2021年5月7日金曜日

予約受付騒動記

 三度目の緊急事態宣言が延長されるという。インドでは変異株による爆発的蔓延でパニックに陥っている。コロナ禍を鎮圧するにはワクチン接種しか道がない。その待望するワクチンが当初見込みより随分遅くなっている。生産国優先は当然だろう。しかし、国産ワクチンがなぜ出来ないのかが歯がゆい。大阪ではベッド待ちの患者が自宅で死去するケースが日を追う毎に増えているではないか。先進国と自負する日本の現状があまりにも情けない。政治家よ、もっと汗かいて国民のために働け!と叫びたくなるではないか。


昨日6日は予約受付が開始された。朝は混み合うと予測し、正午前にかかりつけ医に向かった。1台だけ空いていた駐車場に駐めて医院に入った。待合室には十数人が待っていた。受付で二人分の名前を記入して呼ばれる順番を待つことにした。1時間以上を覚悟していたが、30分経過の頃、名前を呼ばれて手続きとなった。「奥様とお二人ですね。7月9日16時から17時でよろしいですか」と問われ大丈夫ですと答えて予約が終了した。朝の受付時は外まで行列が続いていたらしく、1日数名の接種だろうから昼の受付では遅くなるのは必然で仕方がない。

昨日は午後4時から八幡公園の草刈りの始末に出かけた。作業が終わって休憩中ではワクチン接種の話題に花が咲いた。あるクリニックから電話で予約勧誘があったという話しや、LINE、電話予約は先ず埒が開かん等々。出向いて予約するのが確実という意見が多かった。驚くことに、今月15日に接種するという人もあった。
7月9日までさらなる自粛を強化しようか。

2021年5月6日木曜日

急患お断りのたらい回しで恐怖感

昨日午後、鼻の左側の応急手当をした出血がじわじわと出ていたのだが、ついに右側の出血が始まったと家内から不安げな顔で告げられた。時間経過とともに出血量が増えてきたようなので大学病院受付に電話した。「昨日の早朝、そちらで出血手当をしてもらったが、紹介された耳鼻科では対応不可だと言われたのでそのままの状態になっている。今から診てもらいたい」と告げた。ところが「当病院は急患で溢れている。耳鼻科担当医も不在。休日当番医に行ってください。」とのことであった。 指示通り当番医に電話したが午後6時前後だったので繋がらなかった旨を大学病院に告げた。

そうすると浅ノ川病院の救急に行くよう指示されたので、淺ノ川はコロナ関係で診療は受け付けていないはずだというと、直接、救急受付に行けば診て貰えるといわれたので車で向かった。ところが診療は一切やっていないと告げられた。困った様子を見てか、沖町の金沢病院だったら診てもらえるから・・・と聞き、そちらに向かった。

金沢病院の急患受け付けで待っていたら、看護師が出てこられ耳鼻科医は不在なので県中ならいいかも・・・と丁寧に断られた。不安感がMAX状態になった。家内は大きなビニル袋の中に顔を突っ込んでテッシュの山にうずくまっていた。

県中の駐車場は広いが使いづらい
県中の救急受付を済ませ暫く待っていると家内が診察室に呼ばれた。30分ほど経過して二人の救急医が出てきて状況を説明された。耳鼻科担当医に連絡を取っている。時間がかかるかもしれない。先生が来られれば4Fの外来診察室で治療する・・と説明があった。これでやっと胸をなで下ろした。
1Fロビーの後方に救急受付がある
結局、血管焼灼となった。両側の出血では無く片側出血がオーバーフローして両方から出血した状態になったという。出血し凝固したものを鼻腔から丁寧に除去してもらったという。
治療が終わった際、先生が神様のように思えたのでお辞儀を何遍もして感謝したという。
帰宅途上の車の中は安堵感で一杯だった。それにしても連休中の出来事のせいか、たらい回しの恐怖は並大抵なものではない。

2021年5月5日水曜日

当院ではできません

 大学病院で応急手当を受け一旦帰宅してから、休日当番医あての紹介状を持参して耳鼻咽喉科へ送っていった。家に帰って待機していたら終わったと連絡があり迎えに行った。姿が見当たらないので受付に聞いたら奥の部屋に行って連れてきた。精算してクリニックを出てから驚きの言葉を聞くことになった。何と、「止血手当はしっかりやってあります。しかし、当院では治療することはできません」と断られたという。「応急手当の止血処置を取り除いて治療するレベルはない。このような開業医を紹介する大学病院のスタンスがおかしい」と。ま、このような治療経験がないとしか考えられない。

焼灼するしかないか・・・

さあ困った!まだ完全に止血している訳ではないし、今日も休みだし、明日は直ちに大学病院に診察予約を取らなければならない。救急受付で名前を伝えたらパソコンで旧の住所が記録されているらしく、〇〇町の方ですねと。今は住所が変わりましたと伝えたのだが、20年以上も前の手術歴が記録されているようだ。無事に明日まで持ってくれよと祈るしかない。

2021年5月4日火曜日

初めて乗った救急車

AM2時、鼻血が止らないと起こされ対処法をネットで調べた。3つほどの原因があげられていたがどれにも該当しない。20分ほど小鼻を押さえていれば止血する、それでも止らない場合はさらに20分、大抵の鼻血はこれで止る・・・とあった。が、40分経過してもだめ。それ以上は救急車を呼ぶしかあるまいと着替えて119。5分で到着。深夜なのでサイレンは申し訳程度だった。到着して病人を乗せ、次に付添人。初めての体験だった。

左側のイスに掛けた

最寄りの浅ノ川病院は受け入れ不可のようだった。行き先を打ち合わせしている時間が長く感じた。コロナ禍で直ぐ受け入れする病院がない。ようやく大学病院と告げられた。ここではただひたすら待合室で待つのみ。医師が経過報告に来て、血圧が190と告げられた。凄く高くなっていたのに驚愕した。1時間半ほど経って病室に案内された。血圧が平常値、不思議だ。暫くして終わったと言われ玄関外に出てタクシーで帰宅した。

今日は休日、当番医は鳴和付近の耳鼻科なので9時医院前で降ろして取りあえず帰宅した。原因はなんだろう?


2021年5月3日月曜日

70mにわたり竜巻が猛威

静岡牧之原地内で1日午後、突然突風が吹き荒れ住宅等の屋根が損壊、電柱倒壊、トラック横転する被害が広がった。気象庁では竜巻が発生したと発表した。

台風とは違った被害状態

電柱倒壊で500世帯が停電したという
台風だと建物全体が倒壊する被害が多いが、竜巻の被害は屋根を引き剥がしたような被害となる例が多い。

竜巻の中心が通過した場所のようだ
被害は特に延長70mにわたる区間に集中しているようだ。民家など少なくとも約60棟が屋根瓦を飛ばされるなどして一部損壊した。人命の被害はなく、割れたガラスなどにより、3人が切り傷などの軽傷を負った程度。静岡地方気象台は2日、同市布引原地区で竜巻が発生した可能性が高いと発表。4トントラックが横転したことから、風速は約55メートルと推定され、6段階で強さを推定する「日本版改良藤田スケール」では上から4番目に強い2に該当するという。市や消防などによると、民家が一部損壊したほか、住宅敷地内の車庫など3棟が全壊し、車5台が横転。電柱16本が倒壊するなどし、県内で一時約3200戸が停電した。

災害は何時どこで発生するかわからない。コロナ禍は自粛すれば防止することは可能だが、自然災害は「無事で過ごせますように」と神頼みするしかないか。

2021年5月2日日曜日

海王丸展帆もままならず

通常、年に10回実施される海王丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)は、コロナ禍のため縦帆のみに縮小されたという。
射水市の海王丸パーク内にある帆船海王丸は先月25日、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、29枚すべての帆を張る総帆展帆(そうはんてんぱん)は実施せず、縦帆(じゅうはん)11枚のみを展帆した。
縦帆11枚のみ展帆
同日が本年度最初の総帆展帆の実施日だったが、総帆展帆をする場合は、ボランティア約70人が密集、密接する状態で作業しなければならず、同パークを運営する伏木富山港・海王丸財団がコロナ禍では作業が困難と判断した。その代わりに、職員8人が縦帆を張った。5月3日の予定日も縦帆展帆にする。
同財団によると、5月2〜5日に計画している連休向けの催しは予定通り開催するという。
本来の総帆展帆
そういえば町内シニアクラブで海王丸を見学したことがあった。
見学受付

維持管理が万全だった
子どもの頃、親父が駆逐艦に乗艦していた時の様子を何度も話してくれた。それがため、船乗りもいいなぁと、高校は富山商船に憧れたこともあった。もう半世紀以上前の話である。

2021年5月1日土曜日

今月の当番表配付で3600歩

5月の連休に入った。在職中は岐阜にいようが広島にいようが、必ず能登の実家に帰省した。乳飲み子を連れて広島から16時間かけて実家まで、我がことだが、今思えばただただ感心する。

さて、今日は児童の安全見守り隊の当番表を作成してメンバー9人に配付してきた。この隊の正式名称は、「ちさか地域安全パトロール隊」の町内分隊である。この隊に関わったのが平成18年だから今年で15年目となる。それ以前からパトロール隊はあったのだが、総勢6人で2箇所にわけて週2回ほど下校時の児童の交通安全を図っていたが、町会の業務を担うようになり組織を強化することにした。


町会役員や班長に隊員となるよう懇願したところ、何と28名の体勢となり、2箇所の交差点で児童の誘導を行なった。ところが、経年とともに高齢化による体調不調で引退者が続出し、最近では9名のみとなった。先月、地域活動に協力されているある人から〇〇さんに声を掛けてみたらどうかと連絡を受け、その人の家に勧誘に行って承諾を貰うことが出来た。これで10名体勢とすることができた。

当番表を作成するようになって14年過ぎた。3年前までは町内の隊長をしていた人が急逝されたので配付を引き継いだ。うちの孫は大学2年だが、小学に入学した当時も交通誘導をしたから、随分長くやっている。ただ、3年前に腎臓癌で入院した2週間はお休みをさせてもらった。