2020年9月28日月曜日

上杉謙信が攻めあぐんだ日本五大山城七尾城の発掘調査

 十年ほど前になるか、日本屈指の山城だと評価が高い、七尾城に行ってみたいと思っていた念願が叶った。岐阜城にもロープウエーや歩いて何度か登ったが、七尾城の方が高い樹木が茂り距離が長く時間がかかった。眺望は岐阜城が遙か濃尾平野の地平線まで、鈴鹿山脈、伊吹山と広大な景色が堪能できるが、七尾城は能登島方向しか見えなかった。この七尾城の発掘調査が実施されるという。

調度丸跡
七尾市教委は二十三日、国内最大規模の山城として知られる国史跡、七尾城跡の発掘調査を始めた。標高約三百メートルの本丸跡の二十メートルほど下に位置し、重要な資料が見つかる可能性がある遺構「調度丸跡」を調べ、城全体の構造を把握する手掛かりを探る。城の中枢部分に近い場所での学術発掘は初めて。

上杉謙信が1年余も攻城したが、陥落能わず、畠山家臣遊佐の寝返りにより落城した。謙信が攻城で詠んだ「九月十三夜陣中作」は余りにも有名である。

霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行の過雁 月三更
越山 併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらばあれ) 家郷 遠征を憶う
本丸跡からの眺望

難攻不落の構え

急勾配の通路と櫓跡
このあたりまで車で行ける
七尾城の名前の由来は、七つの山の尾根にわたって造られているためだという。尾根には、松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾という名前があり、それぞれ七つの門が造られていた。七つも尾が付いている山とは珍しい!

利家は七尾城主となって当地に赴いたが、時代は山城が平地の城となる時流から、小丸山に新しく城を築いた。あの浅井長政の拠点だった小谷城も、秀𠮷は長浜の琵琶湖畔に設けた。要するに、武器が刀・弓矢から鉄砲・大砲が取って代わったことが要因だろう。

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