巣鴨といえば「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨商店街と「とげぬき地蔵」だ。
商店街の入り口は駅前広場からすぐの位置にある。
巣鴨商店街入り口 |
何でそうなのか?
そのわけは高岩寺のとげぬき地蔵にあった。体の痛いところを地蔵さんのその部分を洗うと痛みが取れるという御利益がある人気スポット。
高岩寺入り口 |
私が訪れた時のお地蔵さんと大幅にイメージが変わった今のお地蔵さんがこれ。お地蔵さんではなく観音様のイメージ。
確か御影石造のお地蔵さんだったように思うが、調べてみると平成4年に新調されたようなのだ。
この地を訪れたのも平成4年。おそらくその年の年末に建て替えられたと想像する。研修にはカメラを持参していなかったので自分が撮った写真がないのが悔やまれる。
高岩寺から400mほど北に歩いて本妙寺に向かった。明暦の大火の火元とされるお寺なのだが、文献によると火元身代わり説が有力らしい。真実は向かい側の老中屋敷が火元らしいのだ。
江戸の大半を焼き尽くした火元が老中屋敷では幕府のメンツが立たない。それで火元をお寺になすり付けた。後日、このお寺はそれ以降、幕府の手厚い保護があったそうだ。
本妙寺山門 |
なぜこのお寺に興味を持ったか。それというのもガイドブックには江戸時代の有名な人達のお墓があると記されていたからである。遠山の金さん、千葉周作、歴代本因坊等々。
だが、なぜこれだけの著名人の墓が集積しているのか、その理由はわからなかった。
最後に訪れたのは巣鴨駅近くの南側にある六義園。
この庭園は元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられ た駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた。面積は8.8haと広大。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園といわれ、 庭園の名称は中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来するのだとか。六といえば兼六園。どちらも名園ではある。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園といわれ、 庭園の名称は中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来するのだとか。六といえば兼六園。どちらも名園ではある。
歩いていると妙になじみ深い景色があった。そこはその筈、「暴れん坊将軍」のロケ地だったのだ。
都心の喧騒をよそに、このような広大な庭園がたたずんでいることが奇跡のように思われ、元禄時代から今に至るまでその庭園があるなんて、何と素晴らしいことだろう!
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