2019年5月14日火曜日

術後1年の精密検診

今日は腎臓がん摘出手術をしてから丁度1年経過したので、医科大病院に精密検診を受けに行った。朝8時30分に家を出て医科大病院に8時50分に到着。

金沢医科大病院全景
既に周辺の駐車場は満車なので、相当離れた場所のすいている駐車場に止めざるを得ないので、玄関入り口までかなりの距離を歩かねばならなかった。

玄関を入ると先ず自動受付へ
9時前だというのに受付番号は427番。今回は1年経過の精密検査なので、放射線科受付に行って予約番号札を受け取り4室並んでいるCT検査室の前で順番を待った。
10分程で入室案内があって、CT検査を受けた。

CT検査
10分ほどで終了して血液・尿検査受付へ。100人は掛けられるイスが満席で、今日の混みようが半端ない状態だった。
受付番号が243番、現在の受付番号が140台なので100人待ちとなった。
が、一度に10人位が採血できるので40分程待つことでようやく呼び出された。

それが終って泌尿器科の受付に行ったのが10時丁度。
これからが大変なのだ。新幹線で東京往復する程待ち時間がかかるのである。
火曜日は担当医である教授の週1回の外来診察日なので、診察室が4つあるのだが、教授の担当外来がわんさかとなる。で、夕方まで席が空くことがない。

泌尿器科スタッフ・前列左二人目が担当医の宮澤教授
なので1時半頃となる予想をしたのだが、見込み違いで2時10分過ぎにようやく入室番号が点灯した。
すぐPC画面でCT画像の説明があり、異常は全くないという判定。次に血液検査データを見ながら腎臓機能のクレアチニンは正常範囲にあり、尿も異状ないと告げられた。
「あなたの体調はどうですか」と聞かれたので、「腎機能の1/4が無いというのに何の異常も感じない。不思議ですね」と返答した。

「ベッドに寝てください」と指示があり、腹部を露出した。教授は「手術痕が全く分からなくなりましたねぇ」と云われた。
最後に血液検査データと3カ月後の検査予約票が渡され会計に向かった。
自動支払機で2600円余を支払って駐車場に向かった。

家には3時前に到着した。長かったなぁ!
つい先日、金大病院と県中病院でダビンチ導入で肺手術ができるようになったと報道があった。近いうちに切開手術というものがなくなって、オールダビンチによる手術時代を迎えるのかも知れない。

2019年5月13日月曜日

小松崎茂のイラスト画

昭和20年代後半は小学生の頃だった。
当時の楽しみは、母親に毎月粘って雑誌を買う小遣い銭80円を貰って、本屋に駆け込んで「少年」を買うことだった。この時代の雑誌といえば「少年」のほか、「少年画報」、「少年クラブ」、「冒険王」などがあったが、付録では「少年」がずば抜けた代物でピカ一の楽しみがあった。


付録で人気の高かったものでは、日光写真機、幻灯機、ピストル、双六など。
表紙をめくると小松崎茂の戦艦、宇宙旅行、未来都市の精彩画だった。



どの絵も臨場感が迫ってきたものである。こんな絵を見て親父の戦争体験談を聞く楽しみもあった。
海軍陸戦部隊として上海上陸作戦に加わった際の話では、「俺は運が良かった。機銃掃射を浴びたが、弾と弾の間に体があったため無傷だった」と聞いて「他の人はどうだった?」と聞いたら、急に口数が少なくなった。

「小松崎茂」の評を引用
当時娯楽に飢えていた少年少女らは、まさに映画を観るように絵物語の挿絵に魅せられた。とりわけ小松崎の描く空想科学冒険物は、今にも動き出しそうにドラマチックな視覚イメージで少年たちの想像力を刺激し、虜にした。小松崎に対しては「大正生まれの宇宙人」とも評された。

少年たちだけではない。
石ノ森章太郎、ちばてつや、松本零士、川崎のぼる、そして藤子不二雄A・・・など、この後来る漫画全盛期を築いた名だたる漫画家たちも、当時は小松崎茂の描く絵物語を愛読し、イメージ豊かなビジュアルが織りなす世界に励まされたという。

やがて1960年代、漫画の台頭に押されて絵物語の人気は衰退してくが、昭和希代の絵師・小松崎茂の勢いは衰えない。得意とする緻密なメカイラストの画力を見込まれ、プラモデルなどのパッケージアート(ボックスアート)を手掛けるようになる。

そして、このプラモデルの箱絵(パッケージ・イラスト)こそが、世に小松崎茂の名を不動のものとする。
タミヤの戦艦・空母・潜水艦・戦闘機、今井科学のサンダーバード、日東科学(現日東科学教材)の1/76スケール戦車、バンダイのロボットと、模型各社のオファーに応えた小松崎のメカイラストは、メーカーの要望と期待以上に迫力のある魅力的なビジュアル表現で模型愛好家を熱狂させ、第1次プラモデルブームを牽引した。

この時の兵器車両や艦船・戦闘機などのイラストから”軍国主義”との批判されることもあった小松崎だが、彼が愛したのはメカとしての機能美、造形美であり、東京大空襲で多くを失い敗戦直後の荒廃を体験した者として、一貫して戦争を忌み嫌い、反戦・平和の姿勢を崩さなかった。
2001(平成13)、心不全で死去。享年86歳であった。

「少年」には鉄腕アトムが連載され、江戸川乱歩の少年探偵団では小林少年、明智小五郎の活躍を「がっぱになって」読んだものである。怪人二十面相も血わき肉躍るおもいで読んだ。

鉄腕アトム

江戸川乱歩シリーズ
そのころ毎日のように、空を見上げると白い点が先頭になってそれに連なる飛行機雲が2条あった。横田基地から能登半島上空を横切り朝鮮半島の戦線に加わったのだろう。
65年ほど前の思い出話しになった。

2019年5月12日日曜日

もうそんな時期?

昨日のTVで、百万石行列の玉姫や利常役の出演者が決まったというニュースや、今朝の新聞に行列出演者の衣装合わせが商工会議所で行われたという記事が掲載されたりで、「あ、そうか、もう、そんな時期になったのか」という思いがした。
同時に、平成24年の百万石行列の一員となって出場したことを思い出した。

行列出場者の衣装合わせ
尾山神社に参拝

金沢市中心部で31日~6月2日に開かれる第68回金沢百万石まつりのメイン行事「百万石行列」で、加賀藩3代藩主の利常や妻の珠姫(たまひめ)ら主な役の出演者が11日、同市の金沢商工会議所で衣装合わせをした。新元号「令和」となって初めての行列を控え、近くの尾山神社で記念撮影をした。

珠姫役の梶綺夏(かじきなつ)ちゃん(5)=金沢幼稚園=は「羽織がキラキラしてかわいい。本番はみんなに笑顔で手を振りたい」。利常役の庭田遥斗君(6)=富樫小学校1年=は「刀を持って強くなった気分。行列はかっこよく頑張りたい」と話した。

2代藩主・利長役の荒井貞勝さん(34)=陸上自衛隊金沢駐屯地=は「小さなころから見てきた行列。見られる側となった喜びをかみしめて臨みたい」と意気込んだ。利長の正室・永姫役を演じるのは、加賀藩ゆかりの地である富山県高岡市で高岡万葉大使を務める津田奈由子さん(29)。2年連続の配役で「令和の新しい時代にも出演できてうれしい」と喜んだ。

百万石行列は6月1日に開催。藩祖・前田利家の金沢城入城を再現する。利家役は俳優の加藤晴彦さん、お松の方はタレントの藤本美貴さんが演じる。 


行列の総出場者はいったい何人になるのだろう。馬、足軽、家臣団、鉄砲隊、奥方衆、消防団、小学校音楽隊、高校音楽隊、バトントワリング、太鼓、その他etc、2千人は軽く超えるのだろう。
当日朝早くから商工会議所3F大広間において出場者の衣装着付けが行われる。

足の踏み場もないくらい大混雑する
着付けや化粧等は京都からやってくる専門業者の皆さんである。出場する家臣団のメンバーは金沢市町会連合会の会長の面々で構成される。毎年「俺は家老奥村役」と決めている人もいるという。


役は各町会連合会に割り当てられるが、60も町連があるので2,3年おきに足軽役が回ってくることになる。〇〇町連は足軽役二人を出してくれと通達されることになる。
当時、町連役員だった自分ともう一人が足軽役に出場することになった。

小2の孫が応援に来てくれた

長時間待たされた
行進しなから携帯で撮影した(武蔵が辻)
堤町付近で戦闘実演(これが大変だった)
当日は強めの風が吹いていたので、大きな旗印が付けられている竹竿を持ちながらの行進は大きな疲労が伴った。
戦闘演習は出発点、堤町、市役所前、公園下交差点の4か所で実施したが、ワラジの緒がきれ金沢城内まで青息吐息でたどり着いた。

後日、出場手当1万円也が支給された。もうこりごり、3万円でもお断りしよう。

2019年5月11日土曜日

今日から朝晩2回の血圧測定

血液さらさらの薬を医科大病院から近所のクリニックに変わって2カ月目になり、1か月分の薬がなくなったので昨日クリニックへ薬をもらいに行った。
診察室に入って直ぐ医師は血圧測定を始めた。


「最高130、最低90、脈拍66、何の問題もありません」
「最低値90は高くないですか」
「若干高めだが正常値の範囲内です」
「これから毎日朝夕の2回、家で血圧測定してください。測定要領はこの小冊子を読んでください。毎回2回測定して平均値を記録してください」

そんな指導があって、今朝から測定を開始した。測定器具は女房殿が使用しているものを拝借した。オムロン社製でクリニックにあるものと殆ど同じ。測定は極めて簡単である。
お陰様で血圧に関してはこれまで異常値が出たことはない。
この機種と同じもので測定
血液サラサラの薬と血圧はどんな関係があるのだろうと呟いた。それを聞いた女房が曰く、「脳梗塞や脳溢血の前兆で血圧に異常値が出るみたい。だからクリニックの医師が記録するように指示されたのじゃないかな」。なら面倒でも続けるしかないなぁ・・・となった。

もう3年前になるが、医科大病院の高齢医学科というところで健康確認のための色々な検査をしたのだが、教授でもある医師がPCの画面を見せながらMRIの画像の説明を始めた。そして思わぬ言葉が発せられた。「おや?この白い点状部分は10日ほど前に発症した脳梗塞の痕跡です!真っ白い場合は即入院となるグレードです」と。

で、「貴方の血液は非常に濃い。だから脳梗塞になりやすい。ので、水を毎日2ℓ程度飲んでください。血液さらさらの薬を処方しましょう」という経緯があった。
医科大病院で処方してもらっていたのだが、高齢医学科の医師が「近所のクリニックから出してもらうようにしてもいいですよ」と云われて先月からクリニックとなった。

ただ不便なのは医科大病院で55日分の薬が出たのだが、クリニックは30日分しか出ない。血圧測定も医科大病院では指導がなかった。
長くお世話になるかかりつけ医のおっしゃる通りにした方がベターだろうなぁ



2019年5月10日金曜日

すぐ近くに北海道を彷彿させる風景があるとは!

今日の朝刊に「あれ!これが河北潟干拓地?」と驚く写真が掲載された。
それは何かというと、北海道を旅行した際に見た広大な牧場の所々に、大きなロール状にした牧草が鎮座している風景が紙面にあった。

河北潟干拓地の牧場でロール牧草作り
河北潟干拓地では、牛の餌用に刈り取った牧草を丸く巻き上げた「牧草ロール」作りが進んだ。ホリ牧場(同町)によると、牧草ロールは直径約1・4メートル、幅約1・2メートル、重さ約700キロで、保存用に発酵させるために巻き上げる。作業は9月ごろまで断続的に行われる。 

北海道の牧場風景を彷彿させる佇まい
刈り取って天日干しした牧草をロール状に巻き上げる作業が進んでいる。高気圧に覆われて空気がからりと乾燥した9日、一帯には巨大な「牧草ロール」がごろごろと転がる牧歌的な風景が広がった。

おおさわファーム(内灘町湖西)の大沢朗正(あきまさ)社長(43)によると、ロールの重さは1個600~800キロ。ロール状にすると発酵が進み、乳牛の良質な餌となる。6月に再び種をまき、秋まで作業を続けるという。
昨日9日の石川県内は晴れまたは薄曇りとなり、日中の最高気温は金沢24・5度と6月上旬並みだった。金沢地方気象台は9日、県内全域に乾燥注意報を出した。週間天気予報によれば当分の間雨マークがない好天が続く見込み。

北海道の牧場風景(地平線上の山は利尻岳)
河北潟干拓地にはスイカを買いに行ったり、医科大に行く場合も干拓地を通る。
ホリ牧場付近にはこんな風景もある。

北海道に行かなくてもすぐそこにこんな風景がある
入植者が中々集まらないと嘆き声が聞こえてくる干拓地であるが、二つの牧場がより広大さを演出している。
北海道の牧場風景・ここは美瑛
夏には広大なひまわり畑の迷路が人気を呼んでいる干拓地。花が咲いたら行ってこよう!

2019年5月9日木曜日

暴走事故の運転者は恥を知れ!

昨日も痛ましい交通事故があった。右折車(軽四)がいるのに前をよく見ていなかった直進車(普通車)が衝突したため、軽四が信号待ちしていた園児の列をなぎ倒してフェンスにぶつかって停止したが、フェンスと車に挟まれた園児が死傷したという。


 二人の女性運転者だが、軽四の運転者は釈放され普通車の運転者は拘留中だという。
ピカチュウをやりながらダンプを運転していて女子高校生がその車に轢かれて死亡した事故、神戸のバス運転手の暴走事故は最近の話である。

最もタチの悪い死傷事故はつい最近池袋で発生した。何と150mも事故を起こしながら爆走し、母子がその犠牲になった。運転者は87歳、足の動きが悪くて治療中だったという。
近所の人の話として、ガレージに車をいれるのに四苦八苦していたという。

母子の自転車をはね、ごみ収集車と衝突、なお歩行者やトラックにぶつかって大破して停車した

この事故が発生したのは、2019年4月19日の東京都豊島区。池袋の大通りでブレーキをかけずに加速しながら暴走し、複数の人たちを轢き、左折しようとしていたゴミ収集車に衝突。あまりにも激しい衝撃でゴミ収集車は横転し、暴走車はボンネットが潰れた状態でスピンして停止した。

暴走車を運転していたのは公益財団法人評議員会議長であり、旧通産省工業技術院の飯塚幸三氏(87歳)。母子である松永莉子ちゃん(3歳)と松永真菜さん(31歳)が巻き込まれて死亡したこの事故だが、飯塚幸三氏は大破した乗用車から抜け出て、骨折はしているものの命に別状はなかった。

そんな飯塚幸三氏が乗用車から抜け出て、まっさきにとった行動が未確認情報として拡散しており、日本中から猛烈にバッシングされているのである。拡散している情報によると、飯塚幸三氏は事故直後、救急車を呼ぶことをせず携帯電話を操作(通話)するなどして、まっさきに以下の行動をとったという。

・飯塚幸三氏がとったとされる個人情報消去
自宅電話番号: 変更
Facebook: アカウント削除
Twitter: アカウント削除
Googleストリートビュー: 自宅にモザイク

ウィキペディア: 編集ページをロック
経済産業省サイト: 写真削除

ほんとかいなである。これだけの作業をするとすればかなりの時間が必要である。さらに勘ぐれば、あらゆるツテを駆使して警察にできるだけ穏便に取り計らうよう依頼したと考えていいだろう。
なので警察は忖度して「逮捕」しなかったというストリーが現実味を帯びてくる。

悲しみに暮れる遺族
もし、そうだとしたら如何に「高官だった」か、「叙勲の栄に浴した」は無関係で、極悪非道の人間のクズに成り下がるのである。
どうして家族が免許返納を勧めなかったのかという意見も多いのだという。

もし忖度だとしたら忖度した者も罪人である
大津の事故では二人とも逮捕。飯塚幸三は逃亡の恐れがなくて、大津の二人は逃亡の恐れがあったというのか?
これは明らかに可笑しいぜ!納得できませーん。


2019年5月8日水曜日

山野市長が訪台

山野金沢市長が来年、台湾・烏山頭ダムで「着工100年、完成90年」の記念事業について金沢市と台湾側と協議をしたというニュースがあった。

金沢市の訪問団は7日、金沢出身の八田與一技師が整備した烏山頭(うさんとう)ダムを管理する嘉南農田水利会(台南市)に楊明風(ようめいふう)会長を訪ね、ダム着工100年、完成90年となる来年に記念事業を行うことを決めた。金沢市と水利会が連携し、八田技師の墓前祭が営まれる5月8日に合わせて現地でイベントを開催する方針で、今後、協議を進める。

高3の孫も2月に修学旅行で高校の先輩八田與市技師の功績である烏山頭ダムを見学してきた。八田技師の生家がある花園校下でも毎年訪台して地元住民と交流している。


握手を交わす嘉南農田水利会の楊会長(左)と山野市長=台南市
八田與市技師は戦後もダムの地元の人々から敬愛されて今日に至るのだが、日本では金沢出身のそんな日本人が成した偉大な功績については世に喧伝されなかった。
かくいう自分も10年前までは全く知る由もなかった。

で、北國新聞社がこの功績を残した八田與市技師を地元として顕彰する意味でその活躍をアニメ映画で紹介することにした。
制作2年後にあたる10年前、町会の会館でその映画「パッテンライ」を上映した。

「パッテンライ」は台湾の灌漑治水事業に大きな足跡を残した『八田與一』の物語だ。八田は、明治から大正、昭和にかけての日本統治下の台湾に土木技師として派遣された。彼の偉大な功績は、当時不毛の大地だった台南県の旱魃地帯「嘉南平原」に灌漑用水路を引いて、一大穀倉地帯に変貌させたこと。そして、その用水路は東洋無比の長さであった。

2009年、台湾でも公開され大好評だったという

作品は、八田與一の苦難の活躍を、工事現場付近につくられた宿舎で暮らす子どもたちの視線から感動的に描きつたえている。日本と台湾の子どもたちの心の交流も魅力的に描かれているのだ。

台湾での試写会には李登輝元総統やジュディオングさんも出席され、李登輝氏は大感激したという。

試写会のジュディオングさんと李登輝元総統と婦人
烏山頭ダム湖
烏山頭ダムは台湾西側にあるが、二十数年前に台湾東側から台北地方を旅行した。
その時感動したことが高齢者は流暢な日本語で会話できる驚きだった。そして皆親切だった。
改元にあたり蔡英文総統が日本語で投稿された。


中国はそんな台湾の動きが気に食わぬと見て、台湾海峡に軍艦や戦闘機を派遣して嫌がらせをしている。
災害のあるたびに多額の義援金を贈ってくれる台湾であるが、正式な国交はないのである。毎年600万人も台湾へ旅行していた中国人は、政府指導でゼロになったという。
そんな圧力に「負けるなよー」と応援したい。