2022年5月8日日曜日

千里浜消滅の懸念

昨日の千里浜の写真を見て驚いた。痩せ細って今にもなくなってしまいそうな、そんな心配をした。千里浜でいつも思い出すのは、昭和37年、小木にあった事務所から宇出津の派出所に毎日通勤していたある日、保線用のタイタンパーという機械が故障したので、金沢へ修理に行って来いという指示があった。進駐軍払い下げのジープに機械を積んで金沢に向かった。道路はまだ9割ほどが無舗装の砂利道。羽咋を通過する頃、運転手が千里浜を走ろうというので、了承した。自分には見るも通るも初めての千里浜だった。

何と心地いい走り具合だろう!でこぼこ道と違って舗装道路とそん色ない走り。走行している車はゼロ。独占状態で走った。運転手が運転してみる?と聞いたのでうんと即答した。60kmで走っていたところ、見えなかった川があって、いきなり凄い衝撃があった。川は2か所あった。今はあの川のあったところはどうなっているのだだろう。

往時の見る影もなくなった消えそうな千里浜

去年だったが、波に削られ走行禁止となった。養浜工事を施工してようやく通行可能になった。養浜工事も限界を迎える時期が早くなりそうな予感がするのだが。
白山の山が削られ手取川から日本海へ。風と潮流で内灘砂丘や千里浜が形成されたのだが、砂防工事の進捗と手取ダムの完成により、パーフェクトに土砂の供給がストップした。日本全国、このような砂防事業が進み、なん十か所もの海水浴場が閉鎖になった。

砂浜に車が走るということは世界でも稀な場所だという。費用がかさむだろうが、千里浜だけは残してほしいと願わざるを得ない。

昭和43年の千里浜

職場の若い衆と能登旅行で千里浜に寄った。今では考えられないこの広さである。

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