2025年4月10日木曜日

雪に埋まる室堂の新聞写真を見て

今朝の新聞で金沢在住の登山愛好家形屋利幸さんが撮影した白山室堂の写真が掲載された。
この写真を見て、もう20年ほど前になったが、家族で白山登山したことを思い出した。

4月半ばとなっても室堂の雪は深い

白山に毎月登る形屋さんによると、3月は雪に埋もれて屋根が見えなかった。3月と比べて雪は1メートルほど解け、積雪は約3メートルとなった。形屋さんは「地上に比べるとずいぶん遅い春が来た」と声を弾ませた。

登山シーズンには大勢の人が訪れる

白山登山の写真を探したら室堂で撮った写真があった。

撮影記録では03年、もう22年も前のことだった

残念に思うが、80を回るともう再チャレンジする意欲は失せてしまった。
ま、しゃーないか。

2025年4月9日水曜日

最高のコンディション

AM8時40分、玉とお茶をいれたバッグを肩にかけ、ケースなしのステッキ を持って約500m向こうの八幡公園へ向かった。今日は毎週水曜日開催のグラウンドゴルフだが、なんという青空、風もさわやか、申し分のないコンディション。会場に着くともうコースのセッティングが終わって数人が練習中だった。町内グラウンドゴルフクラブが結成されて18年も経過した。

桜が満開の元、こんないい日はない

平成18年から長く会長をされた人も高齢でケアセンターに入所され、その後亡くなられた。現在2代目の会長のもと、十数名が毎週楽しんでいる。

               女性軍もがんばっています

話題が急変するが、先日TVを見ていて現在103歳の男性が山の中で一人暮らし生活をしているのを見て驚愕した。畑で野菜作りもしているという。

山口県在住の103歳男性

な、なんと、パソコンもお手の物だという

82で高所恐怖症の身としては、何と心強い人にあこがれた。
そういえば、同級生の友達から聞いた話だが、その人のおじさん(101歳)が、施設に入所することになって、パソコンをしたいと告げて、施設側がPCができるように配線をしたという。いやはや凄い老人たちである。その年齢まで元気に生きる術を教わりたいものである。


2025年4月8日火曜日

町内5か所の満開桜

桜が満開と宣言されてから昨日(7日)、町内の桜の様子を見て回った。これまで、同時に町内の桜を見て回ったことがなかった。

南小公園の桜並木
この桜だが、2,3年前まではもう少し樹勢が良かったが、道路にはみ出るため市が思いきってバッサリ。ちょっと寂しくなった。今年は事情があって町内の花見大会が中止になったのが惜しい。

北小公園の桜
実はここは公園外にある。畑の地主の好意で残してあるという

荒屋町在所の桜
私有地内にある

八幡公園で最も大きな桜

八幡公園
まだこれから伸びる桜

馬道公園

ぐるっと1周して1時間。満開桜を堪能した。
本当は犀川の桜並木を見たかったのだが、近場の桜もなかなかのものだった。

2025年4月7日月曜日

思い出が詰まった1枚の写真

グーグルアースで道路風景を位置を進めながら見ていて、子供の頃に住んでいた在所の神社前の広場に至った。その写真を見ていると、次々と思い出が湧いてきた。

この写真は震災後に写されたので、神社はブルーシートで囲われ、鳥居や石碑が倒壊しているのを確認できる。

かつて旧盆になるとこの神社前の広場では、奥能登一円の相撲取り連中が大関の奥弓を目指して格闘した場所でもある。石井青年団が主催し、土俵や観覧席を設け寄付金を集めた。この写真からは想像し難いが、選手が熱戦を繰り広げ夜遅くまで大歓声で沸いた。昭和30年前後の時代であった。

そういえば、42の厄年で同級生と二人で賽銭箱を寄付した。また、その20年後に神社の引き戸取り換えの費用を寄付もした。

子供の頃は広場で野球したり、神社本殿内でかくれんぼしたり等々、本当にお世話になった神社である。そんな思い出が詰まった写真であった。

2025年4月6日日曜日

「関税だけじゃないんだぞ」とトランプ追放デモ

就任して今日で丸3か月、それにしても世界中が混乱の中に引きずり込まれた。得意げになって関税率の割り当てを自ら発表した。俺様は神だといわんばかりの振る舞いに腹がったのは自分だけではなかった。

各国関税率票を得意げに掲げて発表するトランプに腹が立った。
ワシントンでは昨日、トランプ就任以降最大となる抗議デモがあったという。俺様はこの世で一番偉いんだと得意げに語っている。


ワシントンで5日、トランプ大統領や政府職員の大幅削減を進める実業家マスク氏に対する数千人規模の抗議集会が開かれた。米メディアによると、全米で同様の集まりがあり、トランプ氏就任以降で最大規模のデモになった。

 
「トランプ氏とマスク氏を止めろ」「トランプ政権はファシズムだ」。ホワイトハウス近くのワシントン記念塔周辺の広場に、さまざまなプラカードを掲げた人々が行き交った。教育関係の仕事に従事するサム・ゴールドマンさん(37)は「政権を止められるのは国民だけだ。政権が消えるまで、抗議活動を繰り返さないといけない」と語気を強めた。

トランプ氏のスローガン「米国を再び偉大に」をもじって「民主主義を再び偉大に」と書いた横断幕を掲げた衣料品デザイナーの女性(59)は、トランプ氏が「裁判所の命令にも従わない」と嘆いた。

こんな人物を選んだアメリカは世界の敵に成り下がった。

2025年4月5日土曜日

自由通路から見える風景

昨日はウォーキング日和だったので家から東方向に向かって歩いた。踏切付近に咲いていた桜がもうすっかり散っていることに驚いた。駅の階段を2段飛びで上がり自由通路に出た。ここからの眺めがお気に入り。通路の金沢方の風景を見ていたらポルテ(日航ビル)が見えた。

森本駅自由通路から撮影
金沢駅前のポルテが見えていることに気づいた

駅から直線距離で6km前後だが、意外と目立っているではないか。この写真で構内の空き地が目立つが、かつてここには金沢ヤード(貨物基地)から森本駅まで貨物通路線があった。これが東金沢駅が貨物ヤード側に移転したのに伴い、旅客線と貨物線が共用されることになり貨物通路線が不要となり廃線となった。もう30年前くらいの出来事になった。

田んぼ道に咲くスイセン

スイセンが最も元気よく咲く時節のようだ。

八幡公園の桜はまだ5分咲きだった

今日も朝から広がる青空。どうしようかなウォーキングは。今日はやすみにしようか、それとも・・・

2025年4月4日金曜日

千両役者・翔平!

見せ場で活躍している男がまた見せた。9回裏、初球を振りぬいた。打球はどんどん伸びてホームラン!さよなら勝ちだ!
昨日の球場は溢れんばかりの人々で埋まった。そして大歓声が沸き起こった。

手ごたえあり!打球を目で確かめた

ホームを踏んで水・水・水だ

ロバーツ監督ねぎらいの抱擁

球場は割れんばかりの大歓声。チャンスを確実に生かせる男。アメリカ人が惚れ々々する気持ちが分かる!
ほんとにすごい男だ。桁外れの契約金、なるほどドジャーズはこうなることを読んでいたか。


ファンが注目したのは劇的アーチが飛び込んだ場所だ。中堅フェンスには日系企業の「ANA」と半導体製造装置大手の「東京エレクトロン(TEL)」の看板が掲出されており、この間に吸い込まれるように着弾した。

SNS上では「大谷さんがサヨナラホームランを打った場所にANAと東エレの広告があった 良い場所の広告掲示できたね」「ちゃんとANAと東京エレクトロンの広告の間に運ぶ大谷さん流石」「俺たちの大谷さん、数ある看板の中でも、ちゃんと「東京エレクトロン」と「ANA」の看板がある位置に放り込んで神」「大谷さんさよならホームラン、ANAもにっこり。広告としてバッチリ映り込み」などと反響が寄せられた。

ますますの活躍を祈念しよう!

2025年4月3日木曜日

灯油がいつの間にか113円に

もうストーブは不要かと思いきや、また冬に逆戻りで灯油が欠かせない。いつも5缶ほど買うのだが、昨日は空の2缶を持ってムサシへ買いに行った。この季節になると、いつも行列ができていたのに、昨日はガラガラだった。そして、驚いたことに1カ月前に100円前後だったのに、113円に急騰していた。

最近、物の値段が次々と上がっていく。米は倍の値段となった。備蓄米を放出するので値下がりという見方もあったが、その期待は見事に裏切られた。年金頼りの身としては、恐怖感を覚える今日この頃である。20年12月に1ドル103円だった為替レートが、24年6月には1ドル160円を超えた。同じものを輸入するために、1.5倍以上の円が必要になった。このため、急速に輸入品の価格が上昇した。その原因は新型コロナや人手不足も絡み合いだという。

支給される年金は水平線だ

他の原因もある。世界的なコロナ禍の収束も影響しているという。コロナ禍明けで消費が回復したため、需要が拡大した。加えて政府は給付金や補助金を支給したので、消費者はお金に余裕があったため、経済のバランスが崩れた。

人手不足や少子化も原因の一つらしい。人手不足で倒産や閉店が見られるような状況なので、賃金を上げなければ人が集まらない。人件費を上げると、製品の価格も上げなければならず、結果的に物価が上がる。これらの要因が重なり、物価高が進む状況になったという。

先行きが暗いのだ。さぁ我々はどうするかだが打つ手はない。

2025年4月2日水曜日

震災以降、能登に移住してきた人が43人!

震災後、能登を離れる人が後を絶たない。そのため人口が急減している。が、世の中捨てたものではない。
何と43人が移住し「力になりたい」という。
何と奇特な人達だろうか。そんな人の話を聞いたり、姿を見れば、萎えた気持ちにエネルギーが蘇ってくると感じる。

              地元の子どもと交流する、珠洲市へ移住した
              北村さん(中)と笠原さん(左)=珠洲市飯田町

昨年の能登半島地震発生後、奥能登4市町へ移住した人は少なくとも43人に上ることが1日、北國新聞社のまとめで分かった。震災と豪雨の二重被災に苦しむ奥能登の「力になりたい」という人が多く、ゆかりのない土地で起業を目指す若者もいる。人口流出が続く被災地に居場所を見いだした人々は、貴重な働き手や復旧・復興の担い手として地域で存在感を放ち始めている。

震災後の移住者数を市町別でみると、能登町が20人(3月末時点)、珠洲市が16人(2月末時点)、穴水町は7人(3月末時点)だった。輪島市は移住者を把握できていない。
能登町によると、移住者の多くは、町内を拠点として活動する災害復旧ボランティア団体の関係者だ。町定住促進協議会の担当者は「住民票を能登町に置き、地域に根付いて復興を手伝いたいという人が多いのではないか」と推測した。

市内企業への就職を移住支援の条件とする輪島市では震災後、制度利用者がおらず、移住者を集計できていない。震災前は例年30人前後が利用していた。県立輪島漆芸技術研修所の研修生は移住者集計の対象外で、市の担当者は「住民票を移さずに輪島へ移った人なども考えられ、実際には移住者がいるだろう」(まちづくり推進課)とみている。

県民はそんな移住者に深く感謝の意を表せねばならない。

2025年4月1日火曜日

もうすぐ始まる場所取り合戦

東京は桜が満開だという。ここでも花見のグループが宴を開くために陣取り合戦が行われるという。実際に所用で東京で宿泊したニューオータニから四ツ谷駅に向かう途中、上智大キャンパス西側の道路沿いの桜並木道は陣取り合戦の真最中だった。

自分も金沢在勤中に2回ほど陣取り合戦に参戦したことがあった。場所は石川門下だった。花見の宴はpm5時位からなのだが、ブルーシートを広げる時間は午前中の早い時間でないとほかの人の陣で埋まってしまう。

陣取りはすでにブルーシートで埋まっている(時代は不明)
あれからもう40年が過ぎた。その20年後に再び金沢勤務となったが、そこの職場では花見という慣例はなかった。
兼六園の曲水に沿った桜だが、吾々が中学生時代の桜が実に見事だった。去年、そこの桜を見たのだが、老木のため枝が随分切り取られていて、淋しく思った。

今年は毎年見に行っている犀川橋から桜橋間の堤防沿いの桜が最高!これ以上の桜はないといっていいだろう。
兼六園内にはこんな大木は1本もない

近場では北部公園の桜。ここは人込みもなく静かに満開桜を堪能できる。
あと数日が待ち遠しい。

2025年3月31日月曜日

10年20年待てない

今朝は快晴、心も晴れやかになった。それにしても寒い。
金沢の桜は開花宣言があった。数日中には満開になるだろう。高校の入学式は数日後だが、自分の入学式の当日、小立野から泉野へ向かう通学路で見事な桜が満開だった景色が忘れられない。

西空の隅まで晴れ渡った

今朝の記事で新幹線ルートの記事が掲載された。

与党ルート検討委員会・西田昌司委員長(2016年)
「北陸と関西の移動の速達性、利用者の利便性などを総合的に勘案し、敦賀・小浜・京都・新大阪間を結ぶルートは適切であると」

当時の石川県議会は米原ルートを押していたが、政府・与党が全線開業へ小浜ルートでの早期着工を目指す方針を示したことからこのルートでの着工が決定したはずだった。
自民党石川県連・福村章会長(2016年)「敦賀で止まって20年も30年も接続できないとなると、中京圏ばかりでなく関西圏とも断絶する。だから北陸3県で精力的に働きかけをこれから始めることでみんな一致している」
と、米原ルートを促した。当然すぎる意見である。騒音、地下水問題は万策を講じても絶対防止できないのだ。早く米原に繋げ!

2025年3月30日日曜日

春闘ベア5%20年前から今までに最高額

県内のベアを連合石川がまとめたところ、平均5%となり平成10年以降で最も高いという記事に接した。
春闘と言えば昔を思い出す。メーデーの日、公園に集合して気勢を上げ、旗を立てて中心街に向かって行進したことを思い出した。この頃は総評と同盟系が全国に旗を振っていた。あれからウン十年。世の中変わったなぁ・・・と。

 
ことしの春闘について県内の労働組合でつくる「連合石川」がまとめた結果、平均の賃上げ率は5%と、今の方法で集計を始めた2005年以降で最も高くなっていることがわかったという
「定期昇給分」と「ベースアップ相当分」をあわせた賃上げ額は、平均で1万5491円と賃上げ率は5%となった。
これは去年の同じ時期を0.73ポイント上回り、今の方法で集計を始めた2005年以降で最も高くなっているという。

まだ現役の若い頃、春闘ベアの差額が年末の給与と同時に支払われたことがあった。12月の給料を上回る額を受け取ったこともあったなぁ。あの頃、威勢の良かった組合、総評、社会党、みんなどこへ行った?

2025年3月29日土曜日

スズメのさえずりが聞こえなくなった

今朝は快晴。風もなく爽やかな朝を迎えた。そして、以前とちょっと違うなぁ・・・と思ったことがある。
それは何かというと、以前はスズメのさえずりで目が覚めるほどだったが、今では全く聞こえなくなった。夕方になると、電線にずらりと並んでピーチクパーチクうるさく思うほど賑やかにさえずっていたものだが、最近はとんと聞こえなくなってしまった。


調てみると、現在日本に生息するスズメの個体数は1800万羽ほどで、1960年代に比べ10分の1ほどに激減してると環境省が発表しているという。
また、立教大理学部の研究によると、20年前との比較でも最大80%減、少なく見積もっても半減しているとの調査結果が出ており、環境省では4月より国民に呼び掛けてスズメの目撃情報を収集する予定だという。

では、いったいなぜスズメがここまで激減してしまったのだろう?
木造住宅の減少により屋根瓦や建物の隙間など、巣作りの場所が困難となった。
田畑のコンバインの普及で餌となる落ちモミが減った。
未舗装の小道や空き地が減り、植物の種などの餌が減った。

都市部での空き地や草原の減少。
減反によって水田面積が減った。

しかし単なる環境の変化と言うには不可解な面もあり、たとえば北海道では2006年に全道各地で突然スズメが姿を消したというニュースが新聞に掲載されているという。

子供の頃、パチンコという道具で小石をスズメに向けて狙ったことがあったなぁ。そんなことも思い出して、スズメの減少を心配している。

2025年3月28日金曜日

3月の史上最高気温の28.2℃!

昨日の気温は真夏並みだった。
県内はフェーン現象の影響で今シーズン初めて25度以上の夏日となり、多くの地点で3月として観測史上最も高い気温になった。


気象台によると県内は南から乾いた空気が流れ込むフェーン現象の影響で気温がぐんぐん上がり、今シーズン初めての夏日となった。
最高気温は小松市で28.4度、七尾市で28.3度、金沢市で28.2度、かほく市で28度ちょうど、輪島市で26.9度などと7月上旬から中旬並みの暑さとなった。
県内に11ある観測地点のうち10か所では3月として観測史上最も高い気温になった。

一方、27日夜からは雨が降り、その後、寒気が流れこんで気温が大きく下がった。今日28日の日中の最高気温は金沢市で14度、輪島市で13度と27日より10度以上低くなると予想されていて、寒暖差に注意が必要だ。

昨日の朝、ズボンを履こうと足を入れたとたん、尻もちをついたので立とうとしたら激痛が発生した。捻挫だろうか。階段は這って上り下りしたが、そのうち立っているだけならなんとかなったので、樹木に張り付いている虫を掻きこすっての退治作業をしたが、中々作業は困難を極めた。残りの1本は今日の予定だったが、雨のため今日は中止。この張り付いた虫だが、殺虫剤をかけても効果なしなので、やむなくへらで枝葉1本1本の先まで掻き落とさざるを得ない。明日、晴れたらやらねばならないが、1日では終わらないだろうなぁ。

2025年3月27日木曜日

いよいよ春きたる Gゴルフ始動、ウメ&アンズ満開

例年は4月からプレイ開始となるGゴルフだが、先だっての食事会で例会の日(毎週水)が晴れたら今月から始めると決まったものの、先週は雨。そして昨日、黄砂ながら天候は晴れとなったのでプレイが開始された。8時40分ごろ会場に行ったところ、既に全コースが設定されており、一人だけ練習中だった。その人がセッテングされたので感謝である。全員揃ったので組み合わせメンバーのくじ引きとなり、9人が2組に分かれてプレイを開始した。

グラウンドは整備された状態となっていた
グラウンドはドングリの実が落ちており、打球が思わぬ方向に変化するときもあったが、楽しい時間ではあった。昨日は久しぶりにホールインワンがあった。

グラウンドゴルフが終わって家に入る前にウメとアンズの開花状況を確認した。
何とウメが久しぶりに花が沢山咲いた。

手前がウメ、向こうがアンズ
2,3年前からウメがあまり花を付けなくなったので、今年もあまり期待していなかったが、どうしてどうして見事に満開。実も沢山成るといいんだが。

ウメよりアンズのほうが色がいい

アンズの実は6月中旬頃が収穫時期。何だかわくわくしてきた。

2025年3月26日水曜日

やっとおらんとこの神輿が救出された

土砂災害で半年以上が経過したが、ようやく神輿が救出されたという。
救出された神輿は海士町。

輪島市海士町の奥津比咩神社の神輿が25日、昨年9月の奥能登豪雨の土砂から「救出」された。神輿は8月に営まれる祭りの「海中渡御」で担がれる漁師町の象徴。関係者は「本当によかった」と安堵の表情を浮かべた。

担ぎ棒がめためたになったようだ

住民によると、神輿は神社隣の建物で保管されていたが、豪雨で土砂崩れが発生し近づけなくなった。解体業者の協力を得て搬出を進めていた。25日は住民が集まり、保管していた建物から飾りなども運び出し、神輿を安置した海士町自治会館に保管した。
氏子総代長の遠島藤彦さんは「今年の祭りをどうするかは未定だが、大事な神輿を出すことができほっとした」と話した。

キリコも神輿も祭りには欠かせない。被災して半年後の宇出津で祭りをどうするか協議した。結果は「やらんかいや」に決した。結果、元気が出て町に活気が戻ったという。
海士町の皆さんも「やるまいか」と決せられることを期待したい。

2025年3月25日火曜日

アンズの花が今日満開か

昨日は少し雨がぱらついた1日だった。11時、予約していたタイヤ交換のためスタンドへ。30分くらいで作業終了。料金は2000円。この金額は20年前と変わっていないくらい安かった。午後は玄関付近の樹木についた虫の駆除。殺虫剤は使わずへらでこすり落とす。今日も2本目に取り掛かる予定。

今日あたり満開か(昨日撮影)

これだけ花が咲けば今年は豊作が期待できそうだ。去年はどうしたわけか殆ど収穫がなかった。町内のアンズフアンにおすそ分けできそう。それにしてもどうしたことか、ウメの花が殆ど咲かなくなってしまった。

ヒメコブシは2,3日後に開花か

アンズの枝がよその土地にはみ出ているので剪定もしなければならない。春になると結構忙しくなるなぁ。

2025年3月24日月曜日

津幡が沸いた

優勝決定戦で高安を破った瞬間、大の里の地元が沸いた。
津幡町では23日、町役場内のパブリックビューイング(PV)に約300人が集まり、大きな歓声を上げた。角界の頂点へ向けて優勝を重ねる関取に「地元の誇り」「次は横綱に」と称賛や期待の声が相次いだ。

津幡町役場300人総立ちで「大の里万歳」

PV会場の町民らは、まわしと同じ青色に「がんばれ!!大の里」と書かれたプラカードや、大の里の顔がプリントされた手製のうちわなどを掲げた。白熱した優勝決定戦の末、3度目の賜杯獲得が決まると、町民らの喜びは爆発。立ち上がって両腕を突き上げる人もいた。

綱取りへの期待が高まる大の里。来月7日に津幡町で行われる巡業では、故郷に錦を飾ることになっている。津幡で巡業という企画に花が咲いた。全くいいタイミング!大の里もうれしいだろうなぁ。

2025年3月23日日曜日

チャンス到来 大の里 大関昇進後初の優勝目指し千秋楽へ

あれっ、高安が美ノ海に負けたぞ。大の里にチャンスが再浮上したではないか!是非、チャンスをものにしてもらいたいものだ。

大の里が大関昇進後初優勝に近づいた。高安が痛い星を落とす中、大栄翔に激しく当たり、圧力を緩めず押し出してトップに並んだ。前日に王鵬に屈した際は「来場所につなげる成績を残したい。あと2日頑張る」と自身を責めるように言い、優勝の可能性を指摘されても「いやいや、ないです。来場所に向けて頑張るだけ」と語っていたという。 

大1で学生横綱だったとは!

大栄翔に攻めの手緩めず楽勝の大の里

この日も「(前日は)良くない相撲を取ったので、切り替えて来場所に向けてしっかり成績を残していく」と言及。高安に並んだことにも「何も気にしていない。(王鵬戦で)負けた分スッキリしたので、切り替えて頑張ります」と賜杯への関心のなさを口にした。  師匠の二所ノ関親方は「いい立ち合いだったと思います」と評価。現役時代は弟弟子として共闘した高安、弟子の大の里との優勝争いには「それは自然と決まること」と語った。  大の里が賜杯への意識を見せない中、29年ぶりに5人による優勝決定戦の可能性が浮上。当時は横綱、3大関、関脇の陣容。今回は平幕4人に対する大関として、番付の重みを見せたいところだ。

2025年3月22日土曜日

水害から半年経過したが

あれから早や半年経った。
二度の災害に見舞われた住民たちは、先行きへの不安を抱えながらも、復旧・復興への険しい道のりを少しずつ歩んでいるという。
昨年の9月21日、地震からの復旧途上にあった被災地を今度は記録的豪雨が襲った。
川の氾濫や土砂崩れなどが相次ぎ16人が死亡し、建物への被害は1700棟あまりに上った。


牛田和希キャスター「半年前、大規模な氾濫が起きた塚田川です。このあたりの住宅はほとんどひと気がなく、豪雨の爪痕が残ったままです」
塚田川の氾濫で4人の命が失われた輪島市久手川町では、いまだ爪痕が残る集落に人の姿はほとんどなく、あたりには復旧作業用の重機の音だけが響く。

久手川町に居住していた蛯田さん
この場所に30年以上暮らしてきた蛯田寿喜さん
「寂しいですよ。こんな寂しいものかって。久手川町だけでも100人くらいいたけど、今は4世帯くらいしかいない。不安感がなくなるから、コミュニティの活動があった方が前に進めますよね」と。

地震と水害のダブルパンチで家を失った人は数多くある。何とか行政と第三者の支援で立ち直って貰いたいと願っている。

2025年3月21日金曜日

町内同好会の懇親会

4日前の話になるが、今週月曜日に町内グラウンドゴルフ懇親会(昼食会)が開かれた。11月から休会となっているグラウンドゴルフだが、久しぶりに会員相互が顔を合わせた。参加者は男6女6の12名だった。会費1200円でコーヒー付きの定食。今時、こんな値段で昼食できる場所はなくなった。

会員は15名前後なのだが、今年に入って70代の会員がポックリ亡くなられた。2年前から入会されプレーされていたのに残念である。

桜満開の去年の模様

会食中に幹事役の人が、「今週水曜日からやろう」という話をされたが、あいにくの雨で取りやめとなった。来週水曜日の天気予報は曇り。ひょっとしたら今年の事始めとなるだろう。この競技はハードではないので、高齢者でも十分楽しめる。高齢者のまとめ役となる人がおられるので助かる。今年も元気でプレーしよう。

2025年3月20日木曜日

絶景地なのに知名度がなぜ上がらない

能登半島地震で観光名所が消えてしまった場所がある。真っ先に挙げられるのが曽々木の窓岩である。ここは完璧なくらいに破壊されてしまった。復元は絶対不可能といってもいいだろう。しかし、風光明媚な場所だがイマイチその場所に観光客が足を運ばない公園がある。

場所は能登町宇出津の遠島山公園である。ここは自分のお気に入りの場所である。なにせ広大な公園なのだ。うっそうと茂る松林、海岸に接する遊歩道からの眺めは正に絶景。

ここからの絶景はお奨めの場所
明日は雨という日には正面に見事な立山連峰が眺められる

隠れた絶景もあるのだ

職場の連中もここに案内したことがあった

金沢に住んでおられる方、この隠れた名所へ一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

2025年3月19日水曜日

もうすぐ春のきざし

昨日は予報を裏切って1日中の晴天だった。
午前中は毎月1回の医科大病院へ行った。いつも走っている河北潟沿いの道はまだ通行止めのまま。被害発生から今まで一切手が付けられていない。松陵高校のがけ崩れも手付かずだからしょうがないか。

それでも10時過ぎには帰宅できた。昼飯を済ませてからウォーキングに出かけた。何とすがすがしいことか。途中、広大な店舗空き地の整地状況を確認した。

整地の仕上げ作業中だったが、やがて終わることだろう

聞くところによると、ここには物流基地が設置されるようだ。国道に接して、このような広大な土地は稀である。物流基地を短期間にここで開発することを考えた人は「凄い人」と言えるだろう。しかし、ここに至るまでは色んな人たちの思惑を乗り越えてようやくまとまったプランなのだろう。

ウォーキングを終えて、わが家の梅とあんずの様子を確認した。梅はまだまだつぼみが固いようだったが、アンズはもうすぐ開花の段階だった。

随分ふくらんでいた

春はそこまで来ていた。昨日は季節の移ろいを感じることができた。今日は一転して雨が降り続くという。しゃーないな。

2025年3月18日火曜日

3連敗中の阿炎に勝った!

昨日の大の里は、3連敗中の阿炎と対戦し、大の里らしい勝利を収めた。
思わず、「よっしゃ!」と声を上げた。それに遠藤も玉鷲に勝った。玉鷲を投げ飛ばしたのはいいのだが、そのあとへたり込んだ。大変だけど遠藤がんばれと声援を続けたい。

難敵阿炎との取り組み さぁ、どうする

3連敗中の大の里 もうちょっとだ!押せ押せ!

勝利の瞬間 いいねぇ

大相撲春場所9日目の17日、大関大の里は小結阿炎を寄り切って勝ち越しを決めた。昨年秋場所から3連敗中の難敵も「相手がよく見えていた」と冷静に攻略して1敗を堅守。10日目は首位で並ぶ高安との直接対決が組まれ、優勝争いを占う大一番に臨む。

大の里が大関の貫禄を見せた。立ち合いから強烈な左の張り手をくらったが、意に介さず前へ。右を差して、左に回り込む阿炎にしっかり対応して攻め勝ち、「落ち着いて動けた」とうなずいた。土俵下の九重審判長(元大関千代大海)は張り手に動じなかった大の里を評価し「成長を感じる場面だった」と語った。
首位で並ぶ高安は、師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)の弟弟子。大の里にとってはデビュー前から稽古で胸を借りてきた兄貴分で、土俵での「恩返し」を狙う。

今日もわくわくしながら相撲を楽しもうっと。