2023年3月27日月曜日

以外だった史実

桶狭間の決戦で今川義元が討たれ今川家の歴史はこれで終わった・・・とする考えは大方の見方だろう。自分もそうだと決め込んでいたが、10年以上も前になるが、氏真の子孫は幕末まで徳川家臣だったという記事をみたことがあった。その時はフーン・・・と思っただけだったが、昨日のNHK番組で氏真のその後や子孫の記録を見て氏真の真価に感心した。


今川氏真は「国を滅ぼした暗君」として語られることの多い人物である。ただ「海道一の弓取り」とまで称された父・今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られたとき、氏真はまだ22歳。若い氏真が、大敗し将を失った大国をいきなり治めるのは過酷だったと思われる。氏真には同情すべき点もある。


武田信玄は義信を廃嫡し氏真の姉を今川家に帰して婚姻関係を解消、同時にそれまで結んでいた同盟関係も破棄して駿河攻めを決行した。結果的に氏真は信玄に敗れて駿河を取られ、ここに戦国大名としての今川家が滅びた。
しかし今川家そのものがなくなったわけではないのだ。氏真は妻の実家である北条家を頼り、北条家の庇護を受けながら駿河奪還を目指そた。また氏真は、信玄の攻勢を受けるなか家康とも和睦しており、北条・徳川のパイプ役となった。

その後、長篠合戦にも参加、武田家滅亡後は家康家臣として牧野城主になったが、以後、大名復帰は叶わなかった。
だが、子孫一族は幕末まで「高家」として勤め、幕閣の一員まで登りつめたという。
氏真の処世術が光を放った歴史があった。あの世で義元も今川家存続のため力を尽くした氏真を手厚くもてなしていることだろう。

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