2019年3月9日土曜日

東京駅

昭和55年、新幹線岐阜羽島駅雪害対策関連業務が終了し、4月から念願の金沢高架化関連業務の担当に変わった。業務は、国鉄が高架化に要する投資が関連事業で7%の利益を得ることが出来るかどうかが問われた。高架化の事業主体は石川県であることから、石川県鉄道高架事務所が設けられ、頻繁に業務の協議が行われた。
事業主体が県ということで、若い職員であっても上から目線で国鉄側にごり押しと譲歩を迫った。高架化の費用は9:1と圧倒的に県(実際は国)の資金が多いから、無理難題を押しつけてきたものである。要するに鉄道高架化に関しては、全ての県職員は「えらそう」に振る舞ったのである。

高架化直前の金沢駅
そんなこんなで全体工事費と高架下貸付収益金(現在の百番街)をまとめて、その資料を大きな風呂敷に包んで国鉄本社建設局に説明に赴いた。
東京駅北口の改札口を出ようとした時、アクシデントが発生したのである。
若い職員が大きな風呂敷包みを持って改札口を通り過ぎようとしたとき、風呂敷包が改札口にぶつかって資料が大散乱となってしまった。大勢の旅客が通る中、3人が冷や汗3斗散らばった資料を必死になって集めた。

何故、こんな話題が出たのかといえば、開業3年前の東京駅を捉えた写真が見つかったというニュースに接したからである。

2007年から約5年間行われた駅舎復元工事の参考に使われた鉄道博物館(さいたま市)所蔵の複製写真と同じ構図だが、オリジナルプリントのものは極めて珍しいという。

横須賀市で発見された写真
サイズは縦205ミリ、横535ミリ。皇居側から丸の内口を捉えており、組み上がった鉄骨が一本一本はっきりと写っている。台紙には「中央停車場建築」とタイトルがあり、その下に「株式会社東京石川嶋造船所(現IHI)製作」「明治44年7月19日撮影、宮内」と書かれていた。「宮内」とは現在の宮内写真場(東京都文京区)の創業者とみられる。 

こんな写真も(ネット検索)これは修繕工事か?
開業当時の東京駅
現在の姿
昭和36年に本社見学で初めて東京駅に行った。昭和38年には姉の結婚式で夜行列車に乗って早朝に東京駅に到着した思い出もある。中学生の頃に聞いた話だが、修学旅行生を引率した英語の先生曰く、「東京駅周辺を見て回り、タクシーに乗って駅前で降りたのだが、時間があったので八重洲口まで歩いたところ、先ほどタクシーを乗った場所だった」という笑い話も思い出した。

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