2017年2月21日火曜日

驚嘆!山下画伯の絵

以前、名古屋市のあるデパートで山下清画伯の絵画展覧会があったのでそれを見に行った。
30数点が展示された作品の中で最も注目した絵が「長岡の花火」であった。
そしてあることに気付いた。
花火を楽しむおびただしい観客数と、打ち上げられて大空いっぱいに広がる7つの大輪の花火が描かれていた。。
その絵は絵具ではなく貼り絵だったのである。
この絵を仕上げるのにどれだけの時間がかかったのだろう。
集中力と根気に驚嘆し、一生懸命に制作に励む姿を想像した。
5色の色紙を切り刻んで絶妙な色合いを表現していた。
切り絵?貼り絵?
テレビドラマの芦屋雁之助演ずる山下清は本人を彷彿させる適役だったことを思い出した。

2017年2月20日月曜日

強い責任感がやがて精神を蝕み過労死に至る

入社して僅か1年の女性社員が過労死したことは、労基局が調査に入って初めて明らかになった。電通のみならず、全国津々浦々のどこの事業所でも日常茶飯事に行われている長時間労働の実態だといっても過言ではない。

女性社員は一睡もしないで仕事を続けた日もあったという。
「これを〇〇日までに仕上げてもらいたい」。上司からこんな言葉が発せられたのだろう。そして、その仕事をやり遂げるためには、膨大な時間が必要と考えたからこそ懸命に取り組んだ。仕事を任された責任感が強ければ強いほど懸命になる。途中で見通しがつかなくなっても相談相手はいないのだ。自分がやらなければ誰がやる・・・、こんな状況が続くとやがて精神状態が普通でなくなってくる。
昭和47年から3年余り、私は新幹線建設の現場事務所に勤務した。その3年間の休日は年末年始と5月の連休の休暇のみ。それも毎日深夜1時か2時に帰宅し翌朝8時半には出勤するパターンが続いた。これは上司の指示ではない。そうせざるを得ない環境にあった。
国鉄職員といえば駅員、あるいは機関士、車掌が大多数だが、この人たちは超勤することはない。交代要員があるからだ。
だが、非現業の人間はその埒外にあった。
工事区といわれる現場事務所に10名ほどの職員が、それぞれ区域を分担して業務を消化していた。私の担当した工区は3工区という延長500mほどの高架橋区間と、2,300mのトンネル工区であった。上司である助役と3つ若い職員と3人のチームであった。

高架橋区間では当初の設計では基礎杭は既成PC杭であったが地質調査結果と現場が異なり、地下1,2mで転石がごろごろでくい打ちが施工不可能となった。
そのためベノト工法という場所打ち杭に変更しなければならなくなった。工事発注そのものが地元の反対運動で遅れに遅れていた。スパン割の見直しから始めなければならなかった。おまけに高架橋の幅員を40cm広くせよと本社から指示があった。ようやく杭設計、高架橋配筋図変更等が終わり着工となった。ところがケーシングチューブが転石にあたって所定の深度に達することができない。人力でケーシングチューブ内に降りて削岩機で転石を取り除かなければならなくなった。
工期がなくなるという重圧感!

加えてトンネル工事が断層破砕帯にぶち当たり導坑が埋まってしまった。迂回坑を掘って本坑にたどり着く工法に変更を余儀なくされた。
それに加えて付近住民から、「トンネル掘削の影響で渇水になった!池の鯉200匹が死んだ!田んぼに水がまわらなくなった!どうしてくれる!」と矢継ぎ早に怒鳴り込まれた。
こうなるとパニック状態。さあ、あなたならどうする?

差し迫る工期の重圧。あれもしなければ・・・、これもしなければ・・・。
そしてまたまた、インフレに伴う工事費見直し積算作業が加わった!
休日どころではないのである。
30歳前後だから体力的には問題がなかったが、長くこんな状態が続くと精神的な疲労度が大きくなる。それでも何とかしなければ・・・という責任感の衰えだけはなかった。
しかし、「こんな仕事は二度とやりたくない」と考えるようになった。これが終わったら青写真屋の注文取りを本業にしようかと真剣に考えた。

誰に相談しようもない。私の場合は何とかノイローゼになる直前で立ち直ることができた。自殺したら解放されるのだろうなぁと考えたことはあるが・・・・。
上司に「これ以上耐えられません」とは言う気がしなかった。云っても解決する訳がない。労組はどうか。「局全体が火に包まれている。君の所だけではないのだ」と言われてそれまでだ。

40代でこんな状況だった場合、完全に人生に終止符が打たれるだろうと思うと背筋が寒くなるのである。


2017年2月19日日曜日

スカットボール大会で賞品をゲット!

本日(2月19日)午前9時30分から千坂公民館において、千坂校下老人クラブ連合会主催のスカットボール大会が開催されました。
町内の有志4人の一人として参加し、初めてのスカットボールに挑戦しました。
本大会は老人クラブ連合会が予定していた国道歩道の清掃奉仕が雨で中止になったことから、予算消化のため臨時に開催されたものです。
参加者50余名が勢ぞろいし戸水会長のあいさつが終わり、大会の競技説明が行われました。
競技の説明
競技開始
ここにボールが入ったら得点
スカットボールは長い柄のかなづち状のスティックで径10cmのボールを5回打ち、先端部分のボードに設けられた12個の穴を狙い打ちして、それを3回繰り返して得点を競うゲームである。
白山市で考案されたゲームだといい、最近は結構人気があるのだとか。
ただ、用具は市老連が管理するこの3組のみらしいので、大会を開くときは早めの申し込みが必要です。
グラウンドゴルフの経験が生かされる
そして成績が集計され発表された。4人の町内参加者のうち私が「当日賞」、91歳のおじいちゃんが高得点「入賞」、そして会長が「とび賞」を受章する好成績を納めることができました。
小谷内さん、おめでとう!
久しぶりに顔なじみの方にお会いでき、よき休日となりました。



2017年2月17日金曜日

e-taxで1円の還付金

15日から確定申告が始まった。
以前は源泉徴収票や領収書等を揃えて金沢税務署まで出かけて、申告書の作成を助っ人の税理士の方から指導してもらって提出した。
銀座のママさんも e-tax
それが自宅のパソコンで申告書が作成できるようになった。
市役所で住基カードを作成してもらい、電気店でカードリーダーを購入し e-taxで申告するようになった。出かけなくて済むので良くなった。
母が介護施設に入所していたので、介護費用や薬局の領収書を見ながら所定欄に入力した。が、これが大変な作業であった。
医療機関名称、所在地、支払い年月日、領収金額を全て入力しなければならない。
何せ介護費用が100万円前後、薬局の支払いが5万円。膨大な作業量である。

何年かそうした状況が続いたが、母も亡くなり介護費用が無くなって、夫婦の医療控除のみとなった。医療費は年間10万円を超えた分が対象なので、めったにそれを上回ることはない。
一昨年、苦労しながら入力し申告書の作成を終えた。その結果、還付金は1円と算定された。
1円の還付金を受けるために要した労力とのバランスが全く取れないではないか。
従って、昨年から確定申告はしないことにした。
だが、昨年は妻の入院で30万円ほど医療費がかさんだ。さて、どうするか思案六法中。


2017年2月16日木曜日

村の鍛冶屋と長火鉢

原田泰司氏の絵に「かじ屋さん」がある。
この絵を見ると幼い時代が蘇る。
私が住んでいた村に500mほど離れて2軒の鍛冶屋さんがあった。どの鍛冶屋さんも毎日忙しそうに仕事をしていた。その仕事を飽きもせずあっちこっちに行って長い時間じっと見ていた。
ふいごの棒をゆっくり引いたり押したりすると勢いよく炭が燃える、その様子に心が引かれた。
自分でやってみたい!と思う気持ちを鎮めるのに苦労したものである。

いつも見に来る度にじっとその手元を飽きもせず眺めている子供の姿を見て、「いっぺんやってみっか」と言ってくれた。「いいが!」と喜び勇んでふいごの棒を引いてみた。かなり抵抗感があった。そして押した。勢いよく炭が灼熱色に変わった。「面白ーい」と2,3回引いたら「もういいやろう」と声がかかり、しぶしぶやめた。
おやじは修理する刃物を炭に入れ、ふいごを勢いよく引いてまた押す作業を繰り返すと、刃物が真っ赤になり鉄の台に乗せて嫁さんが長い柄の金槌を打ち下ろした。おやじは打ち下ろすたびに小さな金槌で嫁さんが次に打ち下ろす場所を示した。その作業は少しの無駄がなく進められた。

鍛冶屋がなくなって何年たったのだろう。仕事が減って成り立たなくなったのだろうが、鍬は耕運機が普及し使わなくなったためだろうと勝手に想像するが・・・。

何年か前、産業展示館の古物市で長火鉢を購入した。ところが、火鉢に入れる灰の調達に苦労した。そして五徳も数件のホームセンターに行ってもなかった。諦めていたのだが、実家に帰った折り宇出津に行ってスーパーに寄った際、向かいに金物屋があった。ひょっとしたらと思い店に入ったら五徳が2,3点置いてあった。店主に「五徳の需要はあるのか」と尋ねた。「お寺の住職から注文があるのでうちで作っている」という。その店は鍛冶屋兼業だったのである。
つい最近、その金物屋さんが車でかなり遠方まで出前をしている様子がテレビで放映された。高齢のおばあちゃん方が、農作業で使う器具の修理をするお得意さんなのだ。息子さんがUターンして親父の跡を引き継ぐ決心をしたのだという。

孫ができて危ないので長火鉢はお蔵入りしているが、今年高校と中学に進学するまでになったので、長火鉢の出番が近いと思う。鉄瓶で沸かしたお湯で入れたお茶の味は格別なのだ。


2017年2月15日水曜日

上空1万米からみるインフラ格差

飛行場から飛び立った航空機は30分もするとベルト着脱OKのサインが出る。
高度1万米に達し水平飛行となる。
伊勢湾上空
旧名古屋空港(小牧)から飛び立った飛行機は間もなく伊勢湾上空だ。
窓から見下ろす風景は、市街地のほか護岸の整備が行き届いた河川、美しい海岸線、幾何学模様を描いた鉄道が見える。
紀伊半島上空では険しい山岳地帯が広がる。九州上空を過ぎると雲間から海面が見える。
台湾付近では小さな島の上空を過ぎる。搭乗5時間ほどで間もなくダナン上空となる。
ダナン上空
そこを過ぎるとかなり長い時間、人工的建造物が見当たらず原野が広がる。
メコン川上空
カンボジアに入りやがてメコン川を見ることができる。
あたりには道路らしきものはなく、稀に幾何学的線形を描く鉄道は見ることがある。そして何よりも大蛇がのたうちまわるようなメコン川が現れ、自然の流れにまかすまま流れている。護岸はもちろんどこにもない。
ダナンからタイまでの眼下に見える風景を見て感ずるのは、日本のインフラとベトナムやカンボジアなどのインフラの格差が極めて大きいことが実感できる。
日本に住んでいると当たり前に思えることが、海外に出てインフラの状況を目の当たりにして改めて日本の国力の偉大さを覚えるのは私だけだろうか。日本全国どこでも田んぼの真っただ中の2m前後の道も舗装されている日本。これって凄いことなんだ。


2017年2月13日月曜日

高齢社会なのに老人会が衰退する訳

国内の老人会組織そのものが消滅しているのだという。
高齢者が加速度的に増加している今日、何故なのか、それは不思議な現象のように思われる。
新規の加入者が全く無かったり脱退のため減少したり、組織そのものが無くなったりしているが、このことにより何が危惧され何が加入の魅力を妨げているのか考えてみたい。

ある隣町内の老人会長が私に「うちの老人会は解散することになった」と云われた。その理由は?と尋ねると、「私は長年会長をやってきたが、体力的に務まらなくなった。それで後継者をいろんな人に打診してみたが誰も引き受けてくれない。そのため、解散せざるを得ない」と答えられた。そして老人会は解散し、やがて十年を過ぎようとしている。

また、十年前に私の町内の老人会長が相談したいことがあるというので、どんなことか聞いたところ、「長年老人会長をやってきたが、家庭の事情これありで精神的に萎えてしまった。で、気力も失い会長もやめたい。が、後継者が見つからないので解散することになった」とおっしゃった。
「解散はたやすいが、一旦解散した後もう一度老人会を立ち上げることは非常に困難になる。副会長は何故引き受けてくれないのか」と聞いたところ、会長は絶対務まらないと、かたくなに会長の就任を拒んでいるという。
何でそう思うのかと副会長に聞いたところ、「会長のように、たくさんの文書作成は私にはできない」という。それなら全ての文書作成はほかの人にやってもらうことにするが、それでもダメ?」、「それなら引き受けてもいい」という経過を経て、今はその人の二代目の会長が頑張っておられる。

70歳半ばの人に「老人会に入って」とお願いしたところ、意外な言葉が返ってきた。「入ったら直ぐ役をやらされる。それが嫌で入りたくない」。・・・・・こんな理由もあるんだ!と知った。

団塊の世代も70歳となる。この人たちを無視した老人会は成り立っていかないだろう。
だが、この世代より上の人たちも「老人会とはかかわりたくない」という思いを持つ人が多い。なぜ、そう思うのか。
・組織に入ると束縛されてしまう
・何の得にもならん役はやりたくない
・えらそうにふるまっている人の中に入りたくない
・窮屈な思いを何でしなければならんのや・・・
と、こうなっている。

この4年間で町内に4件の孤独死が発生している。男性2人、女性2人。この人たちに共通点がある。それは他人とは接触したくないということだ。自分だけの世界が一番心地よいのだ。
だが人生の終末は孤独死であった。

先日、当町内のシニアクラブ(イメージチェンジのため、3年前に福寿会という名称を変更した)がおそがけの新年会を開催した。食事会が始まるまで客室で待機したが、その間、コミュニケーションの花が開いた。
食事会前の雑談のひととき
会長のあいさつ
飲み・食べ・しゃべる
 
会長は各テーブルを回って話題提供

笑顔は免疫力を強くする!
 
年の差は関係ない!

温泉にも入ったし”大満足”して帰ろう!

食事会も交流で大いに盛り上がった。広々とした野天風呂にも入った。
未加入の人たちに体験入会をして貰えば老人会のイメチェンとなって加入の気持ちが湧くと信じたい。
そして何よりももっと”ボランティア精神”を持ってもらいたいと願う。