かほく市から毎年墓地公園内の個人所有墓地の清掃案内がある。金沢市は新盆だが、かほく市も能登から墓地をかほく市の墓地公園内に移して新盆であることが分かった。能登一円は旧盆なので墓参は8月にするのが当たり前に思っていた。女房の親父さんは能登出身で戦死したので墓は能登にあったが、卯辰山墓地公園の分譲募集があったので申し込んだ。で、当選して墓地を移し旧盆に墓参りしている。
卯辰山もかほく市墓地公園も大方が新盆なので、新盆前には墓掃除をして隣接墓地に迷惑をかけないように心がけている。先日、新日本風土記の下北半島版が再放送された。その番組で大間の墓参が放映されたが、その墓参は花火をして霊を迎える風景があった。1つや2つの墓だけではなく、墓参家族は全員花火持参なのである。
墓参に線香は必需品だが、線香花火ではなく大きな花火だった |
陸奥・大間間鉄道建設位置図 |
大間は戦前・戦時中は地理上、防衛拠点で陸軍の施設があったという。で、陸奥から大間まで鉄道敷設計画が進んでいたが、昭和18年に資材がストップしてそれ以降再開されることなく計画が中止されたという。資材ストップの理由が泰緬鉄道に回されたためだという。
昭和36年3月、新卒就職して配属されたのが土木課の能登線担当係だった。その係長は元泰緬鉄道建設を担当していた自慢話をしていたのを思い出した。
60年前の昭和36年3月能登線建設担当係一同 |
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