2024年1月18日木曜日

山中毅もがっかりするだろう 鴨ケ浦の塩水プールも隆起して水なし

かつて、輪島出身の山中毅選手が中学、高校生のときに鴨の浦塩水プールで猛練習してオリンピック銀メダル4個を取得したというその塩水プールが地震で隆起したため、海面がはるか下になって水が入らずカラカラになったという。

輪島の岩盤プール

輪島の英雄・山中毅選手の力泳

東京大学地震研究所(地震研)は1月17日、令和6年能登半島地震で生じた海岸の地殻変動の調査結果を公開した。輪島市光浦町から同河井町で確認した海岸隆起の写真を公式サイトに掲載しており、隆起によって名所のプールが干上がった様子が確認できる。
輪島市輪島崎町の竜ヶ埼灯台周辺には、岩礁を切り下げて作った屋外プール「鴨ヶ浦塩水プール」が存在し、文化遺産にもなっている。しかし地震によって地面が隆起し、海面より高い位置に移動した結果、完全に干上がっていたという。「波食棚」と呼ばれる平たんな岩棚も、広範囲で貝・海藻類と共に海面より上に位置しており、地震研は約2.2mの隆起が生じたと推定している。

水泳は永遠に不可能となった

地震研は、能登半島地震で生じた地面の隆起を調べるべく、2日から能登半島北部の海岸を調査している。5日には、隆起に伴って輪島市の漁港付近で海岸線が海側に約250m前進したことも報告した。娘たちが泳ぎを覚えた角花塩田の塩汲み場も使用不可になっただろう。実に残念に思う。

2024年1月17日水曜日

輪島と能登町に避難用快適住宅

どこにでも建てることができる住宅ができたという。これは被災地にとっては干天の慈雨といったところか。もっと多く設置してもらいたいものだ。
能登半島地震で被災した住民らが避難する輪島市や能登町の小中学校に12日、断熱性や遮音性に優れ、短時間で完成するウレタン製の簡易住宅「インスタントハウス」が設営された。長期化が懸念される避難生活を快適に過ごしてほしいと願いが込められている。

ウレタン製インスタントハウスが設置された

インスタントハウスは名古屋工業大の北川啓介教授(49)が2011年の東日本大震災を機に始めた研究を基に「LIFULL ArchiTech(ライフル アーキテック)」(東京都)が開発した。
テントシートを空気で膨らませて、内側に断熱性のあるウレタン材を吹き付ける工法で、1棟当たり3~4時間で完成する。パーツを分解して、最短1時間で組み立てられる「パージ型」も開発した。

内部は実に広い!

輪島中はインスタントハウス3棟が設置された。住宅は直径5メートル、床面積は20平方メートル、高さは最大4・3メートル。45度の傾斜をつけた屋根は風の影響をうけにくく、雪も積もりづらい。避難所で生活する教員の女性(35)は「寒さもしのげるので避難所よりも負担は減ると思う。本当におうちみたい」と喜んだ。
簡易住宅は断熱性に優れているため、人が入るだけで体温によって室温を7度ほど上げることができる。北川教授は、談話室や休憩室として利用し「体も心も温めてほしい」と願う。

能登町の鵜川小学校では代表取締役COOの幸田泰尚さん(43)らが同社の親会社が町に寄贈したパージ型など2棟を設営。パージ型は大人4人が寝られる広さがあり、子どもたちは厚さ10センチの壁を触ったり、大声を出したりと思いっきり動き回った。避難所では女性の休憩所や子どもの遊び場として活用する予定。幸田さんは「被災者の救いになれるのでは。必要な所に供給していきたい」と語る。
クウネルだけ避難所に元気が戻るといい。

2024年1月16日火曜日

やがて跡形もなくなるのでは・・・

あんな大きかった島が報道機関各社の調査で、やがて消滅してしまうような無残な姿になってしまった。金沢でも震度5だったが、今まで経験したことがない長時間の揺れだった。見付島もこの揺れに耐えきれなかったようだ。

軍艦島とも称されたが・・・

特に後部(海側)の崩壊が著しい

陸地側先端部の崩落も大きいようだ

島の頂部の樹木がほんの僅かになってしまった。いつまでもつのだろう。

君もお助けインソムニアにも見付島が

この島を初めて見たのが19歳だったが、それ以降60年以上ものつい最近までほぼその形をみることができたのに、この度の地震で軍艦島といわれたその姿を永遠に失ってしまった。建物は復活しても島はそうはいかない。悔しい限りだ。

2024年1月15日月曜日

ここは何だろう?

家からそんな遠くない所に、これは一体何だろう?と思った空間がある。旧8号線に沿ったある場所に、太い円柱に絵が描かれている。子供が手をつなぎ、向こう側の柱には虹のような絵がある。かなり広い空間にある円柱すべてに絵が描かれている。

子供の遊び場かと思ったが、よく見ると自転車が1台置かれているのが見える。そして白線で何か区切りがある。フェンスもあるので子供の遊び場かと思ったが、駐輪場だと分かった。この近くにある高校の生徒が通学する自転車を留めるために作られたものと考えられる。

この空間の上部は北陸自動車道。鉄道を跨ぐ高架橋である。さらにこの上部には新幹線の高架橋がある。北陸線・高速道・新幹線が交差している場所である。

道路の奥に高速道の円柱構造物が見える

道路わきに柵が設けられているが、柵から高架橋間の舗装部分には、何かが作られるためのものだろうか。歩道でもないし、目的がわからない不思議な柵なのだ。

2024年1月14日日曜日

ビニールハウスは冷え込みが厳しいだろうなぁ

今日は寒いがいい天気。しかし、能登では雪のある被災地の模様がTVに映っている。避難所はさぞ冷え込みがきつかっただろう。

ビニールハウスの避難所は特に寒さが厳しいだろう

七尾港に大型のフェリーが寄港したという。自衛隊が避難民の心からの休養のために借り上げた船なのだ。このフェリーに300人の避難者を1泊だけ収容するのだとか。2万人の避難民にできるだけ多くの方に利用してもらうためには1泊だけとするのもやむを得まい。

大型フェリーが七尾港に 避難者の休養に使用

県外から避難者に向け、避難所収容案内がかなり出されてきた。現在、能登の収容所は小中学校となっているが、授業開始のめどが立っていないという。仮設住宅が建設されるまでは相当期間が必要となる。こうしたことから、県外の避難所も利用を促さなければならない。
しかし、能登から遠方に避難するということは大変な決断が必要である。仮設住宅が完成したら優先的に入居できるようにするのはどうだろうか。

2024年1月13日土曜日

見付島哀歌

 見たくなかった写真、それは見付島だった。現地に実態を見に行くわけにはいかないので、ネットの投稿写真に頼って探した。すると、2,3点の投稿写真を見つけることができた。

地震前の見付島

島の頂上には樹木が繁茂し、そこは沢山の鳥の住み家があり、神社もおかれていたと聞く。去年は震度5の地震、その前年は震度6の地震が島の形を変えた。しかし、今回の地震は震度6強で過去最大となった。このため、見付島本体の一部が崩落、樹木が海上に落下し、無残な姿に変貌した。

1月6日撮影の写真

地震前と地震後

頂上の樹木の大半が崩落し、スカスカになったように見える。

かつて、ここで海水浴をしたことがあった。当時、鵜飼保健所近くにあった鵜飼工事区に勤務しており、能登線建設業務のかたわら、昭和38年8月の日曜日、この島の横で海水浴に興じた。

貧弱な姿には目をつむっていただき、見付島の端正な姿を見てもらいたい

この写真には一昨年の地震で崩壊した岩礁が見えている。そんな思い出があるだけに、崩れ行く見付島の姿は見るに忍びない。


2024年1月12日金曜日

地震で海岸線が4mも隆起

観測史上で最大級の輪島の海岸が4メートルも隆起したという。曽々木に住む知り合いの人から聞いた話だが、地震発生時に海が突然紫色に変わったそうである。
最大震度7を観測した能登半島の状況を6日、共同通信社機で上空から取材したという。
輪島市沿岸部の約15キロにわたる範囲で港湾内が陸地になるほど顕著に地盤が隆起した様子を確認できたようだ。同乗した名古屋大の山岡耕春教授(地震学)は「予想以上に大きく隆起していて非常に驚いた。2007年の能登半島地震による隆起より大きい」と話した。


隆起の痕跡が顕著に見られたのは、輪島市北西部の大沢漁港周辺から同市門前町鹿磯周辺にかけての沿岸約15キロ。隆起によって海中から地上に現れたとみられる白っぽい岩肌が複数の場所で確認できた。山岡氏によると、元々地上だった場所が黒っぽいのに対し、海面下だった場所は貝殻や砂で白っぽい色をしているため、色の違いで区別できるという。


大沢漁港で海底だった場所が見えていたほか、鹿磯では消波ブロックより沖側の海だった場所も隆起によって砂浜のようになり、ブロックが完全に姿を現していた。鹿磯では、人工衛星「だいち2号」の観測によって最大4メートルの隆起が確認されている。

砂浜が200mも広くなった海岸も

輪島港岸壁に漁船着岸不可となった

250m以上の砂浜が突如現れた

地震による地殻変動で、このような隆起は稀だという。船の安全な航行のためには、全域的な海底実態調査を実施すべきなのではないだろうか。

以下、追加記事

珠洲の揚げ浜塩田の塩汲み場が海岸隆起で利用不可となった模様。

何処か位置不明となった塩汲み場

道の駅「すず塩田村」周辺では、住民が「海岸が1、2メートルは高くなった」と話した。地震前は見えなかった海底が隆起し、白っぽく見える=10日午前9時半、珠洲市清水町© 北國・富山新聞揚げ浜式製塩が行われる珠洲市外浦沿岸でも海底が隆起した。同市清水町の道の駅「すず塩田村」からは、海岸線が海側に100メートルほど前進して海底があらわになった。


塩田の砂に海水をまき、日光と地熱で蒸発させて塩を取り出す揚げ浜式製塩。能登伝統の塩作りは近くの海から海水をくみ上げることから作業が始まる。
かつて浜士(はまじ)として製塩に携わった東川宝一(ほういち)さん(89)=同市片岩町=は「海が離れ、塩(海水)が遠くなった。先人から受け継がれた製塩作業はこれからどうなるのか」と話した。

さて、見たくない写真を見てしまった。

見なきゃ良かった