2019年4月14日日曜日

週刊誌記者の取材を受け自粛?そんな馬鹿な!

習志野に抗議した星稜・林監督が監督を降りて指導自粛しているという。
代行はヤマカンの息子が努めているんだとか。
これに関連したニュースの記事を読むと、高野連の何もなかったとしたことと、「何で林監督が自粛せんなんのや」と疑問符が付くのである。
試合のVTRを見れば2塁ランナーの動作はサインを盗んでバッターにサインを送っているとはっきり素人でもわかる。

しかし、VTRに映っているとはいうものの、本人が「やっていない」と云えば証拠はないのだ。習志野の監督は「あんたらもやっていた」と林監督に食って掛かったというが、そんなことを云った覚えがないとシラを切った。これも咎めようがない。
で、高野連は「サイン盗みは無かった」ことにしてしまった。

いじめの問題でも同じことをしている。学校や教育委員会は「なるべく穏便に」、「できればなかったことに」したいのだ。高野連は林監督の意見を聞き、資料提出を求め、第三者の意見を聞くくらいの度量を持つべきと思う。やった、やらないの判断よりも、問題をどうすれば今後同様の問題を無くすことができるか一考をするよう求めたい。

戦い終えて甲子園を後に
星稜・林監督、指導自粛 期限は未定 サイン盗み疑惑で抗議
4月13日(土)14時58分 スポーツニッポン
今春の選抜大会に出場した星稜(石川)の林和成監督(43)が部員の指導を自粛していることが13日までに分かった。今月5日から自粛しており、現段階で期限は未定。13日の練習試合は山下智将部長(37)が指揮を執った。

同監督は3月28日に行われた選抜大会2回戦・習志野(千葉)戦後、二塁走者が捕手のサイン盗みを行っていたと主張。会見後に相手控え室へと乗り込み、異例の直接抗議を行っていた。監督、学校は一連の言動について日本高野連、対戦相手等に謝罪。日本高野連もサイン盗みの事実はなかったと結論付け、主張の確認作業をするため、林監督が直接視察し、同様の行為があったと主張した1回戦・習志野—日章学園戦の映像の提出を依頼していた。

学校関係者によると主張について、監督が帰郷後に学校側の許可なく週刊誌の取材等を受け、掲載されたことが原因。学校側が自粛を要請したとされる。期限は決められておらず、復帰時期は未定。27日に初戦を迎える春季石川県大会で指揮を執る人物も未定となっている。
監督は帰郷日の3月29日に取材に応じ「何らかの処分となれば重く受け止めたい。ただ軽はずみに言ったわけではなく、高校野球界全体を考えて言わなければと思った」と話していた。


● 1999年以前「サイン盗み」は 当然のチームプレーだった
走者やランナー・コーチが、捕手のサインを盗んで打者に伝える行為は禁じられている。1998(平成10)年に通達が出され、翌99(平成11)年のセンバツから適用されている。
それ以前は、二塁走者が打者に手の動きなどでサインを教える行為が公然と行われていた。禁止の概念も規定もなかったため、当然のチームプレーと誰もが認識していた。

二塁走者は投手の後方にいるから、捕手のサインが丸見えだ。よほど複雑なサインでなければ見破ることはできる。高校生の場合、スピードアップの意味もあり、たいていは指一本が直球、二本がカーブといった単純なものが多い。次にもう一度指を一本出したら内角、二本が外角といった具合。そうやって球種とコースを確認し合う。

いずれにしても、攻撃側は二塁に走者を送るたびに情報が得られるので、早い回でサインを把握することもできる。中には、センターのバックスクリーン脇の外野席に関係者が陣取って、双眼鏡でサインを覗き、解析してベンチに伝えるチームの存在もたびたび指摘されている。


林監督の早期復帰を心から願うものである。

2019年4月13日土曜日

吸い込まれたら一貫の終わり

日本にも来たことがあるあのアインシュタインが、宇宙に「ブラックホール」なるものがあると予言した。
このほど、地球から約5500万光年も離れた位置の銀河「M87」にあるというブラックホールの姿が写真撮影に成功したという。
視力が300万あれば肉眼で見える!?
あらゆる物質をのみ込む巨大ブラックホールの撮影に、国立天文台などの国際研究チームが世界で初めて成功し、10日発表した。世界6カ所の望遠鏡で同時に観測して解像度を飛躍的に高め、真っ黒な穴を捉えた。ブラックホールの存在を直接裏付けたことになり、銀河の成り立ちの解明につながる。 

ブラックホール、破壊と創造の主 天文学100年の夢 論文は、米専門誌アストロフィジカル・ジャーナル・レターズに掲載された。
日米欧などの研究チーム「イベント・ホライズン・テレスコープ」が撮影に成功したのは、地球から約5500万光年離れた銀河「M87」にあるブラックホール。

ブラックホールは重力が極めて強く、光も吸い込んでしまう。光が脱出できなくなる境界は「事象の地平線(イベント・ホライズン)」と呼ばれる。巨大ブラックホールは宇宙に無数ある銀河の中心にそれぞれ存在すると考えられているが、誕生の仕組みなどはわかっていない。これまでは、周囲を回る星の動きなどから、間接的に存在を確認していた。


光が強力な重力のため閉じ込められ光そのものは見えなくなるという。凡人の頭では理解不可能である。
何せ心配なのは、やがて地球もそこに手繰り寄せられ吸い込まれないのかどうかだ。
これは心配し過ぎだという。距離が5500万年光年。光の速さで5500万年もかかる場所にあるため心配ないのだという。フーン・・・としか、いいようがないなぁ。

こんな壮大な宇宙の営みを考えれば、人間世界のやっていることが如何に小さいか。
だがまてよ、オレンジ色に囲まれた黒い空洞を遊覧飛行できないか、馬鹿げた想像を続けることにしよう。

2019年4月12日金曜日

400年前、日本を測量して日本地図を作製した西欧人がいたとは!

1590年っていえば関ケ原合戦の10年前だが、この年の8年前に日本を出発した天正遣欧使節団が帰国した年だという。

この使節が日本を発ったのは、天正十年(1582年)だった。ちょうど本能寺の変があった年だが、出立は1月だから、彼らはそのことは知らないのだ。
帰国したとき、使節たちは天下人が信長ではなく秀吉だったことに仰天しただろうと想像する。
遣欧目的は、ずばりキリスト教のためだった。

大航海の末帰国した
まだ先入観が少なく、価値観も出来上がっていない少年たちにキリスト教世界を見せて、「キリスト教と西洋文明はスバラシイ!!」という認識を植え付け、日本での布教を進めようとしたのだ。

これはさて置き、この稿は遣欧使節団について記すものではない。実はこの使節団の帰国に際して、ポルトガルの地図製作者、イグナシオ・モレイラ(1538年ごろ~没年不詳)が船に同乗して日本に来たのだという。
モレイラは、天正遣欧使節の日本帰国に同行し、1590年に来日。滞在した約2年間に鹿児島から京都までの西日本を測量した。更に、1591年1月に豊臣秀吉に面会した際、京都に集まっていた東日本の大名から情報を集め、世界で初めて実態に近い日本地図を作ったとされる。
そんな人間がいたとは今知ったばかりである。日本史の教科書にもモレイラという人物名はなかったと記憶している。

で、どんな地図ができたかというと、

鹿児島から京都までは実測した日本最初の地図
対馬はやたら大きく能登半島はやたら小さく、佐渡は大きい。意外と東海道から房総半島にかけての地形はかなり正確な感じではある。秋田・岩手・青森は「いいかげん」である。京都以東はヒアリングで作成したとあれば「ま、こんなもんか」であろう。

総合地図会社、ゼンリン(北九州市)が、16~20世紀にヨーロッパなどで作られた地図692点を購入した。このうち、ポルトガルの地図製作者、イグナシオ・モレイラ(1538年ごろ~没年不詳)の地図を基に、フランス人版画家が刷った「日本図」は現存する唯一のもの。これを含む30点の地図を近く東京都内で公開する。
大航海が盛んな頃、星を観察しながら現在位置を知ることは計測機器の発達で容易だったに違いない。そんなことから、測量学も発展し詳細な測量ができるようになりつつあった時代である。伊能忠敬の大日本沿海輿地全図は完成したのが1816年。
モレイラが上陸して220年後、グーグル地図に劣らない大日本沿海輿地全図が完成した。50歳から測量学を学び日本全国を歩き回って70歳でなくなった。

定年後何をすべきかという本が売れているという。伊能忠敬の意気込みを見習うといいのかもしれないなぁ。


2019年4月11日木曜日

通勤途上の花見

春の冷え込みが続いているが、関東地方では積雪があると予報されている。
金沢でも通勤時間帯の「人と桜の模様」が昨日の夕刊に掲載されていた。


こんな風景を眺めて、もう10年以上も経過した自分の通勤途上の風景に思いを馳せた。
平成10年4月に転職先へ通勤することになった。通勤手段は自宅前のバス停からバスに乗って大和の前か次の金劇前で降りるのだが、大和の前で降りる場合は竪町通りから幸町庁舎まで歩いた。ある間隔で設けられたスピーカーのある道路はここしか見たことがない。
金劇前下車の場合は、犀川大橋手前の市道を左折してしばらく歩いて犀川河川敷の芝生を踏んで歩いた。
このルートは最高に気分が良かった。アオサギがじっと川面を見ている姿、カモが群れを成して泳ぐ姿、どれも風情ある風景に溶け込んでいた。こんな通勤を9年間も続けた。

そして最も楽しんだ時季は今頃の通勤花見だった。
犀川の堤防となっている市道に、桜並木があった。その桜は長谷川等伯の絵に描かれているような老木の桜並木なのだ。

このボリューム感が素晴しい
河川敷に大きく枝が張り出している様は壮観
毎日通勤の醍醐味
桜橋から寺町に至る坂の桜も風情がある
桜が咲く季節の帰宅時間帯は歌劇座の前を通り、兼六園の花見となる。

広坂通りのぼんぼりと満開の桜
右下は掘を埋めた車道
この風景も人気がある
曲水沿いの桜並木
この曲水沿いの桜並木なのだが、自分が中学生の時、夜桜見物に連れて行ってもらった際に見た桜と全然違うのに愕然とした。老木になって上部の枝が切り払われているのである。あの頃の照明に照らし出された桜並木は、それはそれは見事なものだった。

兼六園から白鳥路を通り、百間掘を歩いた。

それなりに楽しめる白鳥路
通勤花見の最後の見どころ
ここから近江町・武蔵・金沢駅と歩き電車で森本駅から徒歩10分で帰宅した。
あの頃が懐かしいなぁ。



2019年4月10日水曜日

鶴仙渓の川床

4月だというのに昨日も今日も薄寒い。
そんな中、今月一日から山中温泉の鶴仙渓に川床が営業開始したという。
川床は計6基設けられ、今年は新たに木製のカウンターとベンチのペアシートが1基設置された。赤い傘の下で、清流のせせらぎを楽しみながらくつろぐことができる。川床では山中出身の料理人道場六三郎さん考案の洋菓子「川床ロール」や「冷製抹茶しるこ」を提供する。

川床は今年で12年目となる。営業は11月末までで、昨年は約2万5000人が訪れた。



鶴仙渓には五年前に初めてそこに行った。
山中温泉の街外れにある「こおろぎ橋」から1kmほど、渓谷の右岸側に設けてある遊歩道を歩いて「あやとり橋」まで歩いた。

遊歩道はこおろぎ橋から始まる
中々雰囲気も良い
景色を堪能しながら歩く
あやとり橋が見えてきた もうすぐ終点だ
川沿いにはホテル群がずらりと並ぶ
不思議な構造のあやとり橋 
あやとり橋を渡る際、「なんと複雑な構造なんだ!」と驚いた。数々の橋を設計した経験があるが、このような応力計算はどうするんだろう?と技術屋としての血が騒いだ。
旅行した季節は紅葉シーズンだったので、川床は店じまいしたのかその姿はなかった。
今度山中へ行った際には川床で美味しいものを食べながら景色を堪能したいと思う。

2019年4月9日火曜日

元夕張市長のひたむきな姿

土曜日の夜遅くまで県議選候補者の選挙カーが次々と町内を回っていた。一夜明けた昨日は普段の静けさが戻ってきた。新人がトップ当選、これは前任者の七光りか?前任者も常に選挙戦はトップ当選されていた。功績、知名度、信頼感、オール100点だった名跡を忌憚なく見事に承継された。

今朝の新聞では知事選で自民対自民の対決が何件かあったと伝えている。副大臣の忖度発言が災いした云々という記事もあった。
最も目を引いた記事は北海道知事選だった。


与野党が全面対決する構図となった北海道知事選挙は、与党側が推薦した元夕張市長の鈴木直道氏が初めての当選を果たした。野党色の濃い北海道にあって圧勝といえる。
▽鈴木直道(無所属・新)当選 162万1171票
▽石川知裕(無所属・新)96万3942票

自民党、公明党、地域政党の新党大地が推薦した元夕張市長の鈴木直道氏が、立憲民主党、国民民主党、共産党、自由党、社民党が推薦した元衆議院議員の石川氏を抑え、初めての当選を果たした。
鈴木氏は埼玉県出身の38歳。東京都庁に入り、財政破綻した夕張市に応援職員として派遣されたあと、平成23年の夕張市長選挙に当選し、市長を2期務めた人物である。

北國新聞朝刊
東京都知事本局総務部総務課主任として、内閣府地域主権戦略室に出向し、夕張市行政参与を、2011年から2019年2月まで2期8年夕張市長を務めた。

鈴木直道氏が高校2年生の時に両親が離婚されて母子家庭になり、経済的な理由から大学進学を一旦諦めた。
その後、東京都職員になり都庁に入庁したのち「法政大学第二部法学部法律学科」に入学した。

法政大学ではボクシング部主将を務め、ボクシングの腕前もハンパなく体育の単位を取るためという理由で始めたのに「国民体育大会ボクシング競技東京都代表選考」で
「フェザー級準優勝」を果たした。

回顧録から
今も夢に見るのですが、夏休みに家屋の基礎工事で木枠にコンクリートを流す現場で働いたことがあります。朝4時に1人で現場に落とされて、夕方の6時、7時までに全部やっておけ、というんです。夏だから暑くて、屋外の現場だから日陰もない。木枠の陰で休んでいたら、夏休みを満喫している高校生が「何やってんだ、こいつ」という表情で通り過ぎていくんです。みんな楽しそうでね。普通の高校生活にあこがれましたね。 

あの財政破綻した夕張市に石原慎太郎都知事から「お前が行って何とかしろ」と指名されたという。石原都知事の人間を見極める能力・眼力に恐れ入るのみだ。
そして鈴木直道氏は期待に十分応え、平成23年の夕張市長選挙に当選し、市長を2期務めた。

選挙戦で鈴木氏は「ピンチをチャンスに」をキャッチフレーズにして、夕張市長として財政再建に道筋をつけたとする実績を強調するとともに、道外から投資を呼び込んで地域を活性化させると訴えたという。
そして推薦を受けた自民・公明両党の支持層を固めたほか、支持政党を持たない無党派層にも支持を広げ、初めての当選を果たした。 

きっと期待に応え、北海道の名知事として活躍されることは間違いないだろう。

鈴木さん、おめでとございます!


2019年4月8日月曜日

わざわざ兼六園に行かなくても

土曜日に金沢の桜が満開になったと発表された。昨日の日曜日は町内の花見大会が予定されていたのだが、木曜日の天気予報で昨日は雨の予報だった。花見大会を実施する場合、テント等の会場設営や焼き肉等食料の買い出し等の準備があるため、木曜日の予報が雨であれば「中止」にしますよと予め案内されていた。

で、実際は曇り空で雨は降らなかった。やれたのになぁと残念に思ったがやむを得ないことである。
集会所の1階には飲み物、ビンゴ大会用の景品や放送機器類が山積みとなっていたが、町会長が1人で黙々と片づけされていた。花見は2年連続で中止になった。その代わり6月に新緑を愛でる会と名前を変えてイベントが実施される。町会は隣接する町内にも呼びかけ、300人前後が楽しいひと時が過ごせるよう満を持している。

さて、昨日のウオーキングでほぼ満開となった桜をスマホで写し歩いた。いつも撮影目的がある場合は一眼レフを持ち歩くのだが、ウオーキングには重すぎるためスマホで写すことにした。だが、写したデータを見るとやはり写真としてはイマイチである。

花見大会会場となる予定場所だった南小公園
ここから百坂踏切を渡り森本駅自由通路→森本郵便局→荒屋八幡公園へ

ここは8分咲きかな
八幡公園を後にして南方向の歩道を歩くと「あおば歯科医院」の前にある桜が見事なのでこれをカメラに収めた。

花の密度が高くきれいだった
しばらく歩いて県道を横断し、8号線方向の歩道を歩くとカラオケ店の手前を左折して馬道公園に行った。

今話題のレオパレスが後方に見える
用水に沿った狭い道を歩いて鮮やかな紅色の花を写した。花の木は何だろう?


昨日は一瞬たりとも太陽が顔をだすことがない曇り空の1日だったが、喧騒の兼六園よりも近場の桜をゆっくり見て歩いた。これも一興である。