2022年6月26日日曜日

北大構内クラーク博士の銅像

平成10年3月、初めて北海道に旅行した。3月末に34年間勤務した組織から退職することになっていたので、女房殿の恩返しの意味と、今の函館の繁栄を築く礎を作った高田屋嘉兵衛の功績を辿る旅行だった。司馬遼太郎の「菜の花の沖」で描かれた北海道を体験したかった旅だった。
網走の流氷を堪能して特急列車で数時間、札幌からすぐ小樽に向かった。その日遅く札幌に戻って1泊。翌日行ったのが北大構内にあるというクラーク博士像。6年生の担任の先生が話してくれた「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」のクラーク博士のことが妙に印象が残っていたので銅像を見に行った。

11歳で知ったクラーク博士だが、44年後に銅像の前に立つことができた
銅像前は東京オリンピックマラソンコースにもなった

宗谷岬には間宮林蔵の銅像があった。しかし、写真撮影した覚えがないので写真ゼロ。
宗谷岬に心が奪われて間宮林蔵の銅像をパスしたようだ。樺太が大陸と繋がっていないことを確認したというすごい人なのだ。

岬と至近距離にあった間宮林蔵の銅像

また、函館の高田屋嘉兵衛の銅像の写真もない。

函館市内を散策したが銅像には出会うことがなかった

話が元に戻るがクラーク博士は、明治9年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれた。1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えるなど、大きな影響を与えた。

羊ケ丘展望台にも銅像が
来道してわずか8カ月余の札幌滞在だったが、翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられ、まさに北海道開拓精神を代表することばとして、後世に伝えられていった。
北海道にそんなに短い期間しかいなかったことは初めて聞いて驚いた。

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