実はこの松波城跡は能登線建設で分断されてしまったのである。能登線建設は昭和33年ころから着工されたが、当時は松波城跡とはわかってはいたが、埋蔵文化財の保護という観点が全く重要視されていなかった。鉄道の線形を重視してぶち割ったものである。
しかし、1577年に上杉謙信の能登進攻で落城して以来から放置されたが、その中にある旧松波城庭園跡は、1962年に発見され、断続的に一部が調査されてきた。2012年1月に国指定名勝となり、16年度から全体的な発掘調査が始まった。
発掘調査では土師(はじ)器や珠洲焼、越前焼が見つかり、庭園が作られた時代は十五世紀前半と判明した。敷地内で客人をもてなすための施設だった建物の全容も判明。門近くから建物の入り口につながる礫を帯状に敷き詰めた道の遺構は似た遺構の例がほとんどなく、保存状態も良いため、当時の庭園文化を解明する手掛かりになる貴重なものだという。
発掘調査では土師(はじ)器や珠洲焼、越前焼が見つかり、庭園が作られた時代は十五世紀前半と判明した。敷地内で客人をもてなすための施設だった建物の全容も判明。門近くから建物の入り口につながる礫を帯状に敷き詰めた道の遺構は似た遺構の例がほとんどなく、保存状態も良いため、当時の庭園文化を解明する手掛かりになる貴重なものだという。
こんな写真を見るとまだ列車が走っていると錯覚する |
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