2023年3月28日火曜日

70年前に見た曲水沿いの夜桜が恋しい

桜が五分咲きになったという。今年こそ兼六園の桜を見ようとその時期を伺っているが、明日あたりに行きたいと今から楽しみである。兼六園に沢山の桜が咲くのだが、その中で曲水に沿った満開桜がお気に入りの場所である。六十数年前に初めて兼六園の夜桜を見に行った。その時の曲水沿いの桜が目に焼き付いているのだが、数年前に再びそこの桜を見て、あれっ、やけに淋しくなったなぁ・・・と思った。あの頃が桜の樹勢が最も良かったのだろう。ソメイヨシノの寿命は100年前後だと聞いたことがあるが、今思えばその頃が最盛期の桜だったと思う。

曲水沿いの夜桜

橋場でバスを降りて浅野川右岸の桜を鑑賞して、大手門から金沢城、石川門を経て兼六園のルート。もちろん曲水も見てみよう。そして金沢神社に参詣して帰るというコースである。

昔、幸町庁舎に勤務していた頃、片町でバスを降り犀川大橋から桜橋の川沿いの満開桜を眺めながら職場に向かった。この川沿いの桜は老木だがそれはそれは圧倒的存在感の桜だった。帰り道は兼六園の桜や大手町の桜を鑑賞して駅まで歩いた。桜が咲くシーズンになると常にその頃の満開桜を思い出している。



2023年3月27日月曜日

以外だった史実

桶狭間の決戦で今川義元が討たれ今川家の歴史はこれで終わった・・・とする考えは大方の見方だろう。自分もそうだと決め込んでいたが、10年以上も前になるが、氏真の子孫は幕末まで徳川家臣だったという記事をみたことがあった。その時はフーン・・・と思っただけだったが、昨日のNHK番組で氏真のその後や子孫の記録を見て氏真の真価に感心した。


今川氏真は「国を滅ぼした暗君」として語られることの多い人物である。ただ「海道一の弓取り」とまで称された父・今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られたとき、氏真はまだ22歳。若い氏真が、大敗し将を失った大国をいきなり治めるのは過酷だったと思われる。氏真には同情すべき点もある。


武田信玄は義信を廃嫡し氏真の姉を今川家に帰して婚姻関係を解消、同時にそれまで結んでいた同盟関係も破棄して駿河攻めを決行した。結果的に氏真は信玄に敗れて駿河を取られ、ここに戦国大名としての今川家が滅びた。
しかし今川家そのものがなくなったわけではないのだ。氏真は妻の実家である北条家を頼り、北条家の庇護を受けながら駿河奪還を目指そた。また氏真は、信玄の攻勢を受けるなか家康とも和睦しており、北条・徳川のパイプ役となった。

その後、長篠合戦にも参加、武田家滅亡後は家康家臣として牧野城主になったが、以後、大名復帰は叶わなかった。
だが、子孫一族は幕末まで「高家」として勤め、幕閣の一員まで登りつめたという。
氏真の処世術が光を放った歴史があった。あの世で義元も今川家存続のため力を尽くした氏真を手厚くもてなしていることだろう。

2023年3月26日日曜日

自分がしたことが信じられない出来事

昨日は、自分のしたことが未だに信じられない出来事が発生した。
午後12時10分、待ち合わせ指定場所に向かって松任方面に向かって車を運転した。オカミ同乗で走行中、タイヤからだと思われる異音が聞こえてきた。13時に待ち合わせすることになっていたので、異音状況の変化がないか慎重に聞きながら、停車確認することなく目的地に向かった。パタパタという音が強かったり弱かったりしてしていた。

食事会を終え、その駐車場でタイヤを点検した。タイヤキャップを外して「あれ!何で?」と思った。ナットが緩んでいたり1個無くなっていたりしていたので驚いた。先日タイヤ交換したばかりなのにである。緩んでいるナットを締めなおしして反対側のタイヤキャップを外した。「あれっ、こっちも緩んでいる」と。これは明らかにタイヤ交換の際のボルトナットの締め忘れである。これまで、このようなことは一度足りと無かったことである。

しかし、現実にそれは起こった。ナットを締め直して走行し、近くのスタンドまでたどり着いた。スタンドの従業員に事情を説明したら、ナットを入れてすべてのボルトナットを締めなおししてくれた。従業員曰く、「ナット全てが締め方がゆるい」と。費用を支払いしようとカードを渡そうとしたら、「いやいや、その必要はありません」とありがたい対応をしてくれた。

これまで自分がしてきたナットの締め方には訳があった。その昔、勤務している事務所の駐車場でタイヤ交換している同僚がいた。ナットを締めるのが足ではなく手だけで絞めていた。同僚曰く、「足で力いっぱい踏んで締めるとトルク値が過大となる。手で目いっぱい締めれば大丈夫」と。これ以降、何十年とそうしてきた。だが、スタンド従業員が電動締め付け器を使用し、カンカンという音が無くなるまで締めた。明らかにトルク値不足だった。

ということがあったので、オカミは「これからタイヤ交換はスタンドでやってもらうことにしよう」と。何せ大事故にならずにホッとした。そして自分のボケ状況が自覚できた。年はとりたくねぇな。

2023年3月25日土曜日

残念!満開は曇り空

連日の青空も一昨日から曇り空になった。運の悪いことに、最も咲き競う時期が曇天になってしまったわが家の「姫こぶし」である。

咲き競う「姫こぶし」

折角満開なのに青空のもと太陽のひかりを浴びて咲き競うシーンが見られないのがとても残念に思う。
満開1日前の写真をもう一度見てみた。

やっぱりこの花は青空が似合う

ウメとアンズは1週間前が満開だった。去年10月ごろに剪定したので満開といえども迫力がいまいちだった。

6月中旬には絶品の実がなる

もうすぐ近くの公園の桜が満開になるのが楽しみだ。春はすぐそこまで来ている!

2023年3月24日金曜日

昨日の出来事は盛りだくさん

 昨日は久しぶりに小雨がぱらついた。そんな中、いろんな出来事があったが、やっぱり数々の感動をくれた侍Jが帰国したことがトップの話題になる。TVは成田に到着する1時間以上もまえから中継していた。

こんな風景は初めて見た
選手がロビーに現れるのを今かいまかと待ち構えた群衆だが、群衆のほとんどがスマホを持って両手を挙げた。カメラは殆ど確認できなかった。
監督以下全員が総理官邸に招かれ労いの言葉を受けた。それだけの値打ち十分な侍Jだった。

栗山英樹監督:日本でたくさんの人が応援してくれたんだなと、空港に着いたときに感じたし、選手たちが頑張って勝ちきってくれたこと、本当に多くの日本の皆さんの思いというのが力になりました。本当に感謝でいっぱいです・・・と。

次の話題は津幡町出身で、2年続けてアマチュア横綱に輝いた日本体育大学の中村泰輝選手が、大相撲の二所ノ関部屋に入門することが決まった。
中村選手は津幡町出身で、193センチ、175キロの体格をいかした突き押し相撲を得意としている。日本体育大学に進学後は、2021年と2022年の全日本相撲選手権で優勝し、2年連続でアマチュア横綱の称号を手にした。

しこ名は?
入門は二所ノ関部屋、元横綱・稀勢の里が師匠で、中村選手は5月の夏場所での初土俵を予定しているという。
夏場所は、全勝すればひと場所で十両昇進が可能とされる幕下10枚目格からのスタートとなり、入門直後から大きな注目を集めそうだ。

次の話題:金沢地方気象台は23日午前、「金沢市で桜が開花した」と発表した。
金沢市の桜の開花は平年よりも11日、去年よりも7日早く、統計を取り始めて以来、令和3年とならんで最も早くなった。

さて来年はもっと早く咲くか
金沢地方気象台では、午前9時半ごろ、職員が桜の開花の目安にしている敷地内のソメイヨシノの標本木に5、6輪以上の花が咲いているのを確認した。
このため気象台は「金沢市で桜が開花した」と発表した。
3月23日の開花は平年よりも11日、去年よりも7日早く、気象台が統計を取り始めた昭和28年以降では令和3年とならんで最も早い開花になった。

地球温暖化が加速している。もっと真剣に取り組む必要がありそう!
花見は4年ぶりに制限なしで楽しめるという。花見と金沢神社へお礼参りに行ってこよう!

2023年3月23日木曜日

金沢は外国人観光客であふれた

昨日は気温がみるみる上昇した。
その前日も急上昇して、金沢で3月に20度以上を観測したのは5度目で、1942年以来、81年ぶりの記録的な暖かさとなった。モナコから観光船が寄港したため、金沢市のひがし茶屋街は、大勢の観光客でにぎわったという。外国人旅行者の姿も目立ち、ぼんぼりが飾られて華やぐ通りを散策した。

この混みようは尋常ではない

ヨーロッパからはるばる来航したわけだが、船旅となるとかなりの費用がいるだろうに、我々より若い方々が多い。日本人より所得格差が大きいためか。日本人の所得は30年間固定されたままだった。到底、アベノミクスが成功だったとは思えないではないか。

お見送りも盛大だったようだ

数百万あれば世界一周は可能。この船はどんな経路をたどって帰還するのだろうか。日本経済活性化のため、「また来てね」である。

2023年3月22日水曜日

三浦さんのニュースで元気が出た

昨日は午後からタイヤ交換をした。これまでずっとやってきたこの作業だが、今回は体力が極端に減退していることを思い知った。ちょっと作業して一休みを何度したことか。12月初旬から2週間入院したことから体力が減退したのだろう。我ながら実に情けない。

先日のニュースで、あの御年90歳の三浦雄一郎さんが大雪山旭岳でスキーを楽しんだという。

三浦雄一郎さん、スキー滑降 北海道・旭岳、90歳で挑戦

三浦氏は私より10歳上。3年前に大病したという。その三浦氏には名言がたくさんある。

歳を取れば、できないことが増えてくる。それは当たり前のことです。しかし、できないことを決めるのは他の誰かではありません。それを決めるのは自分自身。

可能性がゼロではない限り、人間にはチャレンジする権利がある。小さなチャレンジでもかまわない。自分の可能性を捨ててはいけないと思う。可能性を見限った瞬間に心の寿命は尽きてしまう。

最高齢ヒマラヤ登山の記録保持

こんな記事を見て、「まだまだやれる」と勇気が湧いてきた。