25日は町内シニアクラブの旅行で能登巌門や和倉の青林寺等を訪れた。昨日は町会のブログにその模様をアップするため、前日整理した写真データを探したら、写真フォルダが空っぽだった。ほかのホルダーにあるかも・・・と思い、必死に探したが見当たらなかった。恐らく、誤ってデータを削除してしまったようだ。カメラの記録カードも取り出してチェックしたが、いつもPCにコピーしたら削除しているので、やはりデータは残っていなかった。その作業プロセスの中で、PCデータも削除したとしか考えられない。ごみ箱にも残っていないのが不思議に思う。
で、元シニアクラブ会長に、写真データが皆無の事態になったことを話し、ブログ作成を依頼してアップしていただいた。
能登金剛遊覧船は特別に福浦港から乗船 |
この福浦港も何枚か写したが、削除してしまったらしい。
この福浦港だが、奈良時代には渤海航路の渡航地であり、遣渤海使や遣唐使が出航しており、徳川時代以来の海運界では重要な位置を占め、能登文化の中心地でもあった。
慶長13年(1608年)には日本最初の洋式灯台が築造されたという。近年、天然の良港も内航船舶の大型化による利用船舶の減少が懸念されてきたが、好漁場まで至近距離にある立地を生かして、漁業の根拠港として、また小型船舶の避難港としての役割を果たしているようだ。この港には初めて訪れた。そんな訳でシャッターを多数切ったのだがデータは皆無。はがゆいが自分がやったこと。諦めよう。
この福浦港だが、奈良時代には渤海航路の渡航地であり、遣渤海使や遣唐使が出航しており、徳川時代以来の海運界では重要な位置を占め、能登文化の中心地でもあった。
慶長13年(1608年)には日本最初の洋式灯台が築造されたという。近年、天然の良港も内航船舶の大型化による利用船舶の減少が懸念されてきたが、好漁場まで至近距離にある立地を生かして、漁業の根拠港として、また小型船舶の避難港としての役割を果たしているようだ。この港には初めて訪れた。そんな訳でシャッターを多数切ったのだがデータは皆無。はがゆいが自分がやったこと。諦めよう。
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