十年ほど前になるか、日本屈指の山城だと評価が高い、七尾城に行ってみたいと思っていた念願が叶った。岐阜城にもロープウエーや歩いて何度か登ったが、七尾城の方が高い樹木が茂り距離が長く時間がかかった。眺望は岐阜城が遙か濃尾平野の地平線まで、鈴鹿山脈、伊吹山と広大な景色が堪能できるが、七尾城は能登島方向しか見えなかった。この七尾城の発掘調査が実施されるという。
調度丸跡 |
上杉謙信が1年余も攻城したが、陥落能わず、畠山家臣遊佐の寝返りにより落城した。謙信が攻城で詠んだ「九月十三夜陣中作」は余りにも有名である。
急勾配の通路と櫓跡 |
このあたりまで車で行ける |
利家は七尾城主となって当地に赴いたが、時代は山城が平地の城となる時流から、小丸山に新しく城を築いた。あの浅井長政の拠点だった小谷城も、秀𠮷は長浜の琵琶湖畔に設けた。要するに、武器が刀・弓矢から鉄砲・大砲が取って代わったことが要因だろう。
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