2020年9月24日木曜日

吹けば飛ぶような蝶が白山地方から台湾まで飛んでいく

あの蝶が日本から海を越え台湾まで飛んでいくという話しを初めて聞いたとき、そんな馬鹿な、と思った。しかし、中学生の国語の時間に、「てふてふが韃靼海峡を越えてきた・・・」という文章を読んだことがあった。
で、アサギマダラは「旅する蝶」として有名で、春から夏にかけて南から北へ移動し、秋になると南下するようだという。 
この蝶が2千km彼方まで飛ぶという
アサギマダラの不思議は、まず、渡り鳥のように季節によって長距離を移動する習性を持つことだ。しかも集団でそれを行う。何がこの「渡り現象」を誘引しているのかは研究でも特定されていないと聞く。渡り鳥は遙か南方から日本まで往復しているのは知っているし、風にも負けないで飛べると思うのだが、その蝶ときたら、吹けば飛ばされてしまいそうなイメージが強い。強風をどのように避けているのだろうという疑問が強くなる。

海を越えて移動するチョウの「アサギマダラ」の飛来が、今年も白山市瀬戸の尾口公民館で観察されている。移動経路を突き止めようと、地元住民らは連日、アサギマダラの羽に捕獲した日時や場所を記して再び放す「マーキング調査」に取り組んでいる。 
このように羽根にメモを記入する
アサギマダラは黒く縁取られた水色の羽を持つチョウで、羽を広げた大きさは約一〇センチほど。春に九州などの温暖地で羽化し、夏は本州の冷涼地に渡って繁殖する。本州で新たに生まれた成虫は秋になると、再び温暖地に向け移動する。
尾口公民館には、アサギマダラが好んで蜜を吸う秋の七草の一つ「フジバカマ」約千株が植えられ、ピンクの花を咲かせている。この花に集まったアサギマダラを捕獲しマーキング調査することで、移動先で再び捕獲された際、移動経路や日数などが分かる。過去には、白山市でマーキングされた個体が約二千キロを飛び、台湾海峡に浮かぶ島で再捕獲されたこともあった。 
16年間も観察を続けている中村明男さん
今年はこれまでに約千匹を調査。二十三日午前には、長野県大町市で約一週間前に放たれたアサギマダラが再捕獲された。 
観察を十六年間続け、地元の子どもたち向けに観察会も開いている中村明男さん(71)=白山市瀬戸=は「子どもたちにアサギマダラの小さな体に秘められた生命力の強さを感じてもらえれば」と話している。

アサギマダラの長距離飛行に感心するのだが、16年間も観察しておられる中村明男さんのパワーには凡人にはまねができない。

2020年9月23日水曜日

「蚊帳」の中に螢が舞った頃

小学生低学年の頃だからもう70年も前に遡るのだが、梅雨あけ前の蛍の飛び交う頃、田んぼの土手で捕まえた蛍を蚊帳の中に放した。4,5匹の蛍が蚊帳の中を飛び交うのを眺めながら、いつしか眠ってしまった。その蚊帳の中は4人の子どもと両親が寝たのだが、両親が子供たちと一緒に寝た記憶は無い。

今朝の新聞記事で蚊帳が復活の兆しがあるというのを見て思い出が蘇った。
以下、記事
厳しい暑さの夜、たまには冷房を切り、自然の風に当たりませんか―。近年、節電や健康意識の高まりで蚊帳が再注目されている。国内生産量でトップを誇る蚊帳メーカー「タナカ」(福井市)は、デザイン重視の商品や新型コロナウイルス感染対策にもなる屋外用などをそろえる。田中源美社長(78)は「時代に合った蚊帳作りで魅力を発信したい」と話す。 

懐かしい「蚊帳」
虫の侵入を防ぐために壁や柱からつるす蚊帳は、夏の風物詩とも言える存在。同社によると、一時、需要が落ち込んでいたが、東日本大震災後に節電への関心が高まったことや、エアコンの風で体調不良を感じる人がいることから、近年見直されているという。 

幼い頃の思い出が次々と湧いてくる絵
蚊帳はいつ頃から使わなくなったのだろう。この頃はお盆過ぎにはめっきり気温が下がった。厚手の布団を掛ける頃に蚊帳をしまったのだろう。半透明の蚊帳の中は別世界だった。
今では子供たちは1室づつあてがわれ、そしてエアコン設置が一般的になった。今の子供たちに蚊帳の話しは残念ながら通じない。昔は良かったなぁ。

2020年9月22日火曜日

深夜の願掛け「七つ橋渡り」

 昨日は敬老の日、国民の4人に1人が高齢者だという。自分も高齢者の1人なのだが、不安に思うのは何時まで人の世話にならなくて生きられるかである。そして今日は彼岸の中日、この日の深夜に金沢に長く続いている行事があるということを知った。

今日の深夜0時過ぎにその行事が始まった
その行事とは、「七つ橋渡り」という行事である。
まいどさんのクイズ
七つ橋渡りは、春秋の彼岸中日の深夜、数珠を持ち新しい下着をつけ、一筆書きのように浅野川に架かる七つの橋を川上から川下へ無言で巡る 習俗で、今も幾つかの決まり事と共に伝えられている。
長患いで寝たきりになり、子供や嫁に下の世話にはなりたくないと言う 思いから、明治の頃、浅野川周辺の女性達により密かに続けられて来たという。


ある人曰く、「歳とってから下(しも)の世話にならんように、願掛けと言う形での、風習で、親の代から続いとるもんで、それに乗って続けさいてもらっとる。やっぱ、子に世話してもろがは大変やし。自分で守ってゆけるように願掛けをせんと。お彼岸の中日に願掛けするということや」

橋がある周辺の女性たちによる行事なのだが、近年は男女の区別なくこの行事に参加する人が多くなっているようである。そして、1日々々の健康寿命を伸ばすよう心がけよう!


2020年9月21日月曜日

PR不足の能登長寿大仏、日本三大大仏の高岡大仏より大きいとは!

 今から十年前の平成22年6月、町内シニアクラブがまだ福寿会と称していた頃、能登方面に研修旅行に出かけた。目的地は能登空港見学、明泉寺、中島まつり会館等であった。穴水から中島に向かう途中、峠を越えしばらくして左側の道に入って公園のような場所で降りた。そこは行ったことがない「真和園」という私設の公園だった。10分ほど園路を行くと緑色した大きな大仏が見えてきた。「エッ、こんなところにこんなどでかい大仏が!」と驚いた。そんな噂話も聞いていなかったので全く知らなかった。

そもそも真和園ってだれの所有なのか?と思い、調べてみた。で、穴水町で建設会社をされていた堀内秀雄さん(明治41年~平成21年)という方が「町民の安らぎになれば」と、長い年月と私財を投じて建立されたという。その精神が生かされ、入園料は開設当初から無料となっている。

園内に複数の蓮如上人等の像

席上の横に蓮如上人の詩

三重の塔
そしてドカンと能登長寿大仏が鎮座

大きさに圧倒された
能登長寿大仏を含む真和園は、これだけの施設を有し手入れされているにも関わらず、拝観料は無料なのだ。園内には無料の専用駐車場やトイレもある。
園内は広大 こんな極楽橋もある
能登長寿大仏の総高さは13.7メートル、総重量は32トンにも及ぶ。大仏の高さは8.4メートル。これは日本三大仏のひとつ富山県高岡市にある「高岡大仏」の高さ7.43メートルを超えてるのだ。建立は2003年。2000年代に入ってから作られた大仏で、表面にはまだ新しさが残る。で、能登長寿大仏の「長寿」の名は、建立者が百歳まで生きたことに因んでいるという。

高岡大仏座高=7.43m
能登長寿大仏座高=8.40m 約1mも大きい!

よって、日本三大大仏は奈良、鎌倉、能登長寿と入れ替わるのである。これは遅きに失した感は否めないが、ようやく穴水町は今月12日に、観光の柱として売り出している同町乙ケ崎の阿弥陀如来座像「能登長寿大仏」の案内看板を同町此木交差点付近に設置した。看板は縦7メートル、幅1・5メートルと大きめ。両面に青空の下、鎮座する大仏と日本語、ローマ字で「能登長寿大仏」、下部に「ここから車で10分、5キロ」と記されている。三重塔や極楽橋などもあり、穴水湾岸から大仏に至る1・8キロで遊歩道が整備されている。町の担当者は「大勢の人に立ち寄ってもらい、穴水に大仏があることを知ってほしい」と話した。

 

穴水町がようやく能登長寿大仏のアピールに乗り出した

2020年9月20日日曜日

4連休初日、全国各地に観光客がドッと

 昨日の朝、TVで4連休中の航空機、ホテル・旅館、JRの予約が「満員盛況」と報じていたが、実際、蓋が開いたら凄い人出で賑わったというニュースが溢れた。政府の観光支援事業「Go To トラベル」が始まる中、四連休の初日を迎えた二十三日、新型コロナウイルスの影響で客足が遠のいていた全国各地の観光地は、久々のにぎわいを見せた。

羽田空港の賑わい

京都清水坂にもドッと
金沢駅前も

東茶屋街も久しぶり
これだけ人の動きがあれば、ホテル、飲食店、その他諸々に活気が戻り、それに関わる多くの勤労者の職場が確保される。
非常に喜ばしいことなのだが、手放しで喜べないのである。コロナに感染する人も人出に比例して多くなること必定だろう。

秋田県ははっきりと、「秋田には来ないでください」とアピールしている。この言葉だが、本当に秋田県全体の意見なのか、知事の独裁で県民の意思表示としたのか定かではない。
秋田県の観光に携わる業界も含めた見解なのかどうかである。
かくいう自分は「怖いなぁ」と思っているし、できるだけ外出は控えようと用心深いのである。

2020年9月19日土曜日

2ヶ月ぶりのクリニック

 通風を発症してからもう4年ほど経過した。その薬を2ヶ月毎に出して貰っているのだが、切れそうになったので朝一番に整形外科クリニックへ行って来た。玄関に入ると、いつもの様子と違っていた。下足箱の隣に消毒液が備え付けられ、その横に受付表に記帳するようになっていた。スリッパに履き替えたら直ぐ受付担当の女性が体温測定器でおでこを照らして平温を確認して中へどうぞと案内された。

2ヶ月毎にクリニックへ
血液検査で尿酸値が7以上の場合は要注意という。5月に検査したデータでは5だった。この5が維持できるように投薬されることになる。朝晩1錠づつ欠かさず飲み続けている。医師から、「体調はどうですか」と問われたので、「異常はありません」と返答したところ、「他に都合悪いところは?」と聞かれ、「全くありません」と返答したら、だいたい何だかんだと云われるものだが、それは結構なことですねと話された。会計200円を支払って薬局に向かった。

薬局も玄関ドアすぐに消毒液が。でも検温はなかった。2ヶ月分の薬を貰って380円支払い帰宅した。8時30分に出発して帰宅が9時20分だった。ま、いつもこんなものだ。

2020年9月18日金曜日

元町会長の号泣

 竣工祝賀会で忘れられない出来事があった。公式の祝賀会を終えた後、2階和室で町内住民が祝いあったのだが、その席に平成4年に町会長に就任され、5年間務められたMさんがおられたので酒を注ぎに行った。Mさん曰く、「町会長、あんたでなければこんな立派な会館は建たなかった」とおっしゃったので、「いやいや、一番の功労者は何と言っても積み立て制度を立案決定されたあなたがおられたからですよ」と云ったら、顔をくしゃくしゃにして何と号泣されたのである。そして、「そうおっしゃってくれるのはあんただけや」と。

竣工の数ケ月前に開いた役員会において、「どうにか竣工の日を迎えられる目処がついた。そこで会館の利用は、長期間積立金の協力があったので、広く住民に開放すべきと考え、その方策として各種サークルを発足させ利用促進を図りたい」と提案した。方針が決定し直ちに会員募集活動を開始した。数あるサークルで人気が高かったのは、クラフト同好会、料理同好会、カラオケ、囲碁、生け花、グラウンドゴルフ、茶道等であった。各同好会の代表世話役は町会長が指名したのだが、10年経過した現在も代表者の方が頑張っておられる。また、会館利用開始とともに導入したのが、いつでも利用可の精神で会館の当番制を取り入れ、常駐体制としたが、2年程前から高齢化が顕著となってやむを得ず取りやめとなった。が、同好会活動はまだまだ盛んに行なわれている。

今改めて考えてみると、現在と10年前の自分の行動力を比べてみると、この年になるととてもあの頃のまねはできないなぁ・・・である。

旧集会所取り壊しで借家、それに伴う引っ越し、それに会館竣工に伴う各種届け業務が目白押しだった。


これは、会館の不動産取得税減免申請書だが、減免の作文が大変だった。しかし、幸いなことに、幸町の県税事務所に町内の住民がおられたので円滑に事務処理が進んだ。市民課の担当者、勤住協の理事長、県税事務所の係長、建築設計会社の社長、大勢の皆さんのお力を賜って建設事業を終えることができ感謝に堪えない思いを忘れてはいけない。