2018年11月19日月曜日

錦秋

今日の朝刊で兼六園の紅葉が見ごろと伝えている。

新聞のタイトルは「晩秋の色絵巻 兼六園、モミジ見頃 」
17日の石川県内は昼前から次第に高気圧に覆われて晴れた。兼六園ではモミジが見頃を迎え、週末を利用して訪れた多くの観光客が晩秋の色絵巻を堪能した。
紅葉真っ盛りの園内を散策する観光客=兼六園
 山崎山の周辺では、ショールを羽織った着物姿の女性が、赤や黄に染まった頭上の枝を見上げ、カメラを向けた。金沢市内の最高気温は平年並みの15.6度で、前日より2度低かった。
この時季、毎年恒例の秋のライトアップが始まった。

雪吊りが水面に映り名園を演出している
曲水沿いもいいなぁ
兼六園の雪吊り作業は11月1日から始まったが、金沢市は12日、JR金沢駅の鼓門前をはじめ、市内の公園や街路樹で雪づり作業を開始し、街なかに冬支度の光景が広がった。
駅前では市委託の造園業者がクロマツ6本に高さ8メートルの支柱を立て、放射状に縄を張る「りんごづり」を施した。

鼓門前のクロマツの雪吊り作業
作業は12月7日まで、市内32カ所の公園と市道86路線で行われる。高木約300本、低木約6万株が対象となる。 

紅葉も北風が吹くとあっという間に散ってしまう運命にある。ここ2,3日中に見物されるのがおすすめ。
そういえば30年ほど前になるが、京都高雄の紅葉を見に行きたかったので11月3日、マイカーで京都に行った。が、情報収集力が不足していたため高雄山どころか、どこも紅葉ではなく濃緑の葉が茂っていた。駐車場から子供をおんぶして谷の崖を降りて登ってそれに続く長い石段を登ってついたらくだんの通り。その子供も高校生と中学生の親になった。俺は年行ったんだなぁ。



2018年11月18日日曜日

小学生にプログラミング教育導入

今朝のテレビで2年後の2020年度から、小学校にプログラミング教育が導入されることに関しての放送があった。

その背景には、総務省はIT人材を2025年までに100万人育成するという方針を発表している。これを受けて、文部科学省は2020年度からの次期学習指導要領において、小学校でのプログラミング教育を必修化とすることを決定したのだ。


世界的には既に数か国が導入している。



子供は信じられれないほど理解力があり上達するのも驚異的である。

ロボットを動かすプログラム入力中
吾々の年代にとっては、プログラミングなんていうのは全く縁のない世代だと思っていたのだが、以前このブログで取り上げたことがある若宮正子さんの活動ぶりも番組で紹介された。若宮さんの現役時代は銀行員。インタビューの記録があった。

たくさんメディアで紹介いただき、「プログラミングやるなんてすごい」とか「どうしてそんなに勇気があるんですか」と聞かれるようになりました。私にとっては全然勇気なんか。スキューバーダイビングは怖いですけど、プログラミングはパソコンがあればできるし、必要なものはだいたい無料でダウンロードできます。誰も死なないし、おまわりさんにつかまっちゃうこともありません。誰かに迷惑をかけることもないのに。やってみて難しかったらやめればいいのにって。

私が銀行に入ったとき、器用にお札が数えられるひとの価値が高かった。お札を手で数えて、そろばんを正確に使えたひとで、疲れても文句言わないひと。まさにいまのロボットと一致します。つまり、ロボット的なひとが一番高く評価されていました。

そのうちアメリカから電機計算機がきてカタカタと。そろばん一級のひとは青くなりました。私は不器用ですし、お札を数えたり計算したりするのがひとより遅かった。どちらかというとお荷物でした。ところが機械化して、コンピューターが入ってきて、オンライン社会になってくる。そうなるとロボットと同じ資質は歓迎されなくなって、銀行は営業できるひとなどに価値がシフトしていきました。手先が器用かどうかはどうでもよくなったんです。
その頃、業務企画部門に異動になりました。いろいろな仕事をさせていただいたのですが、私が変わったのではなく、周りの景色が、社会が変わったんです。私はちっとも変ってない。そのおかげで管理職の端くれにさせていただいたりして、時代が変わるっているのはそういうことです。 


若宮正子さんは日本で最も有名な83歳かもしれない。彼女に紐づけられた言葉は華々しい。「エクセルアート」「アプリ開発者」「TED出演」「国連演説」。昨年、アップル社 ティム・クックCEOとの対談はメディアで大きく取り上げられた。


アプリ開発をする。国連で演説をする。高齢社会の希望の星のように取り上げられる友人若宮さんを誇るとき、笑顔とともに、彼女とのエピソードに自分がどのようなかかわりを持ったのかを誰もが話す。傍からは、何でもこなしてしまうスキルを持ち、新たな領域を自らの力で切り開いていく女性に見える。


こんな記事を読んだら何だか元気が湧いてきたように思う。年齢差は7歳なのだが、このお祖母ちゃんにはかなわないが、プログラムの何たるかを勉強してみたくなった。
小学生にも負けたくないし、83歳の若宮さんにも負けたくない・・・・・が。

2018年11月17日土曜日

法務局が裁判所になった差出人

もし、地方裁判所から訴訟最終告知なるハガキが届いたら、詐欺と分かっていても何だか気持ちがいいものではない。
有料サイトの利用料金未納の訴訟最終告知と似て非なるハガキではあるが、仕掛け人は同類の人種がやっている。


「地方裁判所管理局」名で、給料などが差し押さえられる可能性を示唆し、電話連絡を求める不審なはがきが全国に届き、記載住所に近い東京地裁に問い合わせが相次いでいる。10月だけで同地裁と立川支部に約550件の相談があったといい、同地裁は「詐欺被害に巻き込まれる可能性がある」と注意を呼びかけている。

はがきは「特定消費料金 訴訟最終告知のお知らせ」のタイトルで、「貴方の利用されていた契約会社、ないし運営会社から契約不履行による民事訴訟として、訴状が提出された」と記載。連絡がない場合は、給料や不動産などが差し押さえられるとし「裁判取り下げなどのご相談は(中略)職員までお問い合わせ下さい」と「03」で始まる番号への連絡を求めている。

しかし、記載された住所は東京地裁に隣接する弁護士会館のもので、電話番号はいずれにも無関係。同地裁によると「そもそも地裁内に『管理局』自体が存在しない」という。
同地裁には、確認できただけでも関東地方の都県以外に、北海道▽福島▽愛知▽京都▽兵庫▽広島▽鳥取▽山口▽高知--から相談があったという。問い合わせは「本物の地方裁判所からのはがきではないと思うが、確認のために電話した」との内容が多いが、「記載された電話番号に連絡したところ、折り返すと言われたが、連絡がない」などと実際に連絡を取っていたケースもあったという。

同地裁の担当者は「以前は、実在しない『法務省管轄支局』を名乗る不審なはがきに関する問い合わせが裁判所にも来ていたが、新手の詐欺手口のようだ。はがきが届いた方は指示に従わず、警察に相談してほしい」と話している。

こんなハガキを見て動揺する人間が如何に多いかであるが、オレオレ詐欺にまんまとやられたという知り合いの人がいる。何でもその人の息子さんは警察官だという。その息子を語る「かけ子」にまんまとはまったと話しておられた。「おれだけはだまされない」と思っている人が意外と被害に遭うという。
以前として振り込め詐欺被害も絶えない。テレビや新聞でこれだけ騒いでいるのになんで被害に遭うのか不思議である。我が子が困ったと電話してきたとき、気が動転して何とかしてやりたいという親心がそうさせるのだろうが・・・・

2018年11月16日金曜日

町会は決して衰退しない!

同一地域の居住者が、自分たちの共通利益の実現と生活の向上を目的として作る組織が町内会である。だが、マイカーとコンビニとSNSがあれば、隣人との付き合いは不要と思われることも多いらしい。その背景には、日々の仕事や生活に追われるなかで、いま地域がどうなっているかの情報もなく、直接関係のあること以外はなるべく関わりたくないし関わる余裕もない、という住民生活の姿があるという。そしてそのために、こうした住民で組織される町内会・自治会は、組織への加入率の低下や役員のなり手がないという、組織存続の条件を欠く事態に追い込まれようとしているのである。

幸いにして自分の住んでいる地域では、ほぼ100%の町会加入率を誇る。290世帯の町費の納入トラブルは聞いたことがないくらいである。


毎年1月に開催される総会資料に、会計報告として収支内容がきめ細かく表示される。町費の使途は住民が納得できる内容で明示されているのである。

ところで、人間は生身の存在として、足を置く大地なしに生きていくことはできない。そして、同じ地域に留まる者の間には、意識するしないにかかわらず何らかの関係が存在しているのである。自然災害も、環境問題や各種の地域的な人災も、特定の地域範囲で、程度差はあれ、そこに居住するすべての人を巻き込んで害を与える。深刻な災害時には、ほとんど例外なく『災害ユートピア』が出現するが、そこでは性・年齢も職業も家系も民族・国籍も関係なく、同じ場所にいるということが、かれらの関係を規定する。それが地縁関係の基本である・・・・と記述した人がいた。

町会に何が不足しているかといえば、情報発信力の向上なのだ。町内会・自治会の未加入者が、加入しない理由としてあげる主な理由は、「多忙」と並んで「地域のことがわからない」ということがある。情報発信の重要性に見合った人材の確保と広報体制づくりがぜひとも必要だが、各種の職業で情報発信の経験を積んだ退職者が地域にもどってきているのである。この人たちの組織化が重要なポイントである。 

うちの町会は、10年前から情報発信力強化こそが町会活性化につながるものと考え、町会ホームページを開設した。この分野に精通した人を見出すことに成功して、町会HPのほか町会ブログで、行事等の活動模様を写真を多く取り入れて住民の隅々まで町会は何をしているところかを「見える化」したのである。ブログを見ない人にも配慮して、ブログ発信した行事等について、「町会だより」に全ての記事を掲載している。

また、地域コミュニティーの基本は、「先ず集うことから始まる」であることから、「茶道・料理・クラフト・カラオケ・生け花・パソコン」等の同好会を毎週のように集会所で開催しているのである。町会として18年間集会所改築資金を積み立てた熱意に応えるため、集会所は毎日のようにフル活用されているのである。

🔴町会は,安全で住みよい地域社会の形成にとって 欠くことのできない存在であり,住民間の一体感 の醸成に必要なものです。 

2018年11月15日木曜日

宇出津大敷網ブリ大漁

ちょっといつもより早いニュースがあった。
昨日は宇出津大敷網でブリが大漁だったという。

ブリは沖合約2キロに設置された宇出津港周辺の定置網4カ所で捕れた。能都支所によると、寒気が南下した影響で魚群が石川県沖に移動したとみられる。水揚げされたブリは9割近くが重さ8キロ以上で、10キロを超える大物が多く、最大は15キロだった。

それが何と1200本!
金沢市中央卸売市場で14日、今季最多となるブリ約1100本が競りに掛けられ、活気づいた。同日、能登町宇出津港で約1200本が水揚げされたためで、市場関係者によると漁期序盤で千本を超えたのは約10年ぶりとなった。石川中央魚市(同市)によると、今季は出漁時に大群を見掛けることが多く、担当者は「今年は豊漁になる見込みがある。多くの県民に味わってもらいたい」と話した。

金沢中央卸売市場
宇出津港では今季も、ここ数日の水揚げは100本程度と例年に比べて低調だったが、能都支所の担当者は「寒気が南下してきたので、魚が敏感に反応し、群れがやってきたのではないか」と推測した。昨日もは100本が宇出津港でせりにかけられた。
そのぶりは地元で販売されるのだろうか。
業者が買い付けてトラックに積み、とりあえず能登海浜を走り、途中、全国の市場価格を調査比較して最も高く売れる市場へと運転手に行き先を指示し、トラックはそこに直行したものだと聞いたことがある。中央卸売場から今でもそうしているかも知れない。

11月~2月に能登半島沿岸で水揚げされる7kg以上のぶりを「天然能登寒ぶり」と言う。宇出津港のぶりは12~1月の2か月間、10㎏以上のぶりを「のと寒ぶり」と呼び、専用のタグをつけられて値段も高くなる。しかし、12~1月に水揚げされる寒ぶりは8~9kgでも丸々としてとても美味しいものがたくさんある。

能登の寒ぶりが美味しい理由。それは、脂だけでなく、旨みも非常に強いからだ。ぶりは、九州沿岸で孵化し、夏から秋になるにつれて成長しながら北海道へ北上する。そのあと、冬に近づいてくると体内に養分を蓄えながら南下し、佐渡島を通過して富山湾内に入ってくる。氷見の寒ぶりはエサの豊富な富山湾で水揚げされるが、のと寒ぶりも同じ富山湾内の能登町宇出津港で水揚げされている。当然、氷見寒ぶりと同質の寒ぶりが味わえまるのだ。 

ぶりかま塩焼き
ブリ大根とか照り焼きとかいろいろな料理があるけれど、日本酒に合うのが「ブリかま」の塩焼きだ。
いわゆるエラの部分を塩だけで焼く。
つまむと身がほろりとお箸にのってきて、これがまた旨い!

 刺身にしても照り焼きにしても実にうまい。

これから益々あぶらが乗ってくる

照り焼きもいいなぁ
大根と煮てもうまい
酒粕入りブリあら煮はどうですか

回転ずしで食べるブリは養殖なのかな?季節を問わずいつもあるもんねぇ。
1本丸ごと買ってきて三枚におろして余すところなく全部食べるとするか!

2018年11月13日火曜日

町会長のなりて探し

2,3日前、町会の配布物が配られた。「町会だより」のほか、「当面の行事予定」と「町会長の候補者募集について」があった。
当町会の年度は新年から年末までの1年間なので、来月には町会長の候補者が決まっていなければならない。
現町会長は6年間務めたから、何が何でも今年限りで退任するという決意が強く滲んだ文書になっていた。

就任時に「2年や3年では町会長として「やった」という成果は見えない。最低6年間はやらんとだめだ」と元町会長から強く云われ、今日までそれなりにやってきた。それに最近2回も入院して体力的にも限界である・・・・という趣旨の文書になっていた。

「私の後釜が決まった。〇〇さんと話がついた」と2年前には喜色満面で話していたが、それが実現不可になったという。理由はと尋ねると、「奥さんが首を縦に振らないから」だという。町会長が直接奥さんを説得できるかにかかっている。
副会長を担った人にも適任者と思われる人がいるのだが、昨年から体調不調でお願いするのは困難な状況であるという。

校下内に23の町会がある。うちの町会以外は、任期2年、輪番制が殆どである。1年限りとする町会も複数あるのだ。
誰もやりたがらないのが町会長である。その業務は余りにも広範囲。数ある行事をこなし、町内清掃やごみ処理の指揮を取り、福祉活動をはじめ、防災活動等々をこなさなければならない。うまくいって当たり前、そうでない場合はコテンパンにとっちめられるのが町会長という仕事である。
現町会長は見事にそれらを当然のように処理した。盆踊り大会の寄付集めには他の人ではとても不可能な100社以上の協賛を仰いだ。

そんな実績を積んだ町会長なので、簡単にやってみようかと手を挙げる人は見つからないと思う。現町会長が「この人」と見極め、同意を貰うまでしぶとく日参するしか方法はないだろう。
お助け隊という金沢市内に初めてとなる組織を立ち上げ、高齢者から感謝の言葉が途切れないという。町会長を退任した後にも仕事はしてもらわなければならない人が現町会長なのである。6年間、本当にご苦労さまでした。

2018年11月12日月曜日

加賀藩公認密貿易

何年も前に聞いた話なのだが「銭五」は密貿易で財をなした、その証にロシア極東と交易した証拠として礼文島に石碑が建てられているという話である。
9月に礼文島に行ったのだが、その碑を見たいと思ったが、観光ルートから外れていたのが悔しく思う。

礼文島の銭五記念碑
この碑の傍に礼文町が記した案内板が建てられている。

ロシアとの交易のために、この地に事務所を構えたのだろうと思うのだが、看板を読むとその事務所の片隅でキンツバ焼を売ったのだろうと推察される。地元では「エンドヤ」と親しまれたようである。
碑の横にある看板
銭屋五兵衛の拠点といえば、金石(当時は宮越)は金沢西方の海岸に位置し、石川県では珍しく、数理に明るい地域であったと紹介する人もいるという。この地に隣接する粟ケ崎には木谷藤衛門、向粟ケ崎には島崎徳兵衛という加賀藩の財政を助けた豪商がいた。

この地から、現在は存在しないが、商社、安宅産業の創業者 安宅弥吉が出ている。後に世界的な仏教学者になった鈴木大拙の若き苦学時代のパトロンでもあった。

因みに、現在、大会社になっている、日機装の創業者もこの地、金石の出であるという。

紀州の紀伊国屋文左衛門、薩摩の浜崎太平次、加賀の銭屋五兵衛は 江戸時代の「実業界の三傑」と呼ばれたという。
肝心の本像が高すぎ!
遠く、日本海を眺望している銭屋五兵衛の像だという。 
遠く海を眺めているという
銭屋五兵衛は、江戸後期に活躍した加賀の豪商。大阪、江戸を始め全国約30ケ所の支店、出張所を持ち加賀藩の財政を大いに助けた。
明治24年(1891)5月3日、読売新聞に信じられない記事が載ったという。
オーストラリアのタスマニアへ興行に出かけていた日本人の軽業師が、現地で日本語の書かれた石碑を発見。その石碑には、「かしうぜにやごへいりようち」の13字が書いてあったそうだ。

この文字を漢字に直せば、「加州銭屋五兵衛領地」。江戸時代に加賀藩(加州)の金沢で活躍した豪商・銭屋五兵衛が、タスマニアを領有していたというのである。その面積は、なんと島の3分の1に及ぶというではないか。

当時は鎖国体制下、外国との交易は厳禁されていたが、金沢藩への献上金への見返りとして黙認されていたと言われる。銭五は本多利明の経済論や、からくり師として名を知られた大野弁吉などに影響を受けていたと言われ、海外交易の必要性を痛感していた。蝦夷地や択捉島ではロシアと通商し(礼文島には「銭屋五兵衛貿易の地」の碑が建てられている)、樺太ではアイヌを通じて山丹貿易を、また自ら香港やアモイまで出向いたり、アメリカ合衆国の商人とも交易したといい、オーストラリアのタスマニア島には領地を持っていたともいう。
銭五の肖像画
オーストラリアにまで交易に行ったとは!これまで自分が持っていた銭五のイメージが一変した。
その銭五は39歳のとき、3隻の船を元手に海運事業を始めた。大坂から松前までのルートで各寄港地で商品の取引を重ね、一航海で3億円の利益を上げたという。
このころ加賀藩は財政が逼迫しており、藩は五兵衛から多額の借金を重ねた。今の日本と一緒で、ふくれあがる借金に改革(天保改革)をするが、案の定、うまくいかない。

で、起死回生の一手として、やむなく海運業を藩で行うことになった。もちろん「士農工商」の時代なので、これは屈辱的なことだったが、背に腹は代えられない。

このとき、五兵衛の3つの船が藩に買い上げられ、経営を委託された(御手船裁許)。こうして藩の改革に協力することで、五兵衛は一代で財をなしたのである。伝説によれば、全国に支店34カ所、持船は約200隻を数えたともいう。

銭五記念館展示の北前船
藩重役の交代で銭五の処遇が一変することになる。河北潟埋め立て事業で毒をまいたとでっち上げで投獄された。一族郎党全て捉えられ弟は張り付けにされたと記録にある。
藩の財政も借金帳消し、加賀藩万々歳ということになったという。
善政を敷いたという加賀藩の政治に吐き気を覚えた。