2018年4月30日月曜日

にわかに信じがたい話

今まで生きてきた経験が自信過剰気味になっているのに気付かないで、新しい事象の変化に中々溶け込めない、否、溶け込もうとしない後期高齢者の一人なのだが、先日目にしたニュースに「3Dプリンターで24時間で家が建った」というものがあった。「エーッ、そんな馬鹿な」とにわかに信じがたい話であった。
プリンターは一般家庭にほぼ100%普及しているこの時代だが、3Dプリンターなるものができたというニュースはここ2,3年前くらいだっただろう。そのプリンターで樹脂で人形が作られたという話を聞いた。紙にプリントするのではなく、3Dのデータをインプットした機械を動かして製作するのだという。


リコーが開発した3Dプリンターは7500万円だという。この機械でどんなものができるのだろう。
製品ボリュームが1m3くらいか?
ところが海外では建築用3Dプリンターが開発され、既に実用化されたというではないか。

家を建築中の3Dプリンター
3Dプリンターで完成させた実例
ドンドン活用事例が増えている
アメリカ・サンフランシスコに拠点を置く会社「アピスコー(Apis Cor)」に依頼すれば、かかるコストは約113万円。わずか24時間で家が完成してしまうというのだからすごいではないか!
3Dプリンタの大きさは、アームが4m、高さが1.5m、重さが2トンと、建築機材としては意外とコンパクトなのだ。必要に応じて伸び縮みし、目的地まではクレーン車で運ばれるという。アームは最長で8.5m、高さは最高で3mにもなるという。

3Dプリンタのなかにはコンクリートを混ぜるためのミキサーが内蔵されていて、1台で1日あたり最大100平方メートルの建物を出力することが可能。ホームページによると、必要とする人員は事業管理をする人と材料供給をする人、合計2人だけなんだと。

インストールとセットアップにかかる時間は、だいたい30分。必要とする電力は電気ポット5台を同時に使用するのと同じ、800kw。回転式アームですいすい基礎から着工、内装外壁屋根のすべての製作を3Dプリンタが担当するらしい。

おおかた完成したら、今度は人間の出番。壁を塗り、屋根に耐久シートを張り、壁面に断熱材を注入。窓などを取り付け家具を入れたら、3Dプリンタハウスの完成!

こんな話はやはり俄かには信じがたいなぁ。



2018年4月29日日曜日

ナスカの地上絵が新たに多数発見


1000年以上も前に、ペルー南部の高原の砂漠に描かれたナスカの地上絵は、私たちの想像力を刺激してやまない。ナスカ周辺の砂漠には巨大な地上絵が1000点以上残されていて、雨乞いの儀式と関係があるのではないかと言われているが、確かなところはわかっていない。

このほど、ドローンを手にしたペルーの考古学者たちが、ナスカのすぐ隣のパルパで、地上からは見えない、かすかな線で描かれた地上絵を新たに50点以上発見した。さらに、地元の人々だけに知られていた地上絵をドローンで初めて調査し、これまでにない詳細な地図を作ったという。


新たに発見された地上絵のなかには、この地域で西暦200年~700年まで栄えたナスカ文化のものもあったが、その多くはもっと古く、紀元前500年~西暦200年のパラカス文化やトパラ文化のものと考えられている。 有名なナスカの地上絵は、大半が上空からしか見えないが、それより古いパラカスの地上絵は山腹に描かれていて、ふもとの村から見ることができる。二つの文化は、芸術的なテーマも違っている。ナスカの地上絵の多くが直線や幾何学図形であるのに対し、新たに発見されたパラカスの地上絵の多くは人間を描いているのだ。

この絵は漫画チックである
ナスカの地上絵が現在まで残っている理由がある。それは年がら年じゅう雨が降らない高地にあるためだという。今回新たに発見された絵は山肌に描かれたものがあるという。これだと地上の離れた位置から誰でも眺めることができる。


問題は上図のように上空からのみ見える絵は、果たして誰のために描かれたのか。この推理に興味が尽きないのである。
地上絵を描いている想像図
古代ペルー人は、地表の石を動かして線の縁を際立たせ、縁の間の土をかき取って下の白っぽい土を露出させるという方法で地上絵を作った。
描いた人間がどんな絵になっているか確認の方法がない。だから地球外生命がやって来たに違いないという説も捨てがたい。


ナスカの地上絵は想像が限りなく広がるのである。


2018年4月28日土曜日

88年前(昭和4年)の金沢駅発汽車時刻表

88年前の時刻表をネットで見つけた。それも汚れやしわもなく、極めて保存状態のいいものである。博物館でもこのような時刻表は保存されていないだろう。


北陸本線では上り下りそれぞれ12本の列車が運行している。上りの行き先は大阪と思いきや、明石、姫路、神戸、名古屋、米原、それに大聖寺行きが2本ある。
下りでは上野が2本、青森、新潟、富山が3本となっている。
往時の汽車の旅はどんなものだったのだろう。私が中学の修学旅行は関西方面だったが、金沢を朝方出発して京都に夕方到着したのだろうが、あまり記憶に残っていない。
その頃はまだ複線電化されていなくて、今庄から敦賀までスイッチバックをしながら急坂路を喘ぎながら登って行ったのだろう。

一方の七尾線はどうかというと、午前、午後各4本計8本が運行している。行き先は中島となっている。この時刻表のできる1年前の昭和3年に七尾・中島間が開業した。
昭和7年、穴水まで開通、その3年後の昭和10年、輪島まで全通した。

ついでだが、輪島まで全通した24年後、能登線穴水・鵜川間が開通した。能登線全通は昭和39年だった。だが、穴水・輪島間、穴水・蛸島間の線路は廃線になって久しい。
自動車に鉄道が駆逐されてしまったのである。北前船は鉄道に駆逐された歴史がある。

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、おごれるもの久しからず、盛者必衰の理を表わす・・・か。


2018年4月27日金曜日

ウチのハナミズキが満開

ウチの庭で春になると最初に咲く花は姫こぶし、次にウメ、アンズの花が目を楽しませてくれる。
今、咲き誇っているのがピンク色のハナミズキである。このハナミズキは植栽して20年なのだが、植えた当初は樹形が申し分が無かったが、日当たりの関係で低い枝の花が咲かなくなって、やたらひょろひょろと伸びて軒より上に花を咲かせるようになった。





ハナミズキが終わると次にヤマボウシが咲く。この花はまるで蝶が葉の上に止っているように見え、締めくくりとなる最後の花は夏椿。この花は一晩しか持たなくてすぐ地面にボタボタと落ちてしまう。だから写真を撮るチャンスがないのだ。
花を愛でるのは1年のうち3カ月だけの楽しみである。

2018年4月26日木曜日

川遊びする少年の姿は同世代

こんな写真が見ることができるなんて、ネット時代ならこそである。
その写真には大勢の子供たちが川遊びに興じている姿と、屋根に石ころが載った街並みが写っている。場所は主計町界隈の浅野川である。まず、ご覧あれ。

主計町地内の浅野川で遊ぶ少年たち
年代を推定すると終戦直後だと推定するのだが、道を歩行している男性は着物姿であることから、もう少し遡るのかも知れない。このあたりは水深が浅く、格好の遊び場だったのだろう。私の少年時代も近くの川に10時頃から正午近くまで遊んで昼飯を食べすぐ川に向かった。夕方近くまで素潜りを続けているため眼が霞んだものである。

今の主計町の佇まい
今でこそ東の茶屋街の街並みと主計町のそれは何ら遜色がないが、この時代は明らかに格差が大きかったのだと思う。
現在はどちらも観光客で溢れかえる街になった。


2018年4月25日水曜日

15年ぶりに再会した豪華客船

昨日の午前中のTVニュースを見ていたら、金沢港に豪華客船ダイヤモンド・プリンセスが入港したという映像が流れた。ダイヤモンド・プリンセスは平成15年に長崎に出張した際に、長崎港の三菱重工で建造中だった様子を目の当りにした。その船影を佐世保に向う船上から写した写真がある。

長崎で建造中のダイヤモンド・プリンセス
時は流れ、あれから15年、金沢港にその船がやって来たという。見たい!という欲求にかられ、みなと会館の駐車場に向かった。ところが、あたり一面が仮囲いで覆われており立ち入り禁止となっているではないか。会館の案内に「写真を撮りたいのだが、どこから入るのか」と聞いた。この埠頭にはいませんとつれない返答。「どこ?」と聞いたら「大浜埠頭だ」と。金沢港の一番奥の埠頭だと分かった。

雨の中、大野川の橋を渡り砂丘を登ると「石油基地」。ここは進入禁止なので直進。すると小松製作所の広大な工場があった。そこをなお直進し突き当たりを左折すると駐車場があった。駐車場には2,30台が駐車しており、次々と入って来た。駐車場の横から小高い場所があったので、そこに登ってみた。船首の前にクリーンが鎮座しているため、写真にならない。
クレーンが邪魔!
そこで船の傍まで行ける場所に行ってみることにした。400mくらい離れたところに受付が設けられていた。住所氏名電話番号を記入したところ、「身分証明書の提示をお願いします」と。免許証は駐車場まで取りに行かなければならない。かんべんして!とお願いしたらOKが出た。ガードマンが何人も配置されており、ものものしい警戒ぶりである。
50mほど歩くとようやく通路用のテントに入った。

船客のおもてなし
この圧倒的ボリューム
向こうに乗船口
このテントは見学者用
間もなく出航
こんな豪華客船での船旅は羨ましい限りだ。



何時かは乗ってみたい!だが、その夢は永遠に実現しないかも。
金沢港にはこんなに外国船がやって来るという。


6月に3,500人を乗せた船が入港するという。金沢港も有名になったものである。

2018年4月24日火曜日

国立工芸館の起工式

国の地方創生の一環で、東京から金沢に移転する東京国立近代美術館工芸館の起工式が今月8日、建設地の金沢市出羽町で開かれた。日本海側初の国立美術館として、2020年の東京五輪・パラリンピック期間中の開館を目指すという。

起工式
石川県によると工芸館は、県立美術館といしかわ赤レンガミュージアムの間の敷地に整備し、建物は旧陸軍第九師団司令部庁舎と金沢偕行社を移築・復元して活用する。
また、県では、移転に先駆けて機運を盛り上げるため、2017年から毎年、工芸館の所蔵品を展示する、「東京国立近代美術館工芸館名品展」を開催している。 



そのほか、5月には、移築に向けて現在解体中である、旧陸軍第九師団司令部庁舎と金沢偕行社の内部を見学できるツアーを開催するとしている。
今後、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催期間中の開館を目指し、準備を進めるのだとか。 

起工式に出席した独立行政法人国立美術館の柳原正樹理事長は「日本全国、世界へ発信できる工芸の館になるようまい進していく」と話した。
おめおめとよくも起工式に出席できたなぁと思う。昨年、富山県庁で「金沢に移転する国立工芸館に誰が行くというのか」、「21世紀美術館の入場者数は入口と出口の人員を合計して発表している」とボロクソに石川県民・金沢市民を侮辱する発言をしたのである。後日発言の謝罪をしたというが、美術工芸館長という立場で県民を侮辱した発言は永久に忘れることができない。