2017年2月22日水曜日

50にして「大規模都市開発の研修」を受けろ!

人間50年 化天のうちをくらぶれば・・・と舞った信長だが、この年50となる平成4年、それまで主として事業団所有地の更地化に関する業務をしていたが、新たに開発企画課へ転属となった。都市再開発事業、土地区画整理事業等の担当部署である。とはいえ、最初に手掛けることになった仕事は南方貨物線大府~名古屋ターミナル間の更地化工事費の算定業務であった。

東海道本線を客貨分離するため10年以上も前から着工され、一部区間を除き高架橋や中川運河橋りょうなど4kmが完成していた。それを更地化するにはどれだけ費用がかかるか至急算定しろと本社指令が降りた。

完成している高架橋や橋りょうをどのようにして撤去するか・・・、区間は住宅密集地であるため爆破というわけにはいかない。建築物や構造物の撤去に関する資料を集め、ワイヤソーで切断する工法で算定することにした。いうなれば、チェンソーの大型機械化したものである。
結局、極めて高額な費用となった。隣の係では、天竜浜名湖から飯田までを結ぶ佐久間線の撤去工事費の算定に取り組んでいた。道路網の整備と車の普及で貨物が激減、旅客も激減したため、計画線の建設にストップがかかり、とうとう撤去することになった。そしてその土地は建造物を含めて清算事業団に移管された。南方貨物線は国鉄分割民営化直前まで建設していたのだ。

撤去費算定業務に続いては、岐阜駅貨物ヤード、千種葵宿舎跡地の土地区画整理事業計画に首を突っ込むことになった。
換地計画という作業がある。従前地と従後地の計算プロセスが極めて重要である。要するに減歩率が適正かどうかをそれで判定するのだ。本社担当者への説明はいうまでもない。書類をかかえて東京駅北口横断歩道を何往復したか・・・・・。

そうこうしているうちに、研修に行けと業務命令が出た。研修センターは板橋。池袋から東部東上線3つ目で下車。そこから徒歩10分に研修センターがあった。独身寮を急遽改築して研修所としたところだった。

研修期間は6週間。金沢まで毎週帰宅するには余りにも交通費がかかりすぎるので、帰らないことに決めた。そして、その休日は徒歩で東京を探索することにした。ガイドブックを購入し、徒歩ルートを検討した。
歩いて見ると今まで知らなかった東京を知ることができ、驚きと新たな発見があった。
その記憶を何回かに分けて辿りたい。

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