2021年12月27日月曜日

初めて知った渋沢物語

晴天を衝けが終わった。このドラマほど熱心に見たものはないくらい、テレビに食らいついて見た。豪農のせがれに生まれた栄一は教育熱心な親父の影響があって、読み書き算盤、論語まで学んだという。何をしても行動の基本は筋が通っていたように思う。

慶喜の弟(14才)のお守り役に任命され花のパリへ

横浜外人街や、幕府要人の暗殺を企てていた人間が遠山円四郎という人物に出会って、渋沢の人生に大輪の花が咲いた。パリ万博随行員に指名されたのも強運。パリで時代の最先端文化を知り帰国してその知識を大きく生かした。

政府に改正係設置を進言し大活躍

それにしても歴史を動かした西郷や大久保、伊藤、福沢、五代等々と昵懇となる社交家でもある。ただ、勝海舟とだけは馬が合わなかったという。勝が「百姓の出が・・・」と蔑む心が見えてくる。草彅剛の慶喜もピッタリのはまり役だった。

反日運動が高まる中、大演説をぶつ栄一
栄一は2回も渡米したという。彼の行動力に舌を巻くばかりである。幕末から昭和まで、全力疾走した行動力に敬意を払いたい。ありがたいことに今回の大河は自分の無知を晒す契機となった。20代に渋沢栄一の行動記録を学んでいたら、今の自分と違った人間がいたかも知れない。

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