2021年9月10日金曜日

丸越時代の武蔵が懐かしい

金沢駅・金沢城・香林坊・片町の次は最終回の武蔵地区である。古い写真は昭和42年10月、金沢を離れて6年後になるが、殆ど変化は認められない。

メインの建物は丸越デパートである
片町の大和は「見るだけ」のデパートだったが、丸越は実際に買ったデパートだった。湯飲み茶碗セット等の日用品をよく買いに行った。屋上は昭和40年頃から遊園地になった。5階の映画館にも何度か行ったことがあった。金沢駅発の市電はこの交差点で小立野方面、寺町・野町方面に分岐した。丸越の向かい側が金沢市民の台所「近江町市場」は常に人の群れがあった。

三和銀行の前が彦三通り。この道路は大火後に都市計画道路として幅の広い道路となっていた。調べて見ると、明治以降で最大の大火記録は、昭和2年4月20日夜、フェーン現象のなか、横安江町から出火して733戸を全焼した彦三大火である。烈風にあおられた火は瞬く間に横安江町、安江町を焼きつくし、彦三1~8番丁、母衣町、塩屋町、岩根町へと延焼し、第九師団千数百人の応援などを得て約3時間後、浅野町界隈でようやく食い止める至った。翌年ここを斜めに横切る彦三大通り中心とした都市計画が行われて面目を一新したという記録があった。浅野川の手前200mくらいで大通りが行き止まりだったが、平成時代の中期には森山地内まで整備された。だから昭和時代は計画が中途で止ったままだった。

そして今、丸越は場所を変え名前も変え「エムザ」となった

昭和48年10月1日、金沢スカイビルと名鉄エムザがオープンした。スカイビルは金沢で最も高い高層ビルとして長い間君臨してきた。しかし時代の流で最近、ホテルもオーナーが変わり、エムザも名鉄から茨城のオーナーに変更となったが、経営形態は以前のまま引き継がれている。旧丸越デパートはダイエーとなりこの店舗もパソコン等の電機製品を購入しに良く通った。そのダイエーもなくなり、集合住宅やモザイク館となったが一度も足を踏み入れたことはない。近江町は近代的ビルに建て替えられたが、市場の店舗は昔の雰囲気を上手に再現している。今では一大観光地となった。近江町が観光客で溢れかえる時代が来るとは誰が予想できたかである。

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