月曜日

ラクナはくい、来館10万人 オープン2カ月半で

ラクナはくいという記事があった。なにこれと思ったのだが、羽咋駅前にできた交流拠点施設らしい。
ラクナはくいは7月1日にオープンしたという。市は年間来館者数を6万5千人と見込んでいたが、2階の屋内公園などに市内外から多くの利用者が訪れ、2カ月半での達成となった。

交流拠点施設「ラクナはくい」

式では、稲安さんの家族らがくす玉を割り、岸博一市長が新米やドトールの商品を贈った。稲安さんの姉の田畑梨恵さん(39)=福井市=は「木のぬくもりが感じられて開放的な施設。子どもたちとも過ごしやすく、また来たい」と話した。

うれしい見込み違い 来館者10万人達成

さて、今日も大の里の記事を省けない。御嶽海を破り8連勝勝ち越しを決めたのだ。安易に勝ちにいくことを自重し、最後は自らの持ち味である左おっつけを利かせた。名古屋場所初日に敗れた御嶽海から白星を挙げ、大の里は勝負のかかる場所を全勝ターン。ここに来て、勝利の形も身に付けつつある。

ほんの少しだけ押されたが、すぐ押しもどして勝った

立会い、もろ手突きから左を差して右で抱えて出たが、御嶽海が踏みとどまる。大の里は右で相手の首を巻いて引きに転じようとした。呼び込んでしまう場面だったが、思い直したように腰を落として左でおっつけ、一気に土俵際へ押し込んだ。こうなると、御嶽海も残せない。大関経験者を相手に、瞬時の判断が光った。

御嶽海と一緒に土俵下に落ちたがすぐ戻った

今日の相手は先場所負けた若元春と。だが、今日の勝利は間違いない。

2024年9月15日日曜日

県勢大活躍

遠藤好調!

大の里、霧島の次に遠藤が5勝2敗と3位につけた

角界の人気者がふさわしい舞台に戻ってきた。先場所で再入幕した後、初めて幕内の後半戦の土俵に上がった遠藤。会心の相撲で明生に勝ち、無敗の大の里、1敗の霧島を追う5勝2敗。「白星が先行している。それだけが何よりの救い」。ベテランの言葉に実感がこもった。
1度目は明生、2度目は自身がつっかけて立ち合い不成立。神経戦になっても「向こうもいろいろ考えていたんだろうが、集中力を切らさないように」と落ち着いていた。3度目で立つと、顔を張った右で上手を素早く奪い、差した左もまわしを引いて十分の形に。ほぼ何もさせず前に出て、寄り倒した。今日も健闘してくれるのに違いない。

さて、大の里。2敗を喫している平戸海を僅か2秒で勝負を決めた。

2連敗しているが今日は俺の勝ちだ

足出た!天下無敵!

炎鵬も4連勝だという。県勢の大活躍を誇らしく思うのは自分だけではないだろう。

2024年9月14日土曜日

2連敗中の平戸海だが今日は勝てるぞ

昨日の大の里はあの正代をいとも簡単に負かした。これが大の里の勝ちパターン!
安定した攻めを見せ視界良好だ。元大関の幕内正代(時津風)を一方的に押し出して、初日から無傷の6連勝。幕内唯一の無敗をキープした取組後は「6連勝? 一日、一日集中するだけなので」と気を引き締めた。  

数秒間で勝負が決した

今場所の結果次第で大関昇進の可能性がある中、その実力を発揮している。幕内後半の審判長を務めた九重親方は「面白い取組だったけど今の番付(の差)が出ていた。お互い腰高な相撲だけど、大の里が出足で勝っていた」と〝大器〟に一定の評価を与えた。  単独トップの大の里に、大関琴桜(佐渡ヶ嶽)、関脇霧島(音羽山)が1敗で続く。7日目は2敗の小結平戸海(境川)との一番。ここ2場所で連敗している相手だ。大の里は「明日の相手に集中するだけ。一日一番、集中して頑張ります」と言葉に力を込めた。

さぁ、自信を持って前に進め!

2024年9月13日金曜日

老人の日と敬老の日がある?

もうすぐ敬老の日、町内では70歳以上の男女に饅頭が配られる。校下でも長年、敬老会を開催している。
県は老人の日(15日)に合わせ、本年度に100歳となる491人に記念品を贈るという。本年度末で100歳以上となる高齢者は1313人(1日時点)で、2023年度末の1327人、22年度末の1322人に次いで3番目に多い。
 老人の日は老人福祉への関心を高めようと老人福祉法で定められた日で、敬老の日(16日)とは異なる
県によると、本年度末に100歳以上となる高齢者は男性163人、女性1150人。市町別では金沢市の474人が最も多く、白山市の126人が続く。県内の最高齢は金沢市の111歳の女性で、男性の最高齢は金沢市の105歳

馳浩知事から記念品や花束を受け取る中村外枝さん(右)=金沢市東山で

馳県知事は11日、来年1月に100歳の誕生日を迎える金沢市東山の中村外枝さん(99)の自宅を訪れ、記念品の九谷焼の皿や花束を手渡した。馳知事が長生きの秘訣を尋ねると、中村さんは「毎日を笑顔で穏やかにストレスなく生活し、何でも好き嫌いせずに食べること」と答えた。今年も町会配布の饅頭を元気で食べようっと。

2024年9月12日木曜日

4連勝もどこか危なっかしさが

大相撲4日目を見た。注目したのは大の里、大栄翔戦だった。
大の里の一方的な攻撃で危なげないと思ったが、土俵際の大栄翔はしぶとかった。

土俵際は危なかった

そういえば熱海富士戦の土俵際も危なかった。土俵際の戦いは見ていて安心感のある戦いをしてほしいものだ。

この戦いもヤバかった

そして3日目の琴桜・翔猿戦だが、琴桜の土俵際は危うかった。立ち合いで右をねじ込み、差し手を返して攻め込んだ。しかし翔猿も頭をつけて食い下がる。琴桜が不十分な体勢で出たところを、逆に右下手投げを打たれた。

土俵下まで跳ね飛ばされた翔猿が落ちるのより先に、琴桜が両手をついたようにも見えたが軍配は琴桜。そのまま物言いはつかず、「軍配を見てないし、もつれたのも見えてなかった」。翔猿は「感覚的には負けてない」と不満げだったが、九重審判長(元大関・千代大海)は「(翔猿の体が)飛んじゃってた」と死に体との判定だった。これは疑問!

舞の海が解説で、「検査役の誰一人としてクレームをつけなかったが、結果はどうあれ、やはり誰かが待ったと手をあげるべきだと思う」と。
舞の海の意見に賛成である。今日も大の里の勝利を信じている。

2024年9月11日水曜日

羽田22番ゲート

先日の旅行で飛行機を利用したのだが、行きも帰りも羽田空港に寄った。羽田はこれまでも何回も利用しているのだが、到着ゲートから出発ゲートまでの移動距離が極めて長いのには閉口する。先日の帰りは、到着ゲートから小松行出発ゲートが実に遠かった。出発ゲートは22番だったが、ここまで4,5百mはあるのではないかと思われる。待合ロビーも広大だった。

左側から歩いて22番ゲート待合室へ

これまではもっと端のゲートだったように思う。いつもだが、余りにも広大過ぎて自分がどこにいるか把握できない。

今から二十数年前になるが、東京で3か月間の研修があった時、羽田空港のビルが新築完成したというので自主的に見学に行った。今の第1ターミナルだと思うのだが、そのビルの屋上で飛行機の発着を数時間眺めていたことがあった。ぞろぞろと次々に出発する様子を見て、いよいよ飛行機の時代が到来したことを実感した。国鉄が分割民営化して7,8年経過した頃だった。

さて、あと何年羽田を利用できるか・・・。


2024年9月10日火曜日

旅の最終日は青森市内ねぶたの家と三内丸山遺跡

浅虫温泉の宿を9時に出発し、青森市内に向かった。青森には現役時代に講習会に出席したことがあった。その時は連絡船発着場付近を散策した。今回、青森駅付近がその当時と随分様変わりしていた。

青森港 連絡船八甲田丸がなつかしい

ねぶたの家ワ・ラッセの展示物は迫力があった

大勢の人で賑わっていた

前に来た時はこのような施設はなかった

昼食後、観光物産館アスバムでおみやげを買い求め、最後の目的地三内丸山遺跡に向かった。この遺跡の広さは半端じゃない。とても隅々まで巡ることは不可能なので、少しの範囲にとどめることにした。

ここはべらぼうに広い

縄文時代にこんな広い建物があったとは驚き

復元された建物群

遺跡見学後はバスに乗り込み青森空港で下車して羽田行きに搭乗した。小松到着は午後10時過ぎになったが、無事帰着した。
今回の旅は「行きたいところ」だった竜飛崎や大間、恐山等を巡ることができ、満足できる旅だった。

2024年9月9日月曜日

大間埼の本マグロの旨さは格別だった

旅は3日目、この日も快晴。青森の快晴は空の青さが金沢で見るそれとは格段に鮮やかだった。黒石市にあるホテルを出発して約140km先の大間埼を目指した。むつ市を過ぎ山道を走行し、ようやく海が見える道路に出た。

大間町はまずまずの賑わいのある町だった。

バスを降り海岸先端のモニュメントのある場所に行った

対岸は函館 

北海道まで17kmの近さだという

北海道はすぐそこだった

ご飯の上に本マグロがどっさり
余りの旨さに感動!

本マグロをたらふく食べた後は、霊場恐山を目指した。ここを訪れる観光客の多いのに驚きだった。

到着

溶岩の間を通り抜ける道をたどった

ようやく湖が見えてきた

ようやく駐車場に戻った

こんな広大な宗教施設には驚きだった。大祭には全国からドッと押し寄せるという。
さて、ここから浅虫温泉を目指して出発した。

到着は正に日没した頃だった

ホテルでは午後8時半から「津軽じょんがら節」の生演奏があるというので、早めに最前列のソファに陣取った。

奏者は中野みち子さん

数々の全国大会で最優秀賞を獲得された奏者で、迫力ある演奏に感動した。無料で聞けるなんて嘘のような話だった。

かくして3日目が終わり、次は最終日となる。

2024年9月8日日曜日

津軽半島竜飛崎へ

旅は2日目、十和田湖畔のホテルを出発し、バスは昨日走ってきた奥入瀬を通って深い樹林の中を走行した。最初の目的地は「酸ヶ湯」。ここで1時間、入浴するもよし、休息するもよしというので入浴することにした。

酸ヶ湯温泉

平日だというのに来客者が多いのに驚いた

江戸時代から大賑わいの温泉だという。名物の「ヒバ千人風呂」は、なんと160畳の広さが。
浴室には、熱湯、冷の湯、四分六分の湯、湯滝など4つの源泉の異なる浴槽が用意されている。一部に男女を分ける仕切が設けられているほか、その広さからか女性でも臆せず入浴する人が多いのが特長。
基本となる泉質は、酸性硫黄泉で、神経痛、リュウマチ、冷え性などに効能が大。

大浴場だが洗い場がない

女性は浴衣を着用。大浴槽には女性ゾーンの表示はある。再びバスに乗車、岩木山を左手に見ながら五所川原に向かった。あるホテルの1Fレストランで昼食。時間が余ったのですぐ向かい側のスーパーで買い物。間もなく出発となった。太宰治の生誕地を過ぎ十三湖を過ぎ広大な農地も終わりとなり山間地の道路になった。そこから山林地帯を通り抜け日本海側に出た。

ひたすら狭い海岸に沿った道路を走行した

ようやく竜飛崎頂上に

階段歩道は国道だという

正面の島影は下北半島

北海道が見えた

念のためマスクは外さなかった

竜飛崎がこんな晴天に恵まれたのは稀だという。それに無風、好天は天からの贈り物だった。この地に自分と同業の青函トンネル建設に従事した職員家族が20年前後暮らした。
ここから津軽半島東側海岸道路を走行し、黒石市のホテルに到着した。

部屋の窓からお岩木山が見えた

津軽半島最先端までの道のりは「遠かったなぁ」という感想。あすは下北半島大間岬だ。どんな旅になるか楽しみだ。

2024年9月7日土曜日

津軽半島と下北半島の最先端岬

 3日から6日までの4日間、青森県の2つの半島の最先端を巡った。2つの半島の最先端は簡単には行けなかったが、趣もあって良い旅だった。
先ず1日目は小松から羽田へ向かった。羽田から広島、高松、徳島、高知、愛媛の参加者と合流して青森空港に向かった。青森空港からバスで奥入瀬渓流に向かい、20分ほど渓流沿いに歩いた。昔の旅行で十和田湖に向かう途中、奥入瀬を通ったのだが、そこを歩いて景色を堪能したいと思い続けたその夢が実現した。

奥入瀬川の渓流

渓流沿いの歩道散策が夢だった

近くに星野リゾートが進出してきたが、その規模が大きいので驚いた。
この日は十和田湖のホテルで1泊した。

4日の朝、6時半から予定にはない旅行会社の随行員のご厚意で、十和田湖畔散策をした。以前、十和田湖に行ったことがあり、そこで昼食を食べた記憶があったが、そことは5kmほど東側だった。

船着き場

約30分ほど湖畔をめぐった

続きは明日にしよう。