妹に続いて姪から深刻な電話があった。姉の旦那が11年前に肝臓がんが見つかり、治療を続けてきたのだが、数日前から腹水がたまるようになり自分で車を運転して病院に行ったのだという。そして、その主治医から「あなたの余命は3カ月だ」と宣告されたという。加えて、胃にこぶし大の静脈瘤があって、いつ破裂するか予断を許さない状況等について、私に涙声で深刻な状況を伝えた。
「俺の人生はいい人生だった」と娘に語ったようで、本人も観念しているのだろうと思った。
思えば昭和38年10月、鵜飼にあった能登線建設事務所から岐阜市にあった本部に赴任途中、姉の結婚式が神田神宮で執り行われるというので東京を経由し結婚式に参列した。姉夫婦はしばらく東京で住んでいたのだが、旦那の出身地である千葉の実家に暮らすようになった。が、昭和50年に諸般の事情これありで鶴来に転居した。
元気なうちに顔をみておこうと、昨日見舞いに行った。北海道旅行でしばらく家を空ける予定を女房が「旅行をキャンセルせんなんかね」と心配していた。姉の家には2人の息子も来ていた。電話の話ではソファに横たわっていると聞いていたが、以前と少しも変わらない動作と言葉使いであった。釣りが趣味で金石港付近に毎日のように通っていたのだが、昨日も海に行ったという。「海は荒れていてだめだった」と私に云った。これが深刻な状況?と不思議に思った。
電話の深刻な状況が嘘のようだったのだが、食事も食べられなくなったと聞いていたが、和菓子屋から手土産に買っていったおはぎを美味しそうに食べてくれた。
息子2人は教員。長男は県教委3年目、次男は白山市教委1年目。40才を回った甥たちや吾々夫婦、姉夫婦が食卓テーブルを囲んで大いに会話が弾んだ。
「お前らが大げさに騒ぐからみんなに迷惑をかけるんだ」と義兄が息子たちにクレームをつけた。
午後から前橋に住む私の弟が駆け付け、千葉からも義兄の3人の姉妹が見舞いに来る予定だという。
この元気な姿ができるだけ長く続くよう願うのである。
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