能登線日和という写真集が手元にある。この写真集は能登線が廃止された平成17年3月に発行された(著者湯浅啓)。その中で思い出がいっぱい詰まった1枚がある。トンネルに入った終列車がやがて白丸駅に到着という場面である。
昭和37年、国鉄は宇出津・松波間の開業を目指して鋭意この付近で軌道工事を進めていた。その工事の監督員を務めていた時だった。
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| 白丸駅付近レール敷設工事 |
昭和38年10月開業前日に白丸駅にも国旗を掲げた。
娘たちが還暦のお祝いをしてくれたのは、もう21年も前の出来事になった。和倉のあるホテル最上階の半分を貸し切りにしてくれて お祝いをしてくれた。
| 孫1号は1歳半だった |
赤いチャンチャンコに赤い帽子を身に着けるとき、何だか抵抗感が湧いた。60歳になったとはいえ、気はまだまだ若かったのである。還暦という言葉は年寄りというイメージが強かった。
それから孫が二人に増え、11年前の70歳の時に孫たちを連れて東京へ旅行した。孫たちはお台場やスカイツリーではとても喜んでくれた。
| お台場で |
ホテルは思い切って一流ホテルに泊まることにした。ホテルでは孫たちがバイキングで自分で選んで皿に盛ってきた。料理の選別眼が何と素晴らしい!と思った。
あれから10年が過ぎ、孫たちは上が22歳、下が19歳の大学生になった。二人の孫たちはもう自分の意のままに動くことはなくなってしまった。そういえば、金婚式のお祝いをしてもらってもう5年が過ぎた。まさに光陰矢のごとしだなぁと。
NHK昭和46年「新日本紀行」で御陣乗太鼓の模様が放送された。53年前になるが、見ていた場所は広島だった。筋骨隆々とした北岡周治さんのお父さんの太鼓を打つ姿に魅了された。昨年まで保存会長をされていた北岡周治さんはまだ13歳前後だったことになる。翌年、職場の者2人を連れて奥能登旅行をしたのだが、名舟に寄り急な崖の上にある集会所で御陣太鼓の実演を見た。
その北岡さんは能登半島地震で金沢に避難されているという新聞記事を見た。記事には太鼓は町内の者しか打つことができないという厳しい掟が今も継承されている。
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| 御陣乗太鼓 |
太鼓や400年以上受け継がれてきた面など一式は浅野太鼓楽器店(白山市)に「避難」。同店の好意でスタジオも稽古場として利用できることになった。7日、保存会のメンバーが久々に集まった。熱のこもった練習を終え「本当に気持ちいい。これやからやめられん」と北岡さん。その隣で弟の江尻浩幸さん(63)は「体力が落ちとるなあ。でも新たな一歩や」と汗を拭った。
門外不出の伝統芸能
世帯数が70を割り込んだ小さな名舟町で、男衆だけに伝わる門外不出の伝統芸能。行儀が悪いとちゃぶ台をひっくり返して怒った父でさえ、箸で茶わんをたたく太鼓のまね事は許したという。「名舟の誇り」はこうして受け継がれてきた。
北岡さんは輪島市内の妻の実家で20人以上の親族と正月を迎えた。午後4時過ぎの地震は、まさに乾杯の直後に起きた。避難先を転々とする中でも、太鼓のことが心配だった。御陣乗太鼓会館に収められた一式に損傷がないと分かった時はほっとしたという。
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| 久しぶりに兄弟で練習した北岡さん |
北陸新幹線が県内全線開業する3月16日は金沢で祝い太鼓を披露したいと願う。名舟大祭の舞台は土砂で流され、開催できるかどうかは分からないが、「やはり祭りで海に向かって奉納したい。一人でも行ってたたきたいわ」と北岡さん。故郷で御陣乗太鼓を響かせることが、被災地を元気づけることだと信じている。
北岡さんの子供さんも御陣乗太鼓を打つようになられたという。親子そろっての熱演が是非見たいと思っている。
中国から日本へやってきた中国人旅行客がドッと増えたという。今年は網走に流氷が接岸するのが随分と早かったようだ。昨日、ニュースを見た中で「流氷シーズン到来 観光客の危険行為相次ぐ」とタイトルを打ったニュースに見入った。
一面の流氷の中を進む観光船。船の上から間近に流氷を楽しめることから人気を集めていまる。
観光客:「こうやって目の前で見ると流氷のダイナミックさというか、壮大な光景を目にできて、すごく感動しています」。
網走では先月22日に、平年より13日早く流氷が接岸し、本格的な流氷シーズンを迎えた。来月上旬まで見頃の流氷。しかし、こんな危険な行為が見られた。中国からの団体客とみられる集団が姿があった。
撮影者「こんなにもたくさんの人が乗っているのは、初めて見たので。ちょっとびっくりして。(ドライ)スーツではなくて。危ないっていうのを知らない状態で、乗っているんだろうなと」
撮影者が大きな声で注意すると、流氷から降り、岸へ戻ったという。
■危険性知らず…海に落ちたら“15分で絶命”
海上保安署は警察と協力し、ポスターなどで注意喚起しているが、危険性を知らずに流氷に乗る人が後を絶たないという。
網走海上保安署 梅本哲也次長
「一見、動いていないように見えても、常に流氷は動いております。この流氷の上に乗って、そのまま沖に流されるということもあれば、そこから落ちるということもございます。(海に落ちて)15分経つと、低体温症を起こして意識が遠くなって、死に至る可能性があります。大変危険な行為ですので、決してなさらないように」
この記事を見て、26年前、網走港から砕氷船に乗り知床半島までびっしり流氷で覆われた景色を堪能したことが蘇った。
| 網走市内方面の陸地 平成10年3月の旅行では知床半島まで流氷の平原が続いていた |
懐かしい思い出を連れてきてくれたニュースだった。
地震発生から今日で6週間余が経過したが、上下水道復旧の見込みが立たないという。上下水道管は道路に埋設されており、各家庭に分岐されて上水道では元栓が設置されている。ここまでが公共の事業である。輪島市では、現在もおよそ1万戸で断水が続き不自由な暮らしを余儀なくされているという。
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| 水道管復旧工事 |
現地の水道復旧を支援するため、全国各地から行政区域ごとに応援部隊が派遣されている。高崎市は、市の水道局の職員や地元の水道工事業者、合わせて9人を派遣することになり、13日に出発式を開いた。この中で、高崎市の富岡賢治市長が「現地では生活に欠かせない水道が止まった状況が続いている。地震が続く中、十分注意して支援にあたってほしい」と激励した。
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| 各家庭の止水栓等は倒壊家屋の撤去が済まないと着手 できない。 |