昭和50年(1975)の飯田港の写真が新聞で公開された。能登観光ブームで能登半島が沸き返っていた頃である。この年3月に6年間いた広島から岐阜市にあった国鉄建設関係事務所に転勤した。職場で能登観光に行きたいので能登出身の自分に、民宿の予約をしてほしいと頼まれた。曽々木の民宿に予約しようとしたが、数軒の民宿全てが半年先までギッシリ埋まっているという。その結果、能登観光は断念し、紀伊半島に行き先を変更したことがあった。
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フェリーが着岸している42年前(昭和50年) (モノクロ写真を着彩) |
グーグルアースでこの写真を撮影した角度で画像を確かめてみた。
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上の写真と海岸線が一致しないのは広範囲に埋め立てが行なわれたようだ |
フェリー岸壁から右上部が埋め立てられた範囲と想定できる。
昨日夕方、宇出津新港の鮨屋に行ったが開店時刻前だったのでUターンしたが、宇出津新港も埋め立て地で、そこはまだ空き地はあるものの、スーパー等の進出で飯田港埋め立て地より活気があるように感じた。だが、珠洲市の方が移住者が多いという。不思議な現象だと思うが・・・
能登町にも移住者が増えれば空き家対策に効果がある。是非能登町に!
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