2021年2月17日水曜日

新聞連載小説の名古屋弁が懐かしい

金沢で同窓会があると、意識せずとも自然に金沢弁がすらすら出てくるが、1人だけの部屋で金沢言葉を記せと言われても中々出てこない。実家のある在所に行って近所の方と話しをしても、すらすらと柳田弁で話すことができる。岐阜市にあった宿舎や独身寮から名古屋へ通勤している時代があった。当然、名古屋弁の会話が主体となった。6年間住んだ広島でも広島弁を自然と覚えたものである。だから「ちゃんぽん」になる場合がある。

北國新聞夕刊に安部龍太郎著の「家康」が連載中である。そのフアンなのだが、秀吉が妹を家康に嫁がせ、母親を浜松城に人質のような形で差し出して家康に上洛を促し、現在、家康が上洛し秀吉と会談している場面となっている。その会話で秀吉が尾張弁で話すシーンが多い。それを読んでいると、作者は尾張弁を非常に研究されている跡が伺い知るので、臨場感がより強く感じるのである。

どういうわけか、方言は秀吉だけ
「まちっとまちゃぁ」「そんなことありゃーせん」、「はよいりゃぁ」・・・思い出すなぁ、あの頃をである。
しかし、金沢の「きんかんなまなま」は何のことかさっぱり分からなかった。

0 件のコメント: