2025年12月27日土曜日

三つ揃いの化粧まわし

中学の同窓生から大の里が化粧まわしをプレゼントされたという。相手は能生中学の同窓生だとか。
以下、記事から
大の里は昨日(26日)、茨城県阿見町の二所ノ関部屋で化粧まわしの贈呈式に臨んだという。化粧まわしを贈った医療法人アグリー(茨城県つくばみらい市)の伊藤俊一郎理事長(46)は、大の里と同じ糸魚川市の能生中卒で、大の里は「身が引き締まる思い。これをつけて1月場所から頑張りたい」と話した。

化粧まわしは三つぞろいで、伊藤理事長の実家が養鯉場を営むことから、目の玉にヒスイをあしらった錦鯉がデザインされた。
伊藤理事長は昨年、大の里と筑波大附属病院を慰問したとし「患者さんが涙を流して喜んでくれていた。横綱と一緒に彩りを届けていきたい」とあいさつした。大の里は「新潟の6年間が今の自分に大きな影響を与えた。しっかり頑張りたい」と語った。この日は、新しい綱を作る「綱打ち」も行われた。

能生中の同窓生からプレゼントの化粧まわし

このような化粧まわしは高額品に違いないだろう。横綱にふさわしいデザインのようだ。すでに何枚もプレゼントされているはずだが、TVの放送で見ることが出来るといいのだが・・・

2025年12月26日金曜日

今朝7時からの積雪にびっくり

 今朝7時ごろから降り出した雪だが、すごい勢いであたり一面が白色に覆われた。この降りは尋常じゃない。余りにも急な降り方で散水消雪が機能停止しているではないか。ひょっとして年内の積雪はないかも・・・という思いは一蹴された。

家の前の市道も散水消雪システムが機能停止している

狭い中庭も積雪した

例年この時期の積雪は滅多にない。この冬は雪が多いのかと心配になった。

一昨日は町内の公園がこんな風景だったのに

毎年この時期は一生懸命に年賀状を書いていたが、今年から取りやめることにした。昨年の同年輩たちからの年賀状に高齢になったため次から出さない旨の連絡があったので、自分もそうすることにした。年賀状の交換は小学3年生くらいから始めた。七十数年間、せっせと書いてきたがその労力は必要が無くなった。

少し淋しい気がするが、ま、いいか。

2025年12月25日木曜日

復興第一弾

和倉温泉に海側に沿った旅館群があるが、その海側の護岸が地震で破壊された。その復旧工事が鋭意進められているが、その護岸の一部100mが完成したという。そのあたりは埋め立ての敷地に建設された旅館が並んでいるが、どの旅館も被害が甚大だった。この護岸工事が完了しないと旅館の修築が進まない。この100mで2,3棟が復旧できるかも知れない。

和倉温泉では現在までに4,5棟が営業開始したと聞くが、被害が甚大で高層ビルが多数あるので復旧は中々進まないのが現状のようだ。


このあたりの温泉街は過去に数回は利用した場所である。この惨状を見て本当に情けなる思いだ。

地震発生時の被害状況

ホテル従業員の皆さんも、地震発生後からどうされているのか気になるところである。
1日も早い復興を祈らずにはいられない。

2025年12月24日水曜日

80代の誕生日

昨日は自分の誕生日だった。昨日までの1年間はお陰様で病気一つしなくて元気に過ごせたことに感謝である。誕生日といえば忘れられない出来事があった。下の娘が1年生の時に書いた作文を思い出さずにはいられない。
作文
私のおとうさんの誕生日は皇太子殿下と同じでめでたいです。おねえちゃんは1月2日のお正月でめでたいです。わたしはみちこ妃殿下とおなじでめでたいです。おかあさんは9月3日のどらえもんとおなじでめでたいです。
先生の評 それはめでたい家族ですね。・・・と。

これを読んで大笑いしたことがいつも誕生日になると思い出してニタリとしてしまう。
そして、どらえもんの誕生日が9月3日だとは知らなかった。


「誕生日」を検索したらこんな記事が
生まれてきたこと自体が、すでに誰かの幸せの理由になっています。「年齢は数字、心の輝きは選択。」

何歳であっても、どう生きるかは自分次第。心を磨くほど、人生は光ります。「誕生日は、過去を抱きしめ、未来を迎える日。」

喜びも涙も、すべてがあなたを形作った大切な宝物です。「あなたの存在は、誰かの希望の灯り。」

気づかないうちに、あなたは誰かの人生を温めています。「今日からの一年も、あなたらしい色で塗り重ねて。」

人生はキャンバス。色を選ぶのは、いつだって自分です。

次の誕生日まで、これらの言葉をかみしめながら毎日を送るとしよう。

2025年12月23日火曜日

地域おこしのお手本

今朝の新聞で目を引いたのは「かほく、年間出生数最多に 流入続き、330人超見通し」という記事だった。現在、県内各地で人口減が著しい。その中で常に目を引くのがかほく市である。かほく市の今年度の年間出生数が過去最多の330人を超える見通しとなったという。子どもの出生後に市内に転入する人も多く、県内で先行して導入した不妊治療費の全額支援などの施策が「若者が住むまち」の定着を後押ししている。

かほく市の人口は2015年度から10年連続で増え、昨年度末時点で3万6231人となった。特に20~30代の移住が多い。これはかほく市の政策によるものである。
かほく市が誕生した2004年以降、出生届の提出人数は08年度に過去最低の241人まで減少した。


これに危機感を強くした市が対策に乗り出したという。一体どんな秘策があったのだろう。
市内で住宅を新築・購入する45歳未満を対象に最大215万円を交付する「若者マイホーム取得奨励金」、新婚世帯に家賃を補助する「新婚さん住まい応援事業」などを打ち出してきた。
こうした取り組みに加え、大型商業施設の誘致や道路整備、子ども向け屋内運動施設の開業も実を結び、18、23年度の出生数は最多の313人となった。

何と、どこにもやっていない政策が実行されている。当局の熱意が伝わって来るではないか。

2025年12月22日月曜日

東京駅北口横断歩道の突き当り

古い写真を見ていたら1枚の風景写真に目が留まった。東京駅北口とその突き当りのビルが写っている。この写真を見ていると次々と思い出がわいてくる。

先ずもっとも古い記憶は、国鉄に就職して昭和36年4月に国鉄本社ビルへ見学に行った時のこと。中央の白い建物の玄関を入ると、2台の大型コンピューターが据え付けてあった。IBM社製だと思うのだが、機器は畳半畳くらいの大きさがあり、上部にテープがくるくると回りながら稼働していた。当時の初任給が1万円前後だったが、その値段は2千万円前後だと聞いた。すぐ傍の部屋では、20人前後の若い女性たちがせわしくタイピング作業をしていた。

現在は全く風景が様変わりした

その様子を見て、事務処理作業の最先端だと思った。
随分後になって聞いた話だが、そのコンピュータ能力は自宅で使っているノートPCよりはるかに劣ると聞いてびっくりした。

もう10年ほど前の話になったが、二人の孫たちと東京へ旅行したことがあった。そして思い出深い北口に至る横断歩道を渡って東京駅裏手を回り表へと戻ってきた。数年前には皇居も見学したが、もう一度、北口横断歩道を渡ってみたい。

2025年12月21日日曜日

和倉温泉駅開業100周年記念式典

和倉温泉駅が開業100周年を迎え、地元温泉旅館等関係者が記念式典を催行したという。和倉温泉の旅館群は地震災害で大きなダメージを受け、現在も大半の旅館が休業中となっている。


能登観光の拠点となっている和倉温泉駅が今年開業100周年を迎え、関係者による記念式典が20日、行われた。
記念式典にはJRの社員や旅館関係者などおよそ80人が出席した。七尾市石崎町にある和倉温泉駅は1925年に和倉駅として開業し、JRとのと鉄道の共同の駅として地元住民や旅行客に長年親しまれてきた。

和倉温泉に初めて行ったのは昭和29年小学校の修学旅行であった。泊まった旅館は大徳館だった。今はもうその名称はなくなったようだ。

金沢に1泊した翌日、和倉温泉大徳館で宿泊した

その15年後、新婚旅行で1泊した。
そして同窓会や町内の旅行会で度々訪れている。
1日も早く被災された皆様の営業再開を待ち望んでいる。

2025年12月20日土曜日

山環に接続はまだ時間がかかりそう

 昨日の県内は高気圧に覆われて晴れ、すっきりとした青空が広がった。道の駅内灘サンセットパークでは、立山連峰がくっきりと姿を現し、続々と訪れた人が絶景に見入ったという。

医科大付近の展望台から立山連峰が丸見え

過去にこの付近で立山連峰をこの目で確かめたのだが、この写真のように端から端までは見ることはできなかった。

さて、昨日も好天だったのでウオーキングに出かけた。家の至近距離にある交差点を右に進み、レンコン田に出た。すぐ近くにレンコンの無人直売所がある。格安なので二人の来客があった。

無人のレンコン販売所

すぐ近くに孫4人がお世話になった慶応幼稚園の前を通って、レンコン田の農道に出た。

慶応幼稚園
4人の孫たちが連続して13年ここに通園した

途中、レンコン田の前で1台の車が停車して人が降りたので、少し話をしてみることにした。地元の横枕の人だと思ったら八田から来たという。このレンコン田は借地、以前は河北潟でレンコンを栽培していたが、ここで始めたのだという。河北潟は水の中、ここは泥の中で仕事は大変だが、レンコンの値段が格段に良いところ。頑張ってもらいたいものである。

海環の千木橋桁工事中

このスペースは山環今町インターに繋がる海環

ということで、昨日も好天のウオーキングを楽しんだ。

2025年12月19日金曜日

冬期にはめったにない昨日も今日も澄み切った青空

昨日は朝からスカッとした快晴に恵まれた。午後は30分ほど、小学生の下校みまもりの旗振り安全誘導、いつもと違って先生が引率しての集団下校だった。そのあと、この晴れ間は滅多にないことなので、外回りの清掃作業をすることにした。ガレージシャッターから始めたが、これまでにはなかったレンガ積み塀の壁面に汚れがあったので、ブラシ等でごしごしやったが中々きれいにならなくて手こずった。玄関回りの内外、居間から奥の部屋までのガラス窓をすべて水で洗った。

    夕日(昨日)に照らされた白山

そして今朝は夜明け前から晴れ渡った。
2階から青空と中庭まで写真を撮った。この角度から写真は撮ったことがない。これからもないと思われる。

右上の白い建物は興能信金の寮

寮以外の建物はわが家も含め平成8年以降に建てられた。それ以外の住宅は昭和38年以降に宅地開発され、現在では280世帯が居住する団地となった。全て水田の風景が広がっていた場所である。4,5年前までしゃれたレストランが2店舗あったが無くなったのが淋しい。

2025年12月18日木曜日

高級品のかぶらずしを横目に大根ずしに

 今朝の朝刊にかぶらずしの漬け込みが最盛期になったという記事が掲載された。「かぶら寿司」は塩漬けしたかぶらの輪切りに鰤の切身を挟んで麹に漬け込んで発酵させた「なれずし」なのだが、高級品でなかなか口に入らない。
かぶらずしはブリとかぶらで作られるが、高級すぎて手が出ないのだが、吾々の口に入りやすいのが大根寿司である。

かぶらずし

原料のかぶらやブリは、かつては収穫時期が限られ貴重で高価だった事から、入手しやすい吾々としては大根と身欠きミシンで作る大根ずしの方が、より広域で作られてきた。

これがなじみの大根ずし

17日の県内は低気圧や寒気の影響で曇り、雨となった。最高気温は金沢13・1度、輪島9・7度と11月下旬から12月中旬並みとなった。今年創業100年を迎えた金沢市野町5丁目の「かぶら寿し本舗かばた」では、金沢の冬の味覚「かぶらずし」の漬け込みと出荷が最盛期を迎え、従業員が手際よく作業を進めたという。

今日は久しぶりの晴れ。明日も晴れ、心も晴れだ。

2025年12月17日水曜日

気多大社の鵜祭り

昨年は気多大社の恒例行事である鵜様が捕獲できなくて鵜祭りは中止になったが、今年は幸いにして4日前に捕獲に成功したので、昨日の未明に鵜祭りが施行できたという。 

午前3時過ぎから鵜祭りが執り行われた

平安時代から今日まで続いている伝統行事で、鵜を捕獲する担当、4日間かけて神社まで運搬する担当と役職が何百年と引き継がれ今日に至っている。
祭礼は鵜を祭壇に放ち、その動きで来年はどのような年になるかを占う行事である。

大役を果たし大空へ帰った鵜様

考えてみると、この行事に関わっておられる大勢の方々の大変な努力が集積されている。
鵜の捕獲される方々は子々孫々に受け継がれているという。いつまでも続いて欲しいと願わずにはいられない。

2025年12月16日火曜日

2万個のサザエの殻で創作した芸術作品?

サザエキリコとは聞いたことがないが何だろうと思い、記事を読み進めた。なんと、それはサザエの殻で作った芸術作品だった。

   自然休養村センターに展示されていた「サザエキリコ」
            珠洲市馬緤町

能登半島地震の被災者が避難所で食べたサザエの殻を集めて芸術家が創作した作品だという。製作者は芸術家村尾かずこさん(60)=東京都国分寺市=の立体作品「サザエキリコ」が、経年劣化のため、珠洲市馬緤町で解体されたのだとか。

村尾さんらが珠洲市自然休養村センターを訪れ、殻を一つ一つ丁寧にキリコから外した。 センターは、昨年元日の地震発生から1年間、避難所として活用された。村尾さんは、2017年の奥能登国際芸術祭で馬緤町の小屋に2万個のサザエの殻をしっくいで塗り固めた「サザエハウス」を制作し、展示するなど縁が深い。

それにしても2万個ものサザエの殻はどのようにして集めたのか不思議でならない。食べた殻の置き場所があったとも思われないし・・・

2025年12月15日月曜日

アホな空想

 そういえばボーナスと縁遠くなって既に19年も経過した。なければないで今日まで何とかやってこられた。水曜日支給のボーナスから最初の休日である土曜日は、物価高による買い控えが懸念される中、百貨店では化粧品やアクセサリーなどの高額品が売れ、冷え込みが厳しくなったことで衣料品も好調で、最終盤を迎えた歳暮コーナーも活気づき、歳末商戦に向けて関係者からは安堵の声が漏れたという。

大賑わいのデパート(ムサシ)

香林坊の大和で16日まで開設する8階の歳暮ギフトセンターでは、地元の和菓子や能登産の海産物などが人気を集めた。担当者は「ボーナスの効果もあり、上々の入り込みだ」という。ちなみに県の職員の冬のボーナス支給額は、83万7000円と見込まれています。これは、昨年の支給額に比べて4万6000円の増加です。また、条例案が可決されれば、さらに3万4000円の追加支給が行われる見込みです

現職時に手にしたボーナスは、支給される前からすでに行き先が決まっており、自由になる金銭は極々少なかった。あの頃に手にしたボーナスが、今、気ままに使うことが出来れば何と素晴らしいだろうとアホな空想を巡らせた。

2025年12月14日日曜日

持たざる老人のたわごと

なにっ、県内の被害額28億円だと?ほんとにこれは巨額だー。
先日(5日)、県内の特殊詐欺について記したが、今朝の朝刊で再び大額の被害が分かったという記事があった。
県内で今年確認された特殊詐欺とSNSを悪用した詐欺の被害額が何と約28億円に達したというではないか。
今月に入っても高額被害が相次いで発覚、昨年1年間の約15億1800万円を大幅に上回っている!警察庁のデータによると12月は全国的に被害が急増する傾向にある。犯罪集団にはノルマがあり「年末攻勢」を仕掛けてくるとの指摘もあり、県警は注意を呼び掛けている。


あれほどSNSロマンス詐欺の手口等をこまかく記載されていたのに、今月新たに同様の被害にあったという。 
県警によると、今年1~11月に県内で確認された特殊詐欺の被害は前年同期比93件増の206件、被害総額は約8億5800万円増の約11億2900万円と大きく増加した。
SNS型投資詐欺は29件増の85件で、約5億7100万円増の約11億3500万円。SNS型ロマンス詐欺は28件増の67件で、被害総額は約1億8800万円減って約3億9500万円。特殊詐欺との被害額の合計は約26億5900万円となった。

警察庁によると、特殊詐欺の月別被害額は2020年から24年の5年間いずれも12月が最多で、件数も20年を除く4年間で12月が最も多かった。関係者によると、犯罪集団にはノルマがあり、年間の目標を達成するため12月は追い込みを掛けてくるという。

儲け話に夢中になっておられる方々はちょっとやそっとの注意には聴く耳を持たなくなっている。それだけ儲け話には強く引き付ける魅力があるのだろう。
持たざる老人のたわごとでした。

2025年12月13日土曜日

人生最大の大宴会

平成10年に勤務箇所が廃止されることが発表されたことから、全職員に今後についての意向調査が実施された。単身赴任が長く続いていたので、県内で就職できればと考えていた。本社幹部から県に話をしたから面接に行くようにと指示があって面接を受けた。その結果、県のある機関に就職することができた。その翌年、関係機関の全組織懇談会が芦原温泉で開催されることになり、出席するよう指示があった。

全参加者は100人前後に上り、大宴会が開かれた。このような参加者の多い宴会は最初で最後になった。

この機関の勤務は60歳定年で、それ以降も臨時職員として継続することにした。給料は大幅ダウンしたが、60歳から年金を受給することにした。もちろん年金は大幅カットされた。給料は初任給と同等額となって大幅ダウンした。そして4年が経過し、構造物の詳細設計図をパソコンでチェックしていたのだが、目が非常に疲れ始めて、休憩タイムに外の景色を眺めると、電柱が2本に見えてきたので、64才で退職することにした。

それからやがて18年、考えてみれば64からまだ10年は一人前の仕事ができたなぁ・・・と。

2025年12月12日金曜日

20年ぶりの街角年金相談センター

今朝9時に年金相談センターへ行ってきた。用件は年金の扶養家族申請がこれまで12月初旬頃に郵送されてきたペーパーの記入で提出していたのだが、今年からはがきの案内でスマホかパソコンで申請するよう指示されたのだが、少しやってみたが中々面倒なので、今年も紙の申請にしたいとその相談に行った。

受付に事情を話してペーパー申請したいと告げたら、用紙を渡されたので、住所氏名等を記入して提出した。去年まで手書きで申請していたのに何故かスマホ等による申請に指示された経緯を話した。申請方法がいきなり変更になった経緯はわからなかったが、まずは一件落着となり安心した。

鳴和の事務所は20年ぶりに行ったのだが、受付等の配置は昔のままだった。昔の相談用件は、失業保険金がどれだけ出るのか聞きたかったからである。当時、失業保険金は再就職すると支給対象外となったので、その後、どうするか判断するためだった。結局、失業保険金は受給とりやめとし、年金受給を開始した。確か、失業保険金と年金額が同等だったと思う。それなら年金を受給開始するとなった。

あれから20年もたったのか・・・と、年月の過ぎ去る速さが身に染みた。

2025年12月11日木曜日

2か国目の海外旅行

アジア大陸の先っぽ、マレーシアに旅行したのは32年前だった。50になったばかりの頃になるが、それから30年を超えた。実はこの海外旅行は、ヨーロッパへ行く予定だったが、仕事の都合で長い休暇は取れないという話しがあって、シンガポール方面に急遽変更した。
シンガポールを巡った後にマレーシアに渡った。

ジョホール海峡の対岸はシンガポール

ジョホールバルの娯楽施設で

どういう訳か記念写真は現地女性と

マレーシアからシンガポールに通勤している人の多いのに驚いた。海峡に渡る橋のシンガポール側には入出国管理事務所があって、かなり込み合っていた。

確かこのころは伊丹空港からシンガポールに向かった。今では関空がメインになるのだろうかと気になった。

2025年12月10日水曜日

あと3年で廃線20年とは

 もう2週間足らずで満83を迎える。1年の過ぎ行く速さに驚くばかり。しかし、お陰様で元気に過ごすことが出来た。アルバムを見ていたら宇出津駅で移した写真が目に飛び込んできた。その写真は平成16年6月に宇出津駅で写したものだった。この日、同級生3組の夫婦で能登線乗り納め会をした。昭和36年4月に就職したのだが、7月に能登線建設を担っていた小木工事区へ転勤となり、昭和38年10月、宇出津~松波間営業開始に伴い岐阜市にあった本部に転勤となった。

そして平成17年3月を以って能登線廃止が決定したため、乗り納がしたくて同級生2人に話したところ、夫婦そろって6人が乗り納めをすることになった。

宇出津から蛸島行に乗車した

昭和36年から3年間、宇出津から珠洲上戸間の軌道敷設工事に従事した。

昭和38年7月、宇出津~松波間開業に向け、Ⅽ58による
踏み固め試運転の蒸気機関車最前部で安全確認の任務に就
いた。工事関係者は制帽が重いためハンチングを冠っていた

乗り納会に付き合ってくれた5人の方々に深く感謝するばかりである。

2025年12月9日火曜日

エッ、なんで朗希が珠洲に?

 今朝の朝刊を見て「あれ!朗希が何で?」と思わず記事に集中した。写真に朗希が!昨日(7日)、珠洲市蛸島町の球場で開催された野球教室。そこに朗希が現れたという。ロサンゼルス・ドジャース 佐々木朗希選手:「短い時間ですが、よろしくお願いします!」今年、球団史上初となるワールドシリーズ2連覇に大きく貢献したロサンゼルス・ドジャースの佐々木朗希投手である。


あの佐々木朗希が珠洲に現る!

岩手県出身の佐々木投手は小学3年生の時に東日本大震災を経験。当時、プロ野球選手やOBが被災地で開いてくれた野球教室が佐々木投手にとって忘れられない思い出になったことから今回、能登の子どもたちのために教室を開いたのだという。アメリカからわざわざ能登に
来たのだ。

佐々木投手は参加した能登の小中学生約190人にボールの投げ方などについてアドバイスを送った。
子ども:「メジャーリーガーの野球教室は初めてだったのでうれしいです。身長もでかいし足と腕がめちゃくちゃ長くて「人間なのかな?」って思った。将来は佐々木朗希選手みたいな腕と足が長い選手になって160キロを出したいです。」

佐々木朗希投手:
「まだまだ復興の途中だと思いますけど僕らにできることを考えながら皆さんと一緒に復興に向けて頑張っていけたらと思います。将来大きくなった時に今回のことを少しでも覚えてくれていたらうれしいなと思っています。」

きっと子供たちにとっては生涯わすれることが出来ない思い出になったことだろう。
ドジャースの佐々木朗希を見直した。

2025年12月8日月曜日

宙に舞う30万枚のおみくじ

12月もすでにⅠ/3が過ぎた。去年から年賀状を出さないことにしたので随分楽になった。    昨日は、気多大社で初詣用のおみくじをかき交ぜる恒例行事「みくじ合わせ」が行われ、巫女役の地元中学生11人が参詣者の幸運を祈って約30万枚のおみくじを宙に舞わせたという。中学生はおはらいを受けた後、両手いっぱいに抱えたおみくじを、天井に向けて何度も高く放り上げた。

宙を舞うおみくじ30万枚

巫女役を務めた松田奈子さん(14)は「くじを引いた人が幸せな一年を過ごせるよう願いを込めた」と話した。
くじは50種類あり、新年の吉凶を占う鵜祭(うまつり)の主役ウミウ「鵜様」があしらわれている。気多大社には例年、正月三が日で約20万人が訪れる。

昨日は我が家でも中庭の掃除をした。手水鉢周りは落ち葉の山、手水鉢の後ろに立つ竹の葉を全部切り落とした。小さな灯篭周りには落ち葉がぎっしり落ちていたのでこれを始末。
中庭の外も落ち葉がぎっしりだったので、袋に詰め込んだ。今日は雨模様だから外回りの仕事は休もう。

2025年12月7日日曜日

これで何度目?日本にいやがらせ 

 台湾有事の際の我が国の動き方発言で、中国がしつこく嫌がらせを続けている。今朝の記事によれば、中国空母「遼寧」発艦のJ15戦闘機、空自F15戦闘機にレーダー照射2回…日本政府が中国側に抗議とでかでかと掲載された。6日午後に沖縄本島南東の公海上空で、中国海軍の空母「遼寧」から発艦したJ15戦闘機が、航空自衛隊のF15戦闘機に2回にわたってレーダー照射を行ったという。中国は日本旅行をみあわせるよう国民に通知しているほか、いやがらせをしぶとく続けている。

自衛隊機2機にレーダーを照射!

まかりまちがえば、実弾の交戦状態になっていただろう。そういえば、韓国戦闘機からもこんなことがあった。中国からのしかけでも我が国は冷静沈着に対処したようだ。
中国は国内問題から国民の目をそらせるため、我が国に数々のいやがらせを実行し、国民の目を国内問題山積状態からそらせようと必死なのだ。

二十数年前に北京に行ったのだが、市内を歩いていると若い男性が日本語を教えてほしいと懇願された。しばらくすると、また別の若い衆が同じことを言って懇願された。
そんな時代もあったのだが、今では中国に旅行したいとは微塵も思わない。
以前のトラブルはしばらくして、まるでなかったかのような状態になった。

今度は少し長くなるかも・・・という予感がする。

2025年12月6日土曜日

1回きりだった我が家の田の神様

自分がまだ小学生だった頃、親父が1度だけ「田の神様」の儀式を行った。12月5日だったのだろうと推測するのだが、よく晴れた昼過ぎに、田の風景が広がる後ろの出入り口から田の神様を向かえる儀式が始まった。

あらかじめ聞いていた話では、田の神様は目が不自由であること。裏戸を開けて「ここからお入りください。あぶのうございます、お気をつけてください」と案内していた。神様だから当然姿は見えない。そして風呂場に案内した。風呂場の案内も丁寧に行われていた。しばらくして座敷に案内した。そして、収穫したコメを床の間において座敷には御馳走が並んでいた。子供ながらに緊張しながら親父の行動に注目していた。

最近の田の神様の神事

5反百姓なのにどうして伝統行事をしたのか理由はわからない。しかし、この行事は1年限りだったように思う。

親父の目的は子供全員に能登の行事を覚えさせたかったのだろうと推測している。
食事の接待が終わってしばらくして神様のお下がりのご馳走を食べた。この記憶は七拾数年経た今でも鮮明に覚えている。親父に感謝である。

2025年12月5日金曜日

詐欺被害者が若返った

新聞によると、「金沢の40代、3100万円被害 SNS投資詐欺、外国人名乗る」という記事があった。つい2、3週間前後になると思うが、確か50代前後の金沢在住の男性が2000万円前後の詐欺にあったことを記したことがあった。気の毒に思うが、40代にして3千万もの金を自由にできる身分が羨ましい限りだ。身近な場所にそんな人がおられることが驚きだ。
金銭的に余裕のある人が意外とたくさんおられる金沢は想像以上にお金持ちが多いのだろう。

それって「詐欺」かも

金沢西署は4日、金沢市の40代男性が交流サイト(SNS)を使った投資詐欺の被害に遭い、時価約3100万円分の暗号資産をだまし取られたと発表した。
署によると、男性は6月30日、外国人男性を名乗る人物とSNSでやりとりを始めた。暗号資産での投資を勧められ、暗号資産を購入し、指定された投資サイトに10月2~23日の間、5回にわたって約3100万円分の暗号資産を送金した。

投資サイトでは利益が出ているように表示されたため、男性が出金しようとしたところ、高額な手数料を請求されて不審に思い、弁護士らに相談。11月28日に被害を届け出た。
これって、前例の被害者も利益金を引き出そうとして詐欺だと気づく全く同じパターンだ。

2,3千万円が自由に扱える皆さん、くれぐれも詐欺に注意してください。

2025年12月4日木曜日

見たことがない作品が・・・

昨日は久しぶりに県立美術館へ行った。駐車場は入口目の前に空いていた。こんなことは初めてだった。目的は「ひと、能登、アート」と銘打った展覧会。平日だとあってよく空いていた。

一度も見たことがない作品が多くあった


入場料金はいろいろあって、能登在住の人は無料、その他年齢等で割引があった。
この企画は、地震の被災地の方々を少しでも癒したい、励ましたいと願い、復興への祈りを込めて、東京所在の博物館施設が、所蔵する品々に想いを託した展覧会である。
「ひと、能登、アート。」は、11月15日〜12月21日まで石川県立美術館で、12月9日〜3月1日まで国立工芸館で、12月13日〜3月1日まで金沢21世紀美術館で、それぞれ、違う作品の展示で開催されるという。

展示されていたものは屏風絵が多かった。これまで見たことがない展示物が多くあった。

俳優の常盤貴子さんが11月30日、石川県立美術館で開催中の特別展「ひと、能登、アート。」のトークセッションに登場したという。さまざまな活動を通じて能登を全国に発信する常盤さんは「能登に良い風を吹かせられるよう、外にいるからこそできることを考えていきたい」と思いを寄せた。常盤さんは、NHK連続テレビ小説「まれ」の撮影をきっかけに出会った珠洲焼作家・篠原敬さんとともに登壇し、地震で崩れた窯の再建プロジェクトに取り組んでいることを紹介。「アートの力が人をどこでも連れていってくれるように、想像力で能登をそばに感じてほしい」と話した。

滅多に見ることができない作品の数々、関心のある方、是非この機会に鑑賞されては如何でしょうか。

2025年12月3日水曜日

まだ雪は降っていないが・・・

今日から雪という予報でタイヤ交換の予約申し込みが殺到しているという。
こんなタイトルの記事があった。
「3日夜から平地でも積雪のおそれ 金沢でタイヤ交換殺到「16日まで予約埋まる」店も」
何と1日20台のタイヤ交換の店では「16日まで予約埋まっている」というではないか。



金沢市内の自動車整備工場では、例年より2週間ほど早い先月半ば頃から冬用のスタッドレスタイヤへの交換依頼が相次いでいるという。

お陰様で我が家の車は1週間ほど前に予約したところ、昨日が空いている日だったので昨日スタンドへ持ち込んで交換してもらった。一昨年までは自分で交換していたのだが、去年からスタンドで交換してもらうことにした。
それには深いわけがある。
一昨年の12月初旬、いつものようにタイヤ交換をして、所用で松任まで出かけた。帰り道の途中、右前輪から異音。停車して調べたところ、ナットの締め忘れが見つかった。
自分ではしっかり確認したつもりだったのだが、締め忘れたのだった。
そうしたことから、昨年からプロに依頼することにした。
これ以上の安心はない。

2025年12月2日火曜日

今日は医科大定期受診日とタイヤ交換予約日

今日は6か月検診だったので、医科大へ早めに出発した。8時20分過ぎに到着して受付票を取り出して受付終了。今日は半年ごとの検診と皮膚科の受診日だった。
3本の採血、採尿を終え、CT室へ。15分ほど待ち合わせでCT検査だった。これを終えて泌尿器科受付をして待合室で順番待ち。30分ほど待って別室の診察台で受診。5分くらいで終了。また少し待って主治医の受診室で検査データを見ながら説明が行われた。

ダビンチというロボットで7年前腎臓がん手術
すべて異常はないと説明があった。次回診察は6か月後となった。ここを終えて次の皮膚科受付へ。30分ほど待って受診したが、いつもの薬を指定され医科大の後、薬局で薬を受け取った。そして午後、1週間ほど前にタイヤ交換の予約をしていた日が到来したのでスタンドへ行ってきた。天気予報によれば、明日の金沢は雪。この時期だからまだ大して降らないと思うが、先ほど交換して帰ってきた。マフラーの一部がさびているがどうしましょうかと問われ
たので、プロの判断で取り換えした方がいいのなら交換してと。               で、+8,800円が加算された。

帰ってきて積んでいたタイヤを下ろして、格納場所に運んだ。保管する場合は積み上げは良くないといわれているのだが、いつも4本積み上げて上に板を敷いて上に色んなものを置いている。
さて、話題は急転するが、
金沢では20代の男性が特殊詐欺の被害にあったという。いつものパターンの特殊詐欺だが、簡単に2000万前後の金を動かせる身分が羨ましい。意外と自由になる大金を持っている人が多いことに感心するばかりである。

2025年12月1日月曜日

海環散歩

 昨日は抜けるような青空、ジッと家にこもっている場合ではないのでウオーキングに出かけた。いつものルートを変えて家に最も近い交差点の横断歩道を歩き始めた。すぐ近くに小さな無人小屋でレンコン販売しているところに差し掛かった。1袋300円のレンコンが山積みされていた。市販の値段と比較すると、格安なのですぐ売り切れとなる。

この一帯はレンコン田が広がっている。昨日は好天なのであちこちのレンコン田で収穫作業をしている姿が目立った。

収穫を終えたレンコン田
しばらく歩くと不思議な柱がたてられていた。畑にこんな柱が何のために?と不思議に思った。
この柱は???
しばらく歩を進めると8号線の横断歩道をくぐり海側に出た。

8号線横断歩道
しばらく歩くと海環に出て海側に向かって歩を進めた。
爽快な気分で海に向かって突き進んだ
適当な場所でUターンした。

突き当りは8号線
かくして家に到着し、50分間のウオーキングを終えた。
とても爽快なウオーキングだった。