金沢近郊の民衆から 、「 藩の権力者と癒着して密貿易をおこない莫大な財産を築き、河北潟干拓工事では毒物を投入した極悪人 」として非難された銭屋五兵衛。一族郎党が投獄され五兵衛は獄死(80才)した。加賀藩に莫大な資金を供給した銭五が、幕府に目を付けられる前にデッチ上げした冤罪だった。
四,五日前にTVのスイッチを入れたら、たまたま加賀藩第18代当主前田利裕氏が、誰かと会話している場面だった。「何だろう?」と注目していると、年配の女性にお詫びしているシーンだった。その女性は銭屋五兵衛の子孫だという。
18代当主前田利裕氏 |
金石の手前に銭五記念館がある |
中々見応えのある施設だった |
あまり知られていない話しだが、銭屋五兵衛が日本近海で貿易していたと思っていたら、オーストラリアの土地まで保有していたとは!。オーストラリアの東南にある タスマニア島へ興行に出かけていた日本人の軽業師が、現地でコケ(苔)蒸した日本語で書かれた石碑を発見。その石碑には、「 かしうぜにやごへいりようち 」の十三文字が書いてあった。この文字を漢字に直せば、「 加州銭屋五兵衛領地 」であり、加州とは言うまでもなく加賀藩のことで、北前船で活躍した豪商・銭屋五兵衛が、タスマニアを領有していたという。その面積は、なんと島の三分の一に及んだらしい。これは幕府にバレれば加賀藩が危うくなる。濡れ衣の罪、シャーないか!
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