昭和47年10月18日といえば今から50年前になるが、この日に北陸自動車道が開通し、いよいよ北陸にも高速道路網が整備され始めた。当時、3年前に岡山・博多間の新幹線建設プロジェクトに手を挙げて広島に着任した。高速道路ができて2年後に、同僚達と一緒にマイカーで広島から能登にドライブした。その帰りに、金沢西ICから小松ICまで初めて走行した。
尼御前SAで記念イベント |
しかし、料金の割にはあまりメリットを感じなかったので、帰省の際には丸岡ICがオープンするまでは高速を利用することはなかった。そのうち武生、次いで敦賀、そして木ノ本ICが開通して単身赴任地の岐阜市の独身寮までここからずーっと下道を走った。敦賀ICまでの開通が最もうれしく感じたものだった。毎週金沢・岐阜間を往復していたので、コロナ、ウインダム等、どれも15万キロまで走行した。東海・北陸自動車道が開通して、各務ヶ原から福光までのルートも利用した。
記憶に残ることといえば、昭和50年ころまでスキーブームで、屋根にスキーを乗せた車が多かったが、いつの間にかすっかり姿を消して久しい。昭和56年から平成10年までの単身赴期間中、事故もなく往復できたことに感謝せねばなるい。
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