原田泰司氏の絵に「かじ屋さん」がある。
この絵を見ると幼い時代が蘇る。
私が住んでいた村に500mほど離れて2軒の鍛冶屋さんがあった。どの鍛冶屋さんも毎日忙しそうに仕事をしていた。その仕事を飽きもせずあっちこっちに行って長い時間じっと見ていた。
ふいごの棒をゆっくり引いたり押したりすると勢いよく炭が燃える、その様子に心が引かれた。
自分でやってみたい!と思う気持ちを鎮めるのに苦労したものである。
いつも見に来る度にじっとその手元を飽きもせず眺めている子供の姿を見て、「いっぺんやってみっか」と言ってくれた。「いいが!」と喜び勇んでふいごの棒を引いてみた。かなり抵抗感があった。そして押した。勢いよく炭が灼熱色に変わった。「面白ーい」と2,3回引いたら「もういいやろう」と声がかかり、しぶしぶやめた。
おやじは修理する刃物を炭に入れ、ふいごを勢いよく引いてまた押す作業を繰り返すと、刃物が真っ赤になり鉄の台に乗せて嫁さんが長い柄の金槌を打ち下ろした。おやじは打ち下ろすたびに小さな金槌で嫁さんが次に打ち下ろす場所を示した。その作業は少しの無駄がなく進められた。
鍛冶屋がなくなって何年たったのだろう。仕事が減って成り立たなくなったのだろうが、鍬は耕運機が普及し使わなくなったためだろうと勝手に想像するが・・・。
何年か前、産業展示館の古物市で長火鉢を購入した。ところが、火鉢に入れる灰の調達に苦労した。そして五徳も数件のホームセンターに行ってもなかった。諦めていたのだが、実家に帰った折り宇出津に行ってスーパーに寄った際、向かいに金物屋があった。ひょっとしたらと思い店に入ったら五徳が2,3点置いてあった。店主に「五徳の需要はあるのか」と尋ねた。「お寺の住職から注文があるのでうちで作っている」という。その店は鍛冶屋兼業だったのである。
つい最近、その金物屋さんが車でかなり遠方まで出前をしている様子がテレビで放映された。高齢のおばあちゃん方が、農作業で使う器具の修理をするお得意さんなのだ。息子さんがUターンして親父の跡を引き継ぐ決心をしたのだという。
孫ができて危ないので長火鉢はお蔵入りしているが、今年高校と中学に進学するまでになったので、長火鉢の出番が近いと思う。鉄瓶で沸かしたお湯で入れたお茶の味は格別なのだ。
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