2025年11月12日水曜日

このスポーツがあれば運動不足が解消

きょうは朝から快晴。心地よい青空と落ち葉が舞う風景。そんな中、今日は週1回のGGの定例会だった。今日は10名が参加、3人2組、4人1組が8ホールを4周した。
最近は腕が鈍り、ホールインワンが滅多に出なくなった。

メンバーの最高齢者は85歳の女性だが、どうしてどうして、すこぶる元気にプレーしている。また、ある女性のメンバーは町内チームだけではなく、他のチームにも所属してプレーしている人もある。


グラウンド・ゴルフ(Ground Golf)は、日本で高齢者向けに考案されたスポーツで、ニュースポーツの一種である。
一般的なカタカナ語と同様に、グランドゴルフ、グラウンドゴルフなどと表記ゆれがあるが、公益社団法人日本グラウンド・ゴルフ協会が定める通り「グラウンド・ゴルフ」と記述する。


道具はグラウンドゴルフクラブとボール1個。1組3人あればブレー可能。今月に入っても水曜日はどういうわけか晴天。さて、来週は・・・
しかし、12月から3月中旬までは中止期間となる。
高齢者の運動不足にもってこいのスポーツである。

2025年11月11日火曜日

小平奈緒が槍に

たまたま偶然に小平奈緒が槍ケ岳に登山するテレビ番組を見た。小平といえばスピードスケートのチャンピオンだった。その彼女が登山服に大きなリュックを背負ってテレビに映った。何の番組かなと思ったら槍ヶ岳登山にチャレンジするという。面白そうなので最期まで見ることにした。

平昌五輪女子500mで声援に応える小平奈緒

どでかいリュックを背負って大丈夫なのか心配したが、スケートで鍛えた体は平気の平左だった。

曇り空が晴れてきた

山小屋に2泊していよいよ槍に挑戦する日が来た。20m以上もある垂直の梯子を上り切り頂上に立った。

軽々と登り切って頂上に立った

さすがスケートで鍛えた体である。1986年生まれだから今年39歳。もうスケートは卒業かな?私大卒かと思いきや、信大卒だった。

人生まだまだ。これからも人生を存分楽しんでほしいものだ。
登山は自分も少しだけかじったが、槍は登山歴なし。小平奈緒はまだまだ体は超元気のようだ。アスプス全踏破のチャレンジはないのかな。

2025年11月10日月曜日

バス旅「近江八幡と多賀神社」

昨日は、校下のある団体の旅行会に便乗させてもらい、近江八幡の観光だった。
7時前に出発し、小雨を突いてバスは高速を走り近江八幡へAM10時過ぎに到着した。
これまで全国各地に旅行したが、近江地方は旅行圏内から漏れていた場所だった。

バスに乗り始めて気づいたのだが、町内の参加者が十数人もいることに驚いた。そんなことでバスの中は終始にこやかとなった。

近江八幡の代表的観光地「運河」沿いを散策

そこからしばらく歩いて日牟禮八幡宮に参拝した。

日牟禮八幡宮

バスの降車場に戻りレストランに向かって昼食タイム。
次に向かったのは信長が築城した安土城付近を通って記念館へ。
ここも多くの観光客でにぎわっていた。
そして入館してビックリしたのだが、安土城天守閣の4階から上部を1/5に縮小した建物が余りにも正確に再現されていた。

信長の間

贅を凝らした天守閣最上部の間

ここを後にして1時間ほど北上し、多賀神社に到着した。
バスから降りて神社に向かったのだが、相当の距離を歩かなければならなかった。

滋賀県随一の名刹多賀神社

ここの参拝が終わって、一路金沢目指してバスは走行した。晴れていれば申し分のない旅行だったが、それでも存分楽しむことができた。来年も誘いがあることを期待しよう。

2025年11月8日土曜日

またいつかは通ってみたい「道」

昨日は立冬だったというニュースを新聞で知った。暑い暑いと言っていた時がついこの間のように思うのだが、暦の上では冬に入った。

今朝の記事に「穏やか立冬 本多の森公園、紅葉鮮やか」と掲載されていた。
 暦の上で冬の始まりとなる「立冬」の7日、石川県内は青空が広がり、各地の最高気温は金沢18・8度、輪島17・9度など平年をやや上回った。紅葉が進む金沢市の本多の森公園では、穏やかな日差しの下、市民らが鮮やかに色づいた木々を見ながら散策を楽しんだ。

出羽町

写真は歴史博物館近辺だと思われるが、自分の感覚では出羽町といえば国立病院付近とインプットされている。

自分の感覚ではこの周辺が出羽町という感覚が強い

自分の中学高校時代にはまだ電電公社の建物はなかった。荒涼とした空き地だったという記憶がある。

NTT西・出羽町ビル

このビルの横から本多町に通じる情緒あふれる坂道がある。

この坂を下りると本多町に至る

そんなに頻繁には通らなかった道だがまたいつかは通ってみたいみちである。

2025年11月7日金曜日

またも百楽荘グループが落札

昨日は全国一斉にカニ漁が解禁された。
石川県沖では各漁港で県産ズワイガニの雄「加能ガニ」と雌の「香箱ガニ」が水揚げされた。一昨年、昨年の解禁日は荒天で出漁できず、解禁初日の競りは3年ぶりだという。最高級の雄のブランド「輝」には県漁協すず支所に所属する漁船の1匹が認定され、2021年の最高値(500万円)に次ぐ、450万円で取り引きされた。

セリ
今季第1号の「輝」は、長栄丸=県漁協すず支所所属=が水揚げした重さ1・76キロ、甲羅幅16・1センチの1匹。グランプリの最後に競りにかけられると、大物を一目見ようと仲買人や漁業関係者が競り場に集まり、450万円の値が付くと市場内にどよめきが広がった。

輝ですよ
落札した旅館「つる幸」(金沢市)はカニ漁の解禁に合わせ7日を開業日に設定。主人の竹本啓亮さん(46)は「何が何でも競り落としたかった。珠洲のカニなので、復興応援にもなればうれしい」と喜んだ。輝は7日に客に振る舞う。

今年もあのグループが

落札した旅館「つる幸」(金沢市)はカニ漁の解禁に合わせ7日を開業日に設定。主人の竹本啓亮さん(46)は「何が何でも競り落としたかった。珠洲のカニなので、復興応援にもなればうれしい」と喜んだ。輝は7日に客に振る舞う。

 この日、輝に認定されたのはこの1匹のみで、輝姫の認定はゼロだった。昨季は、輝は6匹、輝姫は12匹の認定にとどまっている。

前回もこのグループホテルの湯涌百楽荘が落札した。その資金力は大したもんだと舌をまいた。

2025年11月6日木曜日

今、なぜ熊が人里に出るようになったのか

今年になって急に熊が人里にでてくるようになった。不思議に思っていたのだが、その原因が分かった。何でか?答えは「鹿」だというではないか。
人里に出てくる熊は激やせしているという。
なぜこんなに激痩せしているのかというと、冬眠前の栄養としてクマがたらふく食べる木の実が、シカによって日本の山から急速に消えているからなんだとか。

鹿が熊の餌を食べつくす

林野庁の「森林におけるシカ被害の現状と対策」によれば、ニホンジカは本州だけでも246万頭(令和4年末)もいる。北海道のエゾジカも急増して73万頭(令和5年度)となっているので、合わせると軽く300万頭を超える「シカ天国」となっている。

「奈良のシカもかわいいし、たくさんいるのはいいことじゃん」と動物愛護の方は思うだろうが、実はこの300万頭が、日本の美しい自然を文字通り「侵食」しているという。 わかりやすく言えば、300万頭のシカたちが樹木を枯らして背の低いササやシダを消滅させ、土壌を壊すことで、いたるところにハゲ山をつくっているというのだ。なぜあんな可愛らしい動物が、そんなエグい自然破壊をするのかというと、「なんでも食う」からだ。 さて、ここまで言えばもうお分かりだろう。冬眠前のクマが痩せこけて、露天風呂にいた人間を襲うようになったのも、人里に下りてきてエサになりそうなものがないかと徘徊するようになったのも、つきつめていけば「山や森にある1000種類以上の植物を食べ尽くすシカが300万頭以上に激増した」ということが原因である。シカに山や森林を荒らされ、木の実を食い尽くされて、人里に下りざるを得なくなっているのだ。

そうだったのか。そんなことに今まで少しも気が付かなかった。熊退治も必要だが、その前に異常に増えつつある「鹿」を退治しないと、クマは人里しか住む場所がない。

2025年11月5日水曜日

国8と海幹の分岐点~牛殺し川

 昨日は久しぶりの好天、浮かれていつものルートを大いに外れた。最初は家からすぐの国8と海環のドン付け部分から海環歩道を歩いた。

国8と海環の交差部(福久地内)

反対側歩道は歩いたことがあるが、北側歩道は初めて歩いた。

往復4車線のうち2車線未使用

将来はこのあたりから国8に沿って今町まで並行し合流することになる。
ここから下道に降りて北側に歩いた。10分くらい歩くと牛殺し川の始点に出る。

いつもはカモがいくつものグループで遊んでいるが、昨日は全く姿がなかった

向こう側の橋の少し下流まで福久町会が草刈りをしている。

だが、町内が違うとこんな状態

この付近から方向を南側に変更して8号線に出た。

金沢イオンの前側になるが、海環スペースが確保されている

かくして約90分のウォーキングを終えた。何となく気分爽快となった。今日は午前中GGだった。来週も雨が降りませんようにと祈ろう。

2025年11月4日火曜日

女性総理の初動体制は素晴しかった

高市早苗氏が10月21日に第104代内閣総理大臣に就任して以来、わずか3日間だが、国内外で大きな注目を集めた。憲政史上初の女性首相として歴史的な出来事である。
最初はトランプとの会談だったが、いままで誰もやらなかったトランプとの会合模様を見て驚いた。トランプの性格を読みつくして対応したといえる。おまけに米軍の基地まで出かけた。そこでのパフォーマンスも異色だった。そこまで媚びを売らんでも・・・という思いもあったが。

よほど「ウマ」があったのか

そして韓国伊大統領との会見でも相手がたじろぐ場面もあった。


そしてASEANでの各国首脳陣との対応も、女性の強みを120%発揮した。どの相手にも満面の笑顔で接していた。
ASEAN会議の模様はこれまで余り動画では流されていなかったが、今回はいろんな場面が報道された。女性総理大臣の強みはこれからあらゆる場面で発揮しづけるだろう。

2025年11月3日月曜日

今年もドジャーズが優勝したからロスで暴動

ドジャースが最後の最後にどんでん返しで優勝した。その地元ロスでまたもや暴動が発生したという。アメリカという国が理解できない。

敵地トロントで延長11回まで及んだ激闘を制したが、地元のロサンゼルスは昨年と同様に混乱が発生したと現地メディアなどが伝えている。ダウンタウンの交差点を数台の車が占拠し、350~400人の群衆が暴徒化。車に落書きした上にフロントガラスを割るなどの破壊行為が起き、出動した警官隊に花火を発射、瓶などが投げつけられたという。


 カレン・バス市長はXで「ドジャースファンの皆さん、今夜は安全かつ責任を持って祝ってください」と呼びかけた上で「ロサンゼルス市警は警戒態勢を強化し、地域警察と連携している。この勝利に乗じようとする者には一切の容赦しません」と断固たる姿勢で臨むとしてい       る。           

警察は花火などによる攻撃に際し「非致死性武器の使用、CSガス(催涙ガス)の使用が現場指揮官により許可されました」と発表し、暴徒化した群衆を鎮圧に乗り出した。

昨年もバスが燃やされ、集団強盗が店舗に押し入って商品が盗み出される被害が出ている。警察は事前に注意喚起していたが、またしても治安が悪化してしまっている。
日本では考えられない暴動である。アメリカはもう、先進国ではないぞ。

2025年11月2日日曜日

遠藤関が断髪した姿を初めて見た

 あれ、これ誰?と思ったが、じっと見ていると遠藤だった。いつ断髪したのだろう。

穴水町出身の元小結・遠藤が現役を引退し、年寄・北陣を襲名したという。敢闘賞1回、殊勲賞1回、そして技能賞は4回と、四つ相撲の魅力を余すところなく見せてくれた名力士が現役生活にピリオドを打った。アマチュア時代から大きな期待を集めていた力士だった。大学4年生のとき、自らの強さの秘密について語る姿はのちの活躍を感じさせるものがあったという。

断髪後の遠藤
遠藤の学生時代の写真があった。学生時代から左四つが勝ちパターンだったという。

学生時代は主将だった

高校時代の遠藤 今とそんなに変わっていない

若いころの写真はもう少し早く見たかったものだ。これからは立派な親方として後輩を育成してもらいたいと願っている。長いこと現役時代の遠藤を楽しませてもらった。ありがとうと礼を言いたい。

2025年11月1日土曜日

昨夜はハロウィン 渋谷と片町

 ハロウィンといえば渋谷の様子がどうなっているか報道機関の人気の場所になっている。記事によると、ハロウィン当日の渋谷は雨模様ながら歩行が困難なほどの人出になったようだ。「禁止だよ!迷惑ハロウィーン」の横断幕を掲出している駅前は、車両の通行を禁止するなど警察による交通規制が行われているという。ただ、19時時点で仮装をしている人はごく僅か。編集部が確認できたのは、漫画ワンピースの「ドフラミンゴ」風の衣装で、サンリオの人気キャラクター「ハンギョドン」のバッグを背負った男性のみだったようだ。

取り締まりも厳重になりバカ騒ぎもなかったようだ。

さて、片町はどうだったのだろうか。ハロウィーンの31日夜、片町周辺はアニメやゲームなどのコスプレをした若者が集まったという。雨が降る中、金沢中署員や小型のウエアラブルカメラを着用した「カメラポリス」が警戒に当たった。片町きらら前には午後8時過ぎから若者が増え始めた。「鬼滅の刃」のキャラクターや保育園児、恐竜などに仮装した人が次々と集まり、動画を撮影したり、通行人と写真を撮ったりする姿が見られた。

結構人出が多い

カメラポリスは車の上から周辺を撮影し、指揮官が金沢中署で映像を確認しながら指示を送った。

10人ほどそろいの仮面でねり歩いた

こんな仮想ができるのは青春時代だけだ

片町も結構な賑わいがあったようだ。我々が若いころの片町は平日でも2時3時まで大賑わいだった。そんな時代はもう戻ってこないだろうなぁ。

2025年10月31日金曜日

耕作放棄地が急増

いつものウオーキングルートを気まぐれに変えているのだが、田んぼ道を歩く場合もある。そんな中、最近アレッ、ここもか・・・と思う時が増えてきた。広大な田んぼの一角が耕作されなかったため雑草が目立って来た場所がある。

左手が荒屋団地 河川に沿って市道、元田んぼ、森本駅裏となる

この市道に沿って歩を進めると・・・

高架橋は新幹線、その下に森本駅

この雑草が繁茂している場所は元ハス田と田んぼだったが、去年から全く手が入らなくなって雑草が茂るようになった。この場所は森本駅から歩いて2,3分、宅地化が不可の耕作指定地となっているものと考えられる。


しかし、都市計画上の用途変更はなかなか許可が出ないと聞く。
この場所から北方数百mは田園地帯となるのだが、その場所でも休耕田が増えつつある。
高齢化が進み跡継ぎがいないためやむなく放置せざるを得ないという図式になっている。
休耕田は専門業者に依頼する手はある。聞くところによると、請負業者に任せると殆ど持っていかれることになるという話を聞いたことがある。
引くてあまたの専門業者は「不満だったら自分でやれ」というだろう。困ったものだ。

2025年10月30日木曜日

県内クマ騒動急増

 昨日、クマ騒動から遠ざかっていた県内各地で熊の出没が相次いだというニュースがあった。 
どういうわけか五件も


一つ目:加賀市熊坂町の国道8号で金沢方面へ向かっていた30代女性の軽自動車が道路左側から飛び出してきたクマと衝突した。女性にけがはなく、体長約1メートルのクマは即死状態だった。大聖寺署と市によると、この事故の約30分前に付近住民から「民家敷地にクマがいる」と通報があり、署員が周辺で注意を呼び掛けていた。

二つ目:トラック運転手目撃
能登島向田町の広域農道で、道路を横切るクマとみられる動物をトラック運転手が目撃した。現場は同市能登島小から約300メートルの山中で、目撃情報を受け、同校は屋外での活動を中止。児童の徒歩での下校も禁止し、校舎前には迎えに来た保護者の車が並んだ。30日も保護者に児童の車での送迎を要請した。

三つ目:小松と能美、複数目撃
小松市軽海町では午前7時半ごろ、加賀産業開発道路東陵交差点近くで、運転中のドライバーが成獣1頭を目撃した。午後2時56分ごろには小松市八幡の空き地で、午後4時半ごろには、小松市林町のこまつドーム付近でも目撃情報が寄せられた。小松市那谷町の那谷町会館付近の畑では午後5時2分ごろ、住民が柿の木に登って柿を食べる成獣1頭を見つけた。28日にも同所で目撃されている。

四つ目:
能美市では午後6時35分ごろに和気町で幼獣2頭、午後7時10分ごろに岩内町で成獣1頭の目撃情報があった。

五つ目:
金沢・相合谷町で1頭
金沢市相合谷町の市道で、運転中のドライバーが体長約1メートルの1頭を見かけた。現場は水淵・相合谷トンネルそばで、同じ時間帯に水淵町のほたる橋そばでも1頭が目撃された。

これまで県内の熊出没のニュースはなりを潜めていたが、昨日はあちこちに大挙して出没した。さて、きょうはどうなるかだ。

2025年10月29日水曜日

腎臓がんでお世話になった先生が北國文化賞受賞

今朝の新聞で、医科大でお世話になった泌尿器科の宮沢克人先生が北國文化賞を受賞されるという。宮沢先生は医科大の学長になられたのだが、今も泌尿器科の教授でもあらせられる。その宮沢学長が第79回北國文化賞、第58回北國芸術賞を受賞されることになり、贈呈式は11月3日午後1時から、金沢市の北國新聞赤羽ホールで行われる。

《昨年元日に発生した能登半島地震では3月末までに医療スタッフ延べ360人を被災地に派遣し、入院600人、外来700人の患者を受け入れた》
学長就任後に相次いだ災害は、まさに金沢医科大の社会的使命を問われる出来事だった。1月2日から患者の受け入れを始めた。大学の近くで救急車が数十台、被災地に向けて行列をつくっていた。金沢医科大は能登からすれば金沢への出口であり、金沢からは能登への入口に立地している。

金沢医科大学長 宮沢克人氏

学長でありながら、毎週火曜日は泌尿器科の待合室が人で溢れかえる。宮沢学長が応診される指定日なのだ。だいたい癌の手術について、本人と家族に説明される日が火曜日となっている。宮沢氏曰く、「
我々は医師と看護師の養成機関であり、地域に貢献する医療人を育成することは大きな役割の一つです。地域医療にとって大切な「人を思う力」を養うため、入学から卒業まで一貫した倫理教育を実施し、医療人としての心構えを学ぶカリキュラムを取り入れています。県内の各医療圏で臨床実習を行い、地域の医療機関との連携を拡充する取り組みを進めています。」

学長ともなれば応診は教授に任せれば・・・と思うのだが、この先生は一医師として患者に向かっておられる。今時でもこんな先生がおられるのだ。

2025年10月28日火曜日

欧勝海入幕に拍手だ

欧勝海が初入幕した。年齢は24歳、ちなみに大の里は欧勝海の1年上。十両以来ずっと応援してきたが、いよいよ幕内になった。今後の活躍が楽しみ。
11月9日に初日を迎える大相撲九州場所。27日に番付が発表され、津幡町出身の欧勝海が新入幕を果たし、東の前頭16枚目に昇進した。
先場所、十両筆頭で9勝6敗と勝ち越しを決めた津幡町出身の欧勝海。

欧勝海の談話
「まずは嬉しいですね。新入幕に上がったので、やっとスタートラインに立てたと思うので、これからここで満足せずもっと上を目指してやってきたいですね。同じ津幡町に横綱がいるので、少しでも近づけるように頑張っていきたいです。」
相撲教室で横綱・大の里の1年後輩だった欧勝海。初土俵からおよそ5年半での幕内昇進となった。

がんばれ!応援してるぞ

欧勝海の地元津幡町では27日、祝福の懸垂幕が町役場に掲げられ、町出身の幕内力士が横綱大の里と2人に増えたことを関係者らが喜んだ。町欧勝海後援会長の矢田富郎町長は、会から欧勝海に化粧まわしを贈ったとし「8勝以上は挙げてほしい」と勝ち越しに期待を寄せた。
欧勝海の新入幕を祝福する懸垂幕(右)。
大の里優勝を祝う懸垂幕と並んだ=津幡町役場

矢田町長は、人口約3万7千人の町から出身者2人が同じ幕内の土俵に上がることに「他にないんじゃないか」と満面の笑み。贈った化粧まわしは、町の鳥である白鳥が青空を飛ぶ意匠だと説明し「白鳥は本人の希望だった。九州場所で着けてくれるだろう」と話した。年内に町内で贈呈式を行いたい考えだ。

欧勝海の父で、同町上矢田の温浴施設「やたの湯」を経営する深沢正人さん(58)は「これからがスタートだと思って、けがをせずに頑張ってほしい」とエールを送った。
かつて大の里と欧勝海を町少年相撲教室で指導した長井恒輝さん(33)は、「ずっと背中を追い続けた大の里の活躍が欧勝海の刺激になった」と感慨を込めた。秋場所で白星にちなみ白い大福を差し入れた髙倉製菓(同町加賀爪)の髙倉明社長(62)は「口数は少ないが、気さくな若者や。大の里よりも応援する」と話した。

2025年10月27日月曜日

今年の金沢マラソンは珍しく雨だった

 金沢マラソンは今年で11回目だという。初回の頃は応援場所が割り当てられていて、ウチの町会は千木町の交差点付近だった。町会から30人前後が参加して選手たちとハイタッチしたり旗を振って応援したりした。

平成28年10月金沢マラソンの町会応援模様

ここ数年はルートが家からかなり離れていたので応援には行っていない。しかし、海環が国8とドッキングしたのでルートが変更になりかなり近くなったので一昨年はそこで応援した。ウチの婿殿は毎回抽選漏れがなく今年も走り、時間内ぎりぎりにゴールしたという。2,3年前から海環の一部を走るようになり、吾々が応援した場所は走行ルートではなくなった。そんな経緯もあり町会として応援は取りやめたようだ。

号砲が響きスタート!

1万5千人がゴールを目指し走り始めた

今年はあの山中伸弥氏は走ったのだろうか。山中教授は別府マラソンには参加していた。金沢マラソンは著名人の参加がかなり多いように思う。来年は海幹と国8の合流地点まで行って応援しようか。

2025年10月26日日曜日

はたちの写真は38豪雪だった

穴水~蛸島間を走っていた能登線は平成17年3月末を以って廃止された。早いもので無くなってから今年で19年目となった。建設に関わったものとして寂しい思いはぬぐえない。

元宇出津駅構内は全て撤去され町役場や物販店ができた
38豪雪は丁度「はたち」だった

昭和38年10月の宇出津、松波間開業に向けてⅭ58による踏み固め試運転が行われた。

田ノ浦付近
機関車先頭で安全誘導を担った

松波駅構内境界まで

そして時は流れ平成16年、廃止される半年前に宇出津駅から蛸島駅まで見納め会をした。

終点蛸島まで見納めした

見納め乗車を終え蛸島駅に降り立った時、建設時の出来事が走馬灯にように浮かんでは消えた。それからもう19年、あっという間にこの年になった。

2025年10月25日土曜日

三方岩の紅葉

まだ我々の近辺では紅葉はまだまだだが、今頃からホワイトロードの県境付近の紅葉の見ごろとなる。昨日のテレビで三方岩の紅葉を見るための登山者の様子を取材していた。ここは三方岩駐車場から1時間もかからない絶好の登山道である。

もうずいぶん前の話になったが、かつてここに登山したことがあった。その頃は三方岩頂上に到着してまだ体力十分だったのでもう一つ先の山まで足を延ばした。

三方岩頂上

三方岩駐車場から40分で到達した

頂上からは白川郷の近くの集落を見ることができる。

昨日のテレビ番組の映像から

眺望も絶佳

ホワイトロード中腹付近の乳母が滝の紅葉も素晴らしい
しかし、三方岩付近の紅葉から1週間以上しないとここまで紅葉しない

三方岩に行ったことがない人に是非お勧めしたい紅葉絶好の場所でした。