昭和42年に岐阜市にあった独身寮に1年ちょっとを過ごした。昭和40年と41年に大量採用された(50人前後)多くの若い衆も入居していた。仕事を終え寮に帰ってきて、やることは若い衆と麻雀か一杯飲みにいくかだった。そんな中、伊吹山へパラグライダー教室に通っていた者がいた。俺もやってみたいなぁ・・・と思ったのだが、教室に通っていた者が大怪我をして入院したという話しが伝わってきた。
それから十数年ほど経った頃、鶴来の親戚の家に行くとき、獅子吼高原の上空にいくつかのパラグライダーが飛行しているのが見えた。飛んでみたいなぁ・・・と再びそんな気持ちが湧いた。ゴンドラに乗って頂上に行ってみた。スタート台から次々と飛び立つ姿に見とれた。いつかやってみたい・・・とそんな気持ちが強くなった。だが、月日が流れこの年までやらずじまいとなった。
だが、4月からゴンドラ運航開始というニュースが流れると、また血が騒ぐ。ま、騒ぐだけになってしまったが・・・
ゴンドラとパラグライダー |
スタート成功 |
日本縦断こころ旅で火野正平がここを訪れた。極端なほどの高所恐怖症なので震えながらゴンドラに乗っていた。ともあれ、このスタート台を走りパラグライダーが開いてポカリと浮かび、すぐ手取川扇状地が眼下に広がる景色は絶景だろうと想像する。
先生が空に一緒に舞い上がってくれる・・・いいなぁ |
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