2020年9月21日月曜日

PR不足の能登長寿大仏、日本三大大仏の高岡大仏より大きいとは!

 今から十年前の平成22年6月、町内シニアクラブがまだ福寿会と称していた頃、能登方面に研修旅行に出かけた。目的地は能登空港見学、明泉寺、中島まつり会館等であった。穴水から中島に向かう途中、峠を越えしばらくして左側の道に入って公園のような場所で降りた。そこは行ったことがない「真和園」という私設の公園だった。10分ほど園路を行くと緑色した大きな大仏が見えてきた。「エッ、こんなところにこんなどでかい大仏が!」と驚いた。そんな噂話も聞いていなかったので全く知らなかった。

そもそも真和園ってだれの所有なのか?と思い、調べてみた。で、穴水町で建設会社をされていた堀内秀雄さん(明治41年~平成21年)という方が「町民の安らぎになれば」と、長い年月と私財を投じて建立されたという。その精神が生かされ、入園料は開設当初から無料となっている。

園内に複数の蓮如上人等の像

席上の横に蓮如上人の詩

三重の塔
そしてドカンと能登長寿大仏が鎮座

大きさに圧倒された
能登長寿大仏を含む真和園は、これだけの施設を有し手入れされているにも関わらず、拝観料は無料なのだ。園内には無料の専用駐車場やトイレもある。
園内は広大 こんな極楽橋もある
能登長寿大仏の総高さは13.7メートル、総重量は32トンにも及ぶ。大仏の高さは8.4メートル。これは日本三大仏のひとつ富山県高岡市にある「高岡大仏」の高さ7.43メートルを超えてるのだ。建立は2003年。2000年代に入ってから作られた大仏で、表面にはまだ新しさが残る。で、能登長寿大仏の「長寿」の名は、建立者が百歳まで生きたことに因んでいるという。

高岡大仏座高=7.43m
能登長寿大仏座高=8.40m 約1mも大きい!

よって、日本三大大仏は奈良、鎌倉、能登長寿と入れ替わるのである。これは遅きに失した感は否めないが、ようやく穴水町は今月12日に、観光の柱として売り出している同町乙ケ崎の阿弥陀如来座像「能登長寿大仏」の案内看板を同町此木交差点付近に設置した。看板は縦7メートル、幅1・5メートルと大きめ。両面に青空の下、鎮座する大仏と日本語、ローマ字で「能登長寿大仏」、下部に「ここから車で10分、5キロ」と記されている。三重塔や極楽橋などもあり、穴水湾岸から大仏に至る1・8キロで遊歩道が整備されている。町の担当者は「大勢の人に立ち寄ってもらい、穴水に大仏があることを知ってほしい」と話した。

 

穴水町がようやく能登長寿大仏のアピールに乗り出した

2020年9月20日日曜日

4連休初日、全国各地に観光客がドッと

 昨日の朝、TVで4連休中の航空機、ホテル・旅館、JRの予約が「満員盛況」と報じていたが、実際、蓋が開いたら凄い人出で賑わったというニュースが溢れた。政府の観光支援事業「Go To トラベル」が始まる中、四連休の初日を迎えた二十三日、新型コロナウイルスの影響で客足が遠のいていた全国各地の観光地は、久々のにぎわいを見せた。

羽田空港の賑わい

京都清水坂にもドッと
金沢駅前も

東茶屋街も久しぶり
これだけ人の動きがあれば、ホテル、飲食店、その他諸々に活気が戻り、それに関わる多くの勤労者の職場が確保される。
非常に喜ばしいことなのだが、手放しで喜べないのである。コロナに感染する人も人出に比例して多くなること必定だろう。

秋田県ははっきりと、「秋田には来ないでください」とアピールしている。この言葉だが、本当に秋田県全体の意見なのか、知事の独裁で県民の意思表示としたのか定かではない。
秋田県の観光に携わる業界も含めた見解なのかどうかである。
かくいう自分は「怖いなぁ」と思っているし、できるだけ外出は控えようと用心深いのである。

2020年9月19日土曜日

2ヶ月ぶりのクリニック

 通風を発症してからもう4年ほど経過した。その薬を2ヶ月毎に出して貰っているのだが、切れそうになったので朝一番に整形外科クリニックへ行って来た。玄関に入ると、いつもの様子と違っていた。下足箱の隣に消毒液が備え付けられ、その横に受付表に記帳するようになっていた。スリッパに履き替えたら直ぐ受付担当の女性が体温測定器でおでこを照らして平温を確認して中へどうぞと案内された。

2ヶ月毎にクリニックへ
血液検査で尿酸値が7以上の場合は要注意という。5月に検査したデータでは5だった。この5が維持できるように投薬されることになる。朝晩1錠づつ欠かさず飲み続けている。医師から、「体調はどうですか」と問われたので、「異常はありません」と返答したところ、「他に都合悪いところは?」と聞かれ、「全くありません」と返答したら、だいたい何だかんだと云われるものだが、それは結構なことですねと話された。会計200円を支払って薬局に向かった。

薬局も玄関ドアすぐに消毒液が。でも検温はなかった。2ヶ月分の薬を貰って380円支払い帰宅した。8時30分に出発して帰宅が9時20分だった。ま、いつもこんなものだ。

2020年9月18日金曜日

元町会長の号泣

 竣工祝賀会で忘れられない出来事があった。公式の祝賀会を終えた後、2階和室で町内住民が祝いあったのだが、その席に平成4年に町会長に就任され、5年間務められたMさんがおられたので酒を注ぎに行った。Mさん曰く、「町会長、あんたでなければこんな立派な会館は建たなかった」とおっしゃったので、「いやいや、一番の功労者は何と言っても積み立て制度を立案決定されたあなたがおられたからですよ」と云ったら、顔をくしゃくしゃにして何と号泣されたのである。そして、「そうおっしゃってくれるのはあんただけや」と。

竣工の数ケ月前に開いた役員会において、「どうにか竣工の日を迎えられる目処がついた。そこで会館の利用は、長期間積立金の協力があったので、広く住民に開放すべきと考え、その方策として各種サークルを発足させ利用促進を図りたい」と提案した。方針が決定し直ちに会員募集活動を開始した。数あるサークルで人気が高かったのは、クラフト同好会、料理同好会、カラオケ、囲碁、生け花、グラウンドゴルフ、茶道等であった。各同好会の代表世話役は町会長が指名したのだが、10年経過した現在も代表者の方が頑張っておられる。また、会館利用開始とともに導入したのが、いつでも利用可の精神で会館の当番制を取り入れ、常駐体制としたが、2年程前から高齢化が顕著となってやむを得ず取りやめとなった。が、同好会活動はまだまだ盛んに行なわれている。

今改めて考えてみると、現在と10年前の自分の行動力を比べてみると、この年になるととてもあの頃のまねはできないなぁ・・・である。

旧集会所取り壊しで借家、それに伴う引っ越し、それに会館竣工に伴う各種届け業務が目白押しだった。


これは、会館の不動産取得税減免申請書だが、減免の作文が大変だった。しかし、幸いなことに、幸町の県税事務所に町内の住民がおられたので円滑に事務処理が進んだ。市民課の担当者、勤住協の理事長、県税事務所の係長、建築設計会社の社長、大勢の皆さんのお力を賜って建設事業を終えることができ感謝に堪えない思いを忘れてはいけない。

2020年9月17日木曜日

予定価格と競争入札

建物の詳細設計が固まったのは、平成20年が暮れようとしていた頃だった。詳細設計が決定し、予定価格の算定を建築設計会社に依頼した。平成21年3月、予定価格算定書が町会に納品された。建設工事費は4,800万円。これに対して貯金残高は2000万円+α。差し引き2,800万円。これをどのように調達するかが最大の課題となった。

市民課へ補助金交付申請の協議をすること数回、ようやく交付金額が提示された。その額は1,200万円、そして、市民課担当者曰く、「県の補助金申請はどうされますか」と問われた。県から補助金が交付されるとは全く知らなかった。そして、「市から県に申請できますよ」と云われたので、渡りに舟、「是非お願いします」ということで申請書にハンコだけ押して市にお任せした。

結局、交付金は市から1,200万円、県から500万円と決定した。
不足額=2,800万円ー1,700万円の1,100万円だった。このほか、テーブル、イス等の調度品関係費用も必用だった。
そのため、町内から寄付金を募ることにした。近隣関係者からも協力して貰うことができ、総額230万円が寄せられた。

平成21年春、建設業者5社を選定して見積もり依頼をした。その結果、予定価格より1,500万円も低い3,300万円で落札した。これには鈴木建設の熱意にほかならなかった。最高額が4,500万円、その差1,200万円も!これには町会として大助かりであった。
建築設計会社と工事管理契約を締結し、いよいよ起工式(地鎮祭)を挙行することができた。

起工式

歴代町会長も参列
平成20年8月から翌21年3月まで、鈴木建設の誠意ある仕事により荒屋会館の竣工をすることができた。

2020年9月16日水曜日

間一髪、危機を逃れる!

平成20年、町会長歴3年目、1年で辞めると公言していたが、パンドラの箱を開けてズラかることは周りが許さなかった。建物の詳細設計に入り、それと平行して市役所と補助金に関する打ち合わせを進めることになった。補助金申請協議において、地権者である石川県
勤労者住宅生活協同組合(以下、勤住協という)の同意書が必用になった。昭和37年から分譲が開始されたが、施工者は労組系である労金傘下の勤住協であり、集会所敷地を造成し町会に貸与していたのである。
勤住協が入居(4階)していたビル
ここで筋書きどおり、地権者の新築同意書を提出すれば仕事としては円滑に進む。
以前住んでいた山王団地の集会所も勤住協が地権者だった。
しかしである。地権者はいつまでも地権者であるのか?という疑問が湧いた。万一、地権者の都合で立ち退きを迫られたら・・・と懸念したのである。

意を決して、勤住協に土地譲渡のお願いをすることにした。文書を作成し、勤住協に出向いた。そうしたら奇遇、何と中学の同窓生が理事長だったのである。鉄骨造、三階建て、の集会所案を示し、土地譲渡をお願いした。
理事長曰く、「趣旨は分かった。だが、これには理事会にかけ承認が必用となる」と。
4ヶ月後、承認の旨連絡が入り、即、所有権移転登記手続きを済ませた。この時、平成21年3月だった。

事変は6月に発生した。何と、勤住協が破産!と驚愕する記事が新聞に掲載されたのである。正に危機一髪、8月から旧集会所撤去、新集会所基礎工事に入ったところだった。
9月に勤住協破産の詳細が発表された。
そういえば、所有権移転関係書類を受け取りに行った際、理事長が有償であれば500万円くらいは助かっただろうに・・・とつぶやいていたのが忘れられない。



2020年9月15日火曜日

パンドラの箱(2)

集会所改築プロジェクト検討委員会はほぼ4ヶ月に1回程度開催した。メンバーは町会役員のほか、子ども会育成部、青年部長、老人会長、民生委員、新設されたサロン代表、町会長経験者等の二十数名で構成された。
旧集会所使用状況
検討委員会で発言のあった事項は次の通りであった。
(質問事項)
1.現在位置は狭すぎる(100平米前後)。町内に下水道整備に伴い調整池として機能していない設備がある。この場所に北小公園を移設し、その跡地に移転してはどうか。そうすれば、ゆとりのある間取りが可能、駐車場も数台は可能となる。
2階は床が抜ける恐れがあり使用禁止中、台風で屋根が飛ばされたこともあった老朽化が顕著な旧集会所
2.1案について反対である。目の前が公園になるのは子どもの声が迷惑である。
(回答)
ア.理想的な提案だが、公園移転費の負担、集会所敷地の整備費、建築面積増大の費用等々、資金面に負担が大きすぎる。借入金の返済負担で、さらに何年も積み立てを継続しなければならなくなる。
イ.昭和37年から分譲開始となった当団地住民は、高齢化が進んでおり、既に十数年積み立てをしているので、これ以上改築を伸ばすことは避けなければならない。さもないと、積み立てだけして新しい集会所を見ずに亡くなる場合が増加することも考えなければならない。

これにより、現在位置で基本設計を進めることにした。