2015年2月8日日曜日

北陸新幹線試乗ならず

一昨日(2月7日)から北陸新幹線の一般試乗が始まった。
私もネットで申込みしたのだが、77倍の倍率をクリアーすること能わずチャンスを逃がした。
東海道、山陽で試乗を果たしたのに、地元の新幹線の試乗ができなかった。
また、数日前、ある人から試乗券5枚入手したが一緒に試乗しませんかと電話連絡があった。断る理由はないので是非お願いしますと返答した。念のため試乗日がいつなのか聞いたところ、2月11日午前10時頃だと告げられた。
念のためスケジュールを確認したところ、何と不運、その日9時から公式行事予定が入っていた。折角お誘いあったのに断腸の思いで辞退する旨連絡した。残念無念・・・・・。

今日、金沢駅に近いホテルで政経懇話会があったので、その帰り久しぶりに金沢駅を歩き回った。
新幹線改札口付近にあと34日と表示
工事中のためシートで柱が覆われているコンコース
高架下売店も大勢の買い物客であふれていた。
開業となれば客が入れ切れないのではないかと心配なくらいである。

さて、東海道新幹線は昭和39年10月1日に開業した。
その1か月前、名古屋から豊橋まで試乗した。

いざ夢の新幹線に乗るぞ!
時速200kmを満喫
そして昭和50年3月10日、山陽新幹線岡山~博多間が開業した。
広島駅でのテープカット
このテープカットセレモニーに臨席した。
その1か月前、広島~博多間を試乗した。試乗というよりも、建設担当技術者として「線見」という業務であった。
広島駅で 業務命令なので制服姿
最後尾運転席から担当区間を写した
北陸新幹線建設は鉄道建設公団名古屋支社が長く担当した。私も山陽新幹線建設が終わったら北陸新幹線を担当したいと希望したが、公団との人事交流は困難であることが分かったので、昭和54年から金沢鉄道高架化事業を担当することになった。
それにしても「試乗能わず」は口惜しい限りではある。



2013年10月30日水曜日

今年最後の果実

今年もこの時期、パーゴラにアケビが実った。
我が家に実ったアケビ
アケビの木は家を建てて間もないころ、中庭の花壇に2本植えた。
数年は実のなる気配が全くなかったが、5年ほど前から数個の実を付けるようになった。
今年は最も実が多く、10個ほどできた。
2,3日前、孫がアケビの実が落ちているよと知らせてくれた。

私が幼いころ、甘い物といえば山の実を採りに行ってよく食べた。
春はイタドリ、グミ、初夏にスモモ、イチジク、秋は柿、アケビ、クリ。
今の子供たちは見向きもしない。食べ物が容易に手に入るかそうでないかの差なのだろう。
小学生の頃は5,6年生になって山に入り採れるようになった。実を口に含んでもぐもぐすると甘さが口いっぱいに広がる。頃合いをみて種を吹き出す。

中・高生だった頃の秋の季節は、戸室山の麓へ友達とアケビを採りに行った。
大学病院前の大通りから金沢刑務所の高い塀に沿って暫く行くと、鶴間坂を下り田上を過ぎてかなり長い登り坂を登りきると俵に出る。そこから麓までそんなに遠くはない。
アケビは蔓の植物であるから、細い木にからまって実を付ける。だからその実を採るには経験がいる。

そんな思い出が強く脳裏に刻まれているためか、我が家に果実を付ける木がかなり植えてある。
梅、杏子、キイチゴ、そしてアケビ。
杏子とキイチゴはジャムにするととても美味。
アケビは思い出の味。孫に食べさせたが「また食べたい」という声は聞かない。
蔓の伸びが早くて手入れが追い付かない


2013年10月9日水曜日

新幹線計画業務(その9)トンネル設計及び積算と苦闘

トンネルの設計で基本的なことは、トンネル入り口から中央部までが登り勾配、出口までが下り勾配とするのが原則。これは掘削を進めていく場合に地下水の排出を考慮しなければならないためである。
次に重要なことは、地質の想定作業であり、これが崩落防止の鋼製支保工のピッチ、コンクリート巻厚設計に反映される。
工事積算作業に入るまでには設計が完了していなければならない。

地質の想定は弾性波探査によったが、その調査結果が急がれた。
弾性波探査はトンネルルートに沿って地表に一定間隔に火薬を仕掛けて振動波の伝播速度を調べることによって地層・岩盤の状態を推定する調査方法である。
専門的な解説
屈折法地震探査は、地盤構造を弾性波が伝わる速度の違いとしてとらえる手法です。弾性波速度からは地盤の硬軟などの工学的情報を得ることができ、その構成状況から地質構造等を推定することにも利用できます。土木・建設の分野では弾性波探査といえば屈折法地震探査のことを指します。弾性波探査で求められる速度値は、信頼性が高いとともに地盤強度との相関性が良く、岩種と弾性波速度から岩盤分類や地山区分の情報として利用されており、設計・施工時の有益な情報を関連技術体系に提供するものとして重要です。これらの特徴を生かして、土木構造物や資源開発および一般地質構造調査などを目的として広範囲に利用されています。

当時の一般的なトンネル掘削工法は、底設導坑先進上部半断面掘削工法であった。
底設導坑、先端を切羽という
ジャンボによる導坑掘削作業
底設導坑の断面積は14㎡、掘削ずり運搬の鋼車がすれ違いできる複線のレールが敷設される。
この導坑が50m程度掘削が進捗した時に、この頂部に穴を開けて上部半断面の掘削作業が着手される。
上部半断面工事の状況
この写真は上半掘削が100m以上進み、コンクリート巻き立て工事が終わっている状況である。

その後を追うように導坑の両側を開削する
側壁コンクリート部分の掘削を行い、コンクリートを打設する
以上の工程を経てトンネルは完成する
 以上の工程を十分理解したうえで積算作業に入る必要があった。
己斐東、西両工区の積算補助員をして間もなく、五日市トンネル平良斜坑工区の工事用道路を一人で設計せよと指示され、現場調査測量を行って延長500mの道路設計と積算も行い、サイロット工法という特殊工法の積算にも首を突っ込んだ。過酷なまでの業務量を消化しなければならなかった。


2013年10月7日月曜日

ツエーゲン金沢 VS HondaFC戦を観戦

この稿は昨日の出来事についての記録です。
地元金沢のサッカーチーム「ツエーゲン金沢」がパートナーエリア(地域居住者)に居住する住民を対象に、市内地域をいくつかに分けて試合を無料開放して観戦できる制度を導入している。
昨日は城北地区が無料開放だと知ったので、女房と観戦に行った。
入場券
場所は市営サッカー場。観客席はほぼ埋まって1400人余りの入場者だと新聞発表。
試合の前に、U-14日本選抜に選出された金沢市港中学二年の松田康平君の紹介があった。
新聞記事より
第2の本田圭佑を目指して今後の活躍を期待したい。
試合に先立ち中二の松田康平君の紹介
試合開始前の両チームの紹介
ツエーゲン金沢は現在Jリーグ準加盟グループに所属し18チーム中第5位。北陸新幹線が開通する15年までにJリーグ昇格を宣言しているところである。地元として応援したい。
 
Jリーグへの参加条件
  
 
この条件の中で厳しいのが「規定を満たしたホームスタジアムの確保」。
金沢市にしろ県にしろ、いまいち理解が乏しい状況となっている。
市営サッカー場の観客席は2000人未満。何でも、4000人以上収容の施設が必要とのことである。

ともあれ、昨日の試合は1:0で勝利をあげた。
シュートが決まって湧き上がるサポーター
新聞記事
もっと強くなれば、私を含めサポーターもきっと増えるだろうと思う。
頑張れ「ツエーゲン金沢」。
 

2013年10月1日火曜日

新幹線計画業務(その8)君の鼓膜は破れている

昭和45年の重大ニュースの一つに大阪万博の開催が挙げられる。それは3月14日に開幕し、6か月間大人気を博した。
その入場券2枚を購入し仕事の合間を見つけて夫婦で見物することにした。

しかし、妻が流産の懸念があったため大事をとって結局行くこと能わずで、今も2枚の入場券が大切にしまってある。
5月12日、宇品港でシージャック事件が発生し、犯人が狙撃される生々しいニュースが流れた。

テレビで実況中継が始終流れており、仕事そっちのけで成り行きに注目した。
そして犯人は狙撃されその場で倒れこんだ。この情景の記憶は鮮明に残っている。
全日空アカシア便ハイジャック事件や、東亜国内航空墜落、全日空機が自衛隊機と衝突墜落するなど飛行機事故が頻発した年でもあった。
三島由紀夫割腹自殺もこの年。
私個人的にも8月上旬に鼓膜破裂というアクシデントが発生した。係長を除く若手で山口県柱島(戦艦陸奥が轟沈した場所)へ海水浴に出かけた。私は家の近くの川や曽々木海岸で水泳をした経験が豊富であった。柱島の海岸も岩場で水深が深い。そこで勢いよく3mほど潜ったところ、耳が「ぎしっ」としたのでいつも経験する水が入ったと思った。岸に上がりピョンピョン飛び跳ねたが水が出ずすっきりしなかった。
朝目覚めて枕が濡れているのに気付いた。入った水にしては多すぎる量であった。病院で診察をしてもらったところ、「鼓膜が破れている」と告げられた。それから3週間ほど毎日治療に通った。鼻、口、耳に管を差し込まれて「プシュー」とエアーを吹き込まれた。

二人暮らしのアパートの居間に応接セットが入り、オーディオコンポとテープレコーダーを据え付けた。近くの独身寮から若い衆が頻繁に麻雀をしに来るようになった。女房の作る夕食目当てでもあった。
アパートの駐車場に2台のマイカーがあり、いつかは俺もと羨望の気持ちがあった。
9月には九州旅行に行こうと話が決まり、5人で日南海岸、青島、鹿児島、指宿に出かけた。
西郷どんの銅像前で
2度目の青島
開聞岳を背に
指宿のあるホテルにジャングル風呂があるというので行ってみた。大勢の宿泊客で大賑わいであった。大ガラスドームに覆われた熱帯植物園の中に大小さまざまな浴槽があった。男女混浴なので、小高い茂みに囲まれた浴槽の縁に5人が並んで腰かけて若い女性が来るのを待った。そのうち温泉に漬かっていた膝までが真っ赤になった。
おばあさんが2,3人入ってきたようだったが、それ以上待つのは諦めた。


2013年9月16日月曜日

新幹線計画業務(その7)3LDK国鉄アパート完成

S45.4、新築工事中であった国鉄温品アパート2棟60戸が完成した。入居に際し、くじ引きで号室を決めることになった。
くじ引きの結果、101号室(1号棟1階)となった。自分としては3,4階が良いと考えていたがそうはならなかった。ところが、4階となった人が代わってくれないかと願ってもない打診があり、喜んでそこに決めた。
引越しスケジュールの説明会があり、調整の結果、私は入居者第1号となった。課の職員を総動員して1週間程度、全職員の引っ越し荷物の運搬据え付けまで行った。
しかし、滑車で吊り上げた荷台をベランダに取り込む際、誤って落下させ破損させる事故が多発した。私も備前焼きの花器、衣物掛が落下しごみとなった。

国鉄温品アパート(現JR西日本社宅)
岐阜の借り上げアパートは3畳,6畳の2間で風呂なし、広島の新築借り上げアパートは3畳,4.5畳、6畳の3間であったが、新築入居するアパートは3LDK、バス洗面、洋式トイレ付であり、2年目を迎えた新婚生活には贅沢この上ない新居であった。
通勤は国鉄官舎前から広島駅前までバス通勤となった。この頃、女房が妊娠3か月目、12月末が予定日であると医師から告げられた。

業務はトンネル設計図作成と工事数量算定、積算業務に取りかかった。勤続7年目だが、トンネル工事関係の経験は皆無。過去の積算書と首っ引きで己斐トンネルの積算を担当した。積算書は坑外設備等基礎編、本篇の2冊が基本で各300頁の綴りとなった。
手回し式計算機(タイガー計算機)がS42頃から電気卓上計算機に駆逐され始めた。しかし、ソニーが開発した卓上計算機は横30cm、奥行き40cm、高さ15cmもあった。価格は50万円程度。
S45になり、広幹工各課にサンヨー電気卓上計算機が配付された。価格は20万円前後となり廉価になったが、長時間使用していると熱がこもりネオン管表示の数値がすべて8となり、機械が冷えるのを待たなければならないという代物であった。
関数計算機能は√だけ。線路中心曲線長等の計算は7桁対数表に頼らざるを得なかった。

庁舎内に職員食堂は設置されなかった。このため、昼食は隣接の乗務員宿泊所の食堂を利用した。単価が低廉に設定されていて随分助かった。大きなどんぶりの貝汁が20円!それも貝が山盛りに入っていた。岐阜ではすっかり姿を消していた100円札が流通しており、100円硬貨を出すと珍しがられた。
昼食は稀に200mほど離れた広島鉄道管理局庁舎地下1階の職員食堂も利用した。ある日、食堂入り口付近に一見して飲み屋のおばちゃん、おねえちゃんとおぼしき人が立ち並んでいた。臨時に鉄道電話まで備えてあった。何事かと聞いたら、給料日なのでツケの請求だという。あきれた習慣が続いていたのである。

2013年9月8日日曜日

新幹線計画業務(その6)生産性運動が強行

発足時67名であった職員がS45.4に320名に増加した。これに伴い、組合組織化が急がれた。
4月に青年部長を受任したが、それは正式に選出されたわけではない。このため総会開催の準備に取り掛かった。
役員選出のため、本人に同意を得る等の根回しが必要だった。総会開催の必要条件として、国労本部の運動方針を把握し、それに逸脱しない広幹工分会青年部としての活動方針案を自らまとめる作業があり、それに没頭した。この仕事は宿舎に帰ってから夜遅くまで数日を要した。

総会では管理局から工事局に配転された職員から、運動方針が生ぬるいとする意見が出たが、活動方針、役員選出とも原案通り承認された。
このころから当局による生産性運動、いわゆる「マルセイ」が強化されることになり、組合つぶし工作が露骨に表れてきた。立場として、それに反する行動をとらざるを得なくなった。
分会執行部も発足して団体交渉開催時には出席を求められた。

マルセイ運動の一環として「青年職員の意見発表会」なるものを全国規模で開催されることになり、広幹工では各課一人の割り当てで青年職員に意見発表の論文を書かかせ、それを全職員の面前で発表させ、優秀発表者を選考して本社が全論文を審査して国立競技場付近にある「日本青年館」で発表会が行なわれるという。
私は当局のマルセイ運動に疑問を持っていたので、自分の考えを示そうと決心し、論文を作成して提出した。
1,2週間後に数名の発表者による局内意見発表会が開催された。
講評の後、優秀発表者の表彰式があり、私の意見が最優秀賞に選ばれて東京の発表会に出席することになった。本社選考には及ばず傍聴する権利だけ与えられた。

本社が選考した発表者は20名。
全ての発表者が国労を批判する意見であった。聞いていて吐き気を催すほど露骨な意見で占められていた。これでは国鉄の将来は益々暗くなるばかりという予感を持った。
私の論文は仕事に対する心構えについての意見内容を展開した。国労批判は皆無。
従って、本社選考の対象外のしろものであったことになる。にもかかわらず、広島新幹線工事局の幹部が広い見地から、私の意見を選考してくれた度量に、「技術屋」の心意気を買ってくれたのだと感謝の念を持った。