2018年4月28日土曜日

88年前(昭和4年)の金沢駅発汽車時刻表

88年前の時刻表をネットで見つけた。それも汚れやしわもなく、極めて保存状態のいいものである。博物館でもこのような時刻表は保存されていないだろう。


北陸本線では上り下りそれぞれ12本の列車が運行している。上りの行き先は大阪と思いきや、明石、姫路、神戸、名古屋、米原、それに大聖寺行きが2本ある。
下りでは上野が2本、青森、新潟、富山が3本となっている。
往時の汽車の旅はどんなものだったのだろう。私が中学の修学旅行は関西方面だったが、金沢を朝方出発して京都に夕方到着したのだろうが、あまり記憶に残っていない。
その頃はまだ複線電化されていなくて、今庄から敦賀までスイッチバックをしながら急坂路を喘ぎながら登って行ったのだろう。

一方の七尾線はどうかというと、午前、午後各4本計8本が運行している。行き先は中島となっている。この時刻表のできる1年前の昭和3年に七尾・中島間が開業した。
昭和7年、穴水まで開通、その3年後の昭和10年、輪島まで全通した。

ついでだが、輪島まで全通した24年後、能登線穴水・鵜川間が開通した。能登線全通は昭和39年だった。だが、穴水・輪島間、穴水・蛸島間の線路は廃線になって久しい。
自動車に鉄道が駆逐されてしまったのである。北前船は鉄道に駆逐された歴史がある。

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、おごれるもの久しからず、盛者必衰の理を表わす・・・か。


2018年4月27日金曜日

ウチのハナミズキが満開

ウチの庭で春になると最初に咲く花は姫こぶし、次にウメ、アンズの花が目を楽しませてくれる。
今、咲き誇っているのがピンク色のハナミズキである。このハナミズキは植栽して20年なのだが、植えた当初は樹形が申し分が無かったが、日当たりの関係で低い枝の花が咲かなくなって、やたらひょろひょろと伸びて軒より上に花を咲かせるようになった。





ハナミズキが終わると次にヤマボウシが咲く。この花はまるで蝶が葉の上に止っているように見え、締めくくりとなる最後の花は夏椿。この花は一晩しか持たなくてすぐ地面にボタボタと落ちてしまう。だから写真を撮るチャンスがないのだ。
花を愛でるのは1年のうち3カ月だけの楽しみである。

2018年4月26日木曜日

川遊びする少年の姿は同世代

こんな写真が見ることができるなんて、ネット時代ならこそである。
その写真には大勢の子供たちが川遊びに興じている姿と、屋根に石ころが載った街並みが写っている。場所は主計町界隈の浅野川である。まず、ご覧あれ。

主計町地内の浅野川で遊ぶ少年たち
年代を推定すると終戦直後だと推定するのだが、道を歩行している男性は着物姿であることから、もう少し遡るのかも知れない。このあたりは水深が浅く、格好の遊び場だったのだろう。私の少年時代も近くの川に10時頃から正午近くまで遊んで昼飯を食べすぐ川に向かった。夕方近くまで素潜りを続けているため眼が霞んだものである。

今の主計町の佇まい
今でこそ東の茶屋街の街並みと主計町のそれは何ら遜色がないが、この時代は明らかに格差が大きかったのだと思う。
現在はどちらも観光客で溢れかえる街になった。


2018年4月25日水曜日

15年ぶりに再会した豪華客船

昨日の午前中のTVニュースを見ていたら、金沢港に豪華客船ダイヤモンド・プリンセスが入港したという映像が流れた。ダイヤモンド・プリンセスは平成15年に長崎に出張した際に、長崎港の三菱重工で建造中だった様子を目の当りにした。その船影を佐世保に向う船上から写した写真がある。

長崎で建造中のダイヤモンド・プリンセス
時は流れ、あれから15年、金沢港にその船がやって来たという。見たい!という欲求にかられ、みなと会館の駐車場に向かった。ところが、あたり一面が仮囲いで覆われており立ち入り禁止となっているではないか。会館の案内に「写真を撮りたいのだが、どこから入るのか」と聞いた。この埠頭にはいませんとつれない返答。「どこ?」と聞いたら「大浜埠頭だ」と。金沢港の一番奥の埠頭だと分かった。

雨の中、大野川の橋を渡り砂丘を登ると「石油基地」。ここは進入禁止なので直進。すると小松製作所の広大な工場があった。そこをなお直進し突き当たりを左折すると駐車場があった。駐車場には2,30台が駐車しており、次々と入って来た。駐車場の横から小高い場所があったので、そこに登ってみた。船首の前にクリーンが鎮座しているため、写真にならない。
クレーンが邪魔!
そこで船の傍まで行ける場所に行ってみることにした。400mくらい離れたところに受付が設けられていた。住所氏名電話番号を記入したところ、「身分証明書の提示をお願いします」と。免許証は駐車場まで取りに行かなければならない。かんべんして!とお願いしたらOKが出た。ガードマンが何人も配置されており、ものものしい警戒ぶりである。
50mほど歩くとようやく通路用のテントに入った。

船客のおもてなし
この圧倒的ボリューム
向こうに乗船口
このテントは見学者用
間もなく出航
こんな豪華客船での船旅は羨ましい限りだ。



何時かは乗ってみたい!だが、その夢は永遠に実現しないかも。
金沢港にはこんなに外国船がやって来るという。


6月に3,500人を乗せた船が入港するという。金沢港も有名になったものである。

2018年4月24日火曜日

国立工芸館の起工式

国の地方創生の一環で、東京から金沢に移転する東京国立近代美術館工芸館の起工式が今月8日、建設地の金沢市出羽町で開かれた。日本海側初の国立美術館として、2020年の東京五輪・パラリンピック期間中の開館を目指すという。

起工式
石川県によると工芸館は、県立美術館といしかわ赤レンガミュージアムの間の敷地に整備し、建物は旧陸軍第九師団司令部庁舎と金沢偕行社を移築・復元して活用する。
また、県では、移転に先駆けて機運を盛り上げるため、2017年から毎年、工芸館の所蔵品を展示する、「東京国立近代美術館工芸館名品展」を開催している。 



そのほか、5月には、移築に向けて現在解体中である、旧陸軍第九師団司令部庁舎と金沢偕行社の内部を見学できるツアーを開催するとしている。
今後、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催期間中の開館を目指し、準備を進めるのだとか。 

起工式に出席した独立行政法人国立美術館の柳原正樹理事長は「日本全国、世界へ発信できる工芸の館になるようまい進していく」と話した。
おめおめとよくも起工式に出席できたなぁと思う。昨年、富山県庁で「金沢に移転する国立工芸館に誰が行くというのか」、「21世紀美術館の入場者数は入口と出口の人員を合計して発表している」とボロクソに石川県民・金沢市民を侮辱する発言をしたのである。後日発言の謝罪をしたというが、美術工芸館長という立場で県民を侮辱した発言は永久に忘れることができない。

2018年4月23日月曜日

元治さん、出番ですよ

昨日は4月の気温としては史上最高を更新した場所が全国各地であったという。金沢でも27°前後の真夏日となってとても暑かった。
新聞には能登の塩づくりが始まったと報じた。

国の重要無形民俗文化財「能登の揚浜式(あげはましき)製塩の技術」を継承する、珠洲市清水町の角花豊さん(70)の塩田で21日、今年の塩作り作業が始まった。快晴の空の下、角花さんが勢いよく「打桶(おちょけ)」を振るい、塩田全体に行き届くように海水をまいた。
「打桶」を使って海水をまく角花さん=珠洲市清水町
角花家では家族3人が塩づくりに携わっており、長男洋さん(43)と洋さんの妻祐子さん(43)も手伝った。角花さんの塩田は、3年前に放映されたNHK連続テレビ小説「まれ」のロケ地になっており、移動中に車を止めて作業に見入る観光客の姿も見られた。
元治さんもここで潮を撒いた

塩田にまいた海水は一晩乾燥させ、翌日、塩分が付着した砂を集める。砂を海水と混ぜて塩分濃度が高い「かん水」とし、釜で煮詰めると、まろやかさが特徴の天然塩が出来上がる。

洋さんによると、角花家は10月上旬まで、晴れの日を中心に100日ほど塩作りに励む。県内外から注文が舞い込んでいるが、人気のため在庫が無く、出荷は5月下旬~6月上旬ごろになるという。
角花さんは「この仕事は天候次第。先代から受け継いだ伝統を生かして良質な塩を作りたい」と話した。

この塩田の裏側に海があるのだが、潮汲み場が子供の海水浴場に最適なので、娘たちが2,3歳の頃から毎年そこで遊びながら泳ぎを覚えた。高校生くらいになると沖合の岩場に潜ってサザエを採るまでになった。大卒後、職場の同僚たちと雑談する中で「私、潜ってサザエ採るよ」といっても信じてもらえないと云っていた。

このすぐ隣に道の駅珠洲塩田村がある。町内シニアクラブがそこに訪れ、実際に体験等も楽しんだ。

町会長も担いでみた
潮汲みは中々の重労働なんだ・・・と
それにしても能登で作られる塩は独特の風味がある。品薄のため、現地の販売は一人二袋に限定されている。



2018年4月22日日曜日

能登鹿島駅の桜にまつわるエピソード

今年も能登鹿島駅の桜まつりが盛況だったようである。先日配付された県公報誌春季号の表紙にもこの駅の満開の桜が描かれている。


30年ほど前になるが、金沢駅西のビルに事務所を構えていた清算事業団金沢工事所に1年ほど勤務したのだが、業務は北陸本線や七尾線・能登線沿線の清算事業団に帰属した旧国鉄用地の更地化であった。能登鹿島駅にも清算事業団に帰属した用地があって、この駅の右側に隣接した旧国鉄宿舎跡地の更地化の工事監理業務を担当したのである。

駅のすぐ横を境界にホーム前まで線が引かれ、かなりの面積を有した区画になっていた。


この写真の位置でいうと、右端で円陣を組んだ花見客がいるあたりが境界線だった。
ところが、この区画内に老木だが桜の木が2本含まれていた。事業団としては更地化するにあたり樹木を伐採することになるのだが、地元にその旨の説明をしたところ、「絶対反対!」となった。その理由は、
「この木は坂本三十次先生のおばあ様がお手植えの木である。今日まで親しんできた木を伐採するとは何事か!絶対許せない!」。
そんな経緯を支社トップまで報告し、「やむを得ない。木を残すよう区画を変更しろ」という指示が下ったのである。


桜の名所能登鹿島駅にそんなエピソードがあるなんて、石川県人でもわからないだろうなぁ。