2019年11月26日火曜日

金沢城と尾山神社を結ぶ鼠多聞橋の半分が完成


うちの次女が金沢城址にあった金大に通学していたのだが、途中から郊外に移転することになって通学が大変だとぶつぶつ言っていた。城内キャンパスが魅力だと多くの県外受験生があったという。金沢大学の移転後、平成13(2001)年9月に「金沢城公園」として、金沢御堂の創建から450余年を経て、一般に開放された。

それ以降、やがて20年を迎えることになるが、金沢城復元整備計画により橋爪門続続櫓・五十間長屋・菱櫓を第1期、河北門・橋爪門・石川門・丸の内園地・玉泉院丸庭園・いもり堀を第2期と整備が進み、現在、第3期として鼠多門・鼠多門橋等の整備が進められている。

昨年10月から通行禁止となっていた市道が25日、片側通行で再開した。鼠(ねずみ)多門橋(たもんばし)の復元整備のため、尾山神社側の橋が完成したためで、橋の下を車で通れるようになった。年内にも両側通行が可能になる見通し。

往時の鼠多門橋
このあたりに鼠多門と橋が建設される(平成27年5月6日撮影)

鼠多門施工のため石垣を掘り下げた

全体計画図 左側半分が完成した
半分が完成したので橋の下の道路供用開始
工事に伴う交通の影響を減らすため、県は橋の神社側の半分を先行して仕上げ、その間は一方通行の仮設道路で車を通していた。今後は公園側を整備する計画となっている。 
橋全体の完成時期は鼠多門と合わせ来年7月の東京五輪・パラリンピック開幕までを目指す。

鼠多門橋は江戸初期に建造された玉泉院丸と金谷出丸(現尾山神社境内)を結ぶ城内最大規模の木橋で、幾度かの架け替えを経て1877(明治10)年に撤去された。長さ32・6メートル、幅4・3メートルで復元し、スロープを設けるなどしてバリアフリー対応となる。

完成時期は鼠多門と合わせて来年7月の東京五輪・パラリンピック開幕までを予定する。事業費は橋に3億5千万円、門に15億円、周辺の園地整備に1億5千万円の計20億円を見込む。

現職中に河北門復元のための埋蔵文化財調査業務や金沢城石垣調査に関わることができ、全体整備が完成されるのが待ち遠しく思う。

2019年11月25日月曜日

古いフレーズだが、アッと驚く為五郎!

とうとう九十九湾まで出てきよった。つい先日、新聞紙面1ページの殆どを埋めたイノシシとクマが出没する記事があったばかりである。医王山スキー場のゲレンデがイノシシにそこらじゅう掘り起こされ荒れ放題になっている写真が掲載されていた。
今朝の新聞は何とイノシシが九十九湾を泳ぎ回っていたというニュースを伝えた。

本日(25日)の北國新聞
子どもの頃住んでいた奥能登だが、イノシシが出たという話は聞いたことがなかった。
なんでこうもそこらじゅうにイノシシやクマが出没するようになったのだろうか。
やはり、生活様式が変わりおまけに人口減で里山といわれる民家のすぐ後ろの山々に、人の手が入らなくなったせいなんだろうと思う。

能登線建設当時、岐阜から調査に来た係長が九十九湾でボートに乗り、しばらく楽しんでいたのだがいきなりクラゲをすくい上げて口に入れた。そして、「これは旨い!」と。
コップに入れた酒に真っ赤になるほど唐辛子を入れて飲む人だった。その人は「変わった人」と陰でささやかれたいた。つい、そんなことを思い出した。

それにしてもイノシシめは半端ない増え方である。イノシシの捕獲数は年々倍増しているにも関わらずにである。金沢市内の旭日公民館長から聞いた話だが、定年退職して畑で野菜栽培を始めた人が、収穫間近になって全部荒らされてしまって収穫ゼロだったと嘆いている人がいるという。

法光寺町の知人宅へ行った際に、「これ見て、全部イノシシに荒らされた」と家の横側のミョウガ畑を指さした。鼻で掘り起こすというのだが、相当広範囲に荒らしまくられていた。ジビエの肉は意外とおいしいという。イノシシ撲滅に少しは役に立つようジビエ肉を買ってくるかなぁ。

2019年11月24日日曜日

金沢の外国人観光客が右肩上がりに増加中

今朝の朝刊に金沢や県内の観光地にやってくる外国人観光客について記事が掲載された。
10月に不通となった新幹線の影響で一時的に観光客数はダウンしたものの、開通と同時に以前の状況に戻った。

外国人で賑わう兼六園(北國新聞R1.11.24朝刊)
 外国人たちはどこからやってくるのだろう。数年前までは中国人のガイドが旗を持って中国からの観光客で賑わっていた。今朝の新聞写真を見るとヨーロッパ系が多いように思われる。

国・地域別宿泊者数
この表を見ると圧倒的に多いのが台湾。定期便が就航したので約18万人も宿泊している。4年前と比較すると5割も増えた。この表をみて面白いのは香港と中国が拮抗していることだ。どちらも66千人台を示している。香港の人口は740万人(17年)、一方の中国は今年中に14億人に達するという。なのに金沢にやってくる観光客はほぼ同数なのだ。

香港は現在学生デモで大荒れである。だが、3000万ドル(約33億円)以上の資産を保有する「超富裕層」が最も多く住んでいる都市は香港であることがわかった。なるほど、それで納得である。
右の表は外国人宿泊者数だが、5年前に29万台だったのが去年は68万台と倍増しているのである。

4年前のデータ
 データは古いが市内の観光地はどこが最も人気があるか調査した表である。
ダントツが兼六園、で、目を見張るのはマルビーが金沢城公園を上回っていることである。誰かさんが言っていたなぁ、マルビーの入場者数は入口と出口の合計なんだと・・・
それに比べ、県美が4万人台とちょっと情けないなぁ。

新幹線が開通するまではほくほく線経由で越後湯沢で乗り換えて東京まで最短3時間50分。人間が快適な旅行と思える乗車時間は3時間までなんだとかいう話を聞いたことがある。
ズーと羽田・小松は1時間だから圧倒的に飛行機に軍配は上がるのだが、気軽さは新幹線並みとはいかないのだ。
今日も金沢駅は混雑しているのだろうなぁ。

2019年11月23日土曜日

血圧脈波という検査をしたのだが・・・

9月に左足親指が巻き爪で触れると激痛が発生するようになったので、痛風の処方箋をもらっている整形外科クリニックで診てもらった。薬をつけて包帯を巻いて治療は終わったのだが、毎日通院するように指示された。薬は抗生物質を毎食後に飲んだ。1週間ほど通院して旅行に出かけるので通院はしばらくできない旨医師に伝えると、「ダメ」と。だが、顔は笑い顔だったので旅行に行った。

その旅行でかなり長い下り坂を歩いたのが原因で強い痛みがあるようになった。数日通院して痛みが和らいだので通院をやめたが、2週間ほど経て再び痛みが出てきたので近くの皮膚科クリニックで診てもらった。ここでは塗り薬と抗生物質が出された。薬は1週間分しか出ないので切れるたびにクリニックにいった。

しかし症状はいつまで経っても良くならないので、ネットで本格的に巻き爪診療のできるクリニックを探してみた。数カ所のクリニックの中から最も近い吉原町地内のクリニックに行くことにして昨日そこへ行った。

医師が、どんな治療がいいのか意思の確認をした。いつまでも抗生物質を飲み続けても症状が軽くならないのなら、根本的な治療をお願いしたいと答えた。
「親指右端を爪の根元まで切除し、爪の根っこの細胞を無くするという方法がある」と答えられたので、それでお願いしますと返答した。

「足の皮膚状態を見ると、血行が良くないので検査します。血行障害があると手術後に壊死する場合がある」と云われたので、別室の検査室で今までやったことがない検査をした。それは、両手両足に血圧測定の要領と同じベルトをセットして所定の検査をしたのであった。

再び診察室に入り医師から大きなショックを受ける言葉を聞くことになった。
検査結果のデータを見ながら、「あなたの血管年齢が88歳です」と告げられた。


いきなりそんなことを云われても、何をどうすればいいのかさっぱり見当がつかない。
血管年齢を下げるのにはどうすればいいのか、そんなことが可能なのか、3日分の薬が切れたら聞いてみよう。

2019年11月22日金曜日

キューイの収穫時期になって思うこと

新聞で野々市内の農園ではキューイが収穫時期になったと報じられた。
石川県内では野々市市が収穫高ナンバーワンだとあった。

キューイの収穫
これだけのキューイ栽培は剪定に追い回されるに違いない
話はいきなり飛ぶのだが、昭和56年の年末に鳴和から3kmほど東に位置する山王団地の一角にマイホームを新築した。ひな壇状に開発された宅地だったので、日当たりが十分すぎるほどだったので、パーゴラを設置してその下には白いテーブルとイスを並べた。パーゴラにはキューイを這わせた。キューイは樹勢が強く夏場は1週間に50cmも伸びた。

当時、勤務箇所は岐阜市にあったので単身赴任となって、金帰月来の生活が約1年続いて、S57年12月にようやく金沢勤務となった。1週間家に帰らないのでキューイの枝切りを必ずしなければならなかった。

そして15年経過、親父が脳梗塞で倒れて入院となってお袋と同居する生活になり、山王団地の家が手狭になって、やむを得ず同居できる家を現在地に新築した。
で、ここではパーゴラにはキューイをやめアケビを這わせた。

キューイの代わりにアケビを植えた

アケビもキューイに劣らない勢いがある
ところがである。このアケビも樹勢が非常に強い。屋根まで這い上がって瓦の隙間に潜るのには参ってしまう。最近はパーゴラの下で休息することがなくなってしまった。いっそのこと伐採してしまおうかなぁ。

2019年11月21日木曜日

今日は学童下校時の安全パト当番日

学童の登下校の安全確保を図るため、吾が地域では「ちさか地域安全パトロール隊」という組織が活動している。各町会ごとに通学路の要所を定めて登下校時に立哨して見守っている。立哨に当たる要員は各町会毎に責任者を定め、要員確保と当番表作成を担っている。

自分がパトロール隊員になった動機は、平成18年に町会長に就任して当時の責任者から、「町会がもう少し要員を増やす努力をしてもらいたい」という要望を受け、6人の副会長に都合のつく場合は協力してほしいとお願いするとともに、町内にもパトロール隊員募集を広報で行なった。

その結果、副会長3人、または奥さんが協力を申し出られ、一般公募でも10人前後の協力を得ることができ、総勢28人のパトロール隊が結成された。
また、責任者から当番表の作成をしてほしいと要望が出され、以降現在も作成している。
2カ所の横断歩道に2人の隊員を配置し、28名の隊員で当番表を作成して安全確保に努めたのだが、それから十数年が経過して隊員が徐々に減少して、現在では10名のみとなってしまった。

イメージ写真(町内ではない)
長く責任者を担当されていた方が、3年ほど前に突然病気で亡くなられた。そのためやむを得ず自分がその責を引き継いだ。隊員減少から立哨場所を1カ所にして、なおかつ、常時二人体制を一人のみとする日が多くなってしまった。基本的には1週間に1回、それも1,2年生の下校時のみに立哨することで、ほそぼそと継続している現状である。

高齢化が著しいと叫ばれている割にはボランティアをしていただける人が極めて少なくなった。町会長にハッパをかけて要員増を図っていかねばならい。

2019年11月20日水曜日

40年前の職場仲間から突然のコンタクト

それは昨夜の出来事だった。スマホで何気なくfacebookを覗いたら、友達承認願が点灯していた。さて、どなただろうと確認したところ、思いがけない懐かしい名前が標示されていた。
自分よりも7歳年下なのだが、広島新幹線工事局の業務を終えた昭和50年3月末に岐阜工事局へ転勤し、新設された線増第3課へ同時に配属になった仲間である。昭和50年から昭和62年3月の分割民営までは殆ど同じ課で仕事をした。

課は30人ほどの要員で構成されていて、静岡~愛知間の新幹線騒音対策工事、新幹線保守基地増強工事、岐阜羽島駅雪害対策工事、昭和54年から新たに金沢駅付近鉄道高架化工事等を担当した。

岐阜羽島駅雪害対策工事使用開始現場監査(S53.12)
 線増第3課のある係長の尽力で日本棋院岐阜工事局支部が設立されたのだが、それだけこの課は囲碁熱が高かった。昼休みは囲碁愛好者十数名がリーグ戦を繰り広げ、月末になると成績表にその結果を表示した。

課のあちこちで熱戦が繰り広げられた
facebookで友達となった彼とは好敵手同士だった。
秋には小学校のグラウンドを借りて工事局の運動会が開催されたのだが、宿舎が近かったので奥様方の応援もあり家庭的な雰囲気だった。

各課対抗戦で入賞に輝いた
友達となった彼はシャープの小さな計算機で高架橋の応力計算をやってのけていた。そんなことができる者は彼を除いては誰もいなかった。
その後、分割民営化となり、彼はJR東海コンサルタントで設計のエキスパートとして 大活躍をした人である。

毎年、御用始めには各課ごとに記念写真を撮影した
そんなことで今回の友達申請で昔の出来事が思い浮かんだ。末永くお付き合いのほどをお願いしたい。