「残念ながら品川―名古屋間2027年の開業は、実現できないと考えているところでございます」
当初目指していたリニア中央新幹線の「2027年の開業」の断念することを発表。いつ開業するのか「未定」となってしまった。
リニア中央新幹線を巡っては、これまで静岡工区の掘削工事について「自然環境への影響が考えられる」などとして静岡県が着工を認めず、去年12月には、開業時期を「2027年以降」に変更。
その後も、着手の見込みが立たないことから、今回2027年の開業を断念することを決めたという。
昭和30年3月、宇出津港から初めて能登商船に乗って七尾港へ行った。これが能登商船との最初の出会いだったが、実家に帰るときに必ずこれを利用したわけではない。船はそんなに大きいものではなかった。客室は畳敷となっており、だいたい寝ころんでいる人が多かった。自分はほとんど2階の椅子席に座った。所要時間は約3時間ほどだった。
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就航していた「くれない丸」 |
この頃、宇出津港には杉の丸太がうず高く積まれており、木炭も山積みされていた。冬場は宇出津~穴水間の省営バスが不通の場合も利用していた。高校1年の時、夏休みに入ったので金沢から実家まで自転車で行くことにした。ところが、国道は砂利道で轍のへこみがそこら中連続しているため、思うように進まないので、七尾港から宇出津港まで能登商船に乗ることに変更した。宇出津から実家まで約10kmを自転車で行った。
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能登商船発着場(現在の食祭市場付近) |
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投打で大活躍した戸田投手 |
星稜の戸田が2安打無四球で完封した。ストライク先行でテンポ良くアウトを重ねた。打線は一回に萩原の適時打で1点を先取。二回は長短打4本を集めて3点を加えた。阿南光は先発の大坂が二回途中4失点。吉岡は好救援したが、打線が援護できなかった。
※ちょっといい話
●能登の思い託され、「被災地代表」原動力に被災地への思いを原動力に、石川県勢初の春4強入りを果たした。28日、阿南光を破り、準決勝進出を決めた星稜。試合前、主将・芦硲(あしさこ)晃太選手のもとには1回戦で敗れた航空石川主将・寳田(ほうだ)一慧(いっけい)選手からメッセージが届いていた。「絶対に優勝してくれ」。思いを託されたナインは「石川は負けない」と奮起し、快勝で新たな歴史を刻んだ。
昨日も好天だったが風が強よかった。ウォーキングに出かけようとドアを開けると、家の前の鉢植えに目が止まった。姫こぶしの蕾が膨らんで少しだけはじけていた。
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青空と開花し始めた姫こぶし |
これより先に梅に続いてアンズが満開になった。しばらく南に歩くと公園にさしかかった。ここでは週末に町内の花見が開催される。
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満開はあと数日くらいか |
平成30年3月開催の町内花見 |
今日は朝から青空が晴れ渡った。12月から今月末までグラウンドゴルフは休止することになっていたが、3月に入って天候が良ければ開催することに変更されたが、昨日、クラス会から帰ってきて写真の整理をし、データを出席者の皆さんに送信するため、パソコンに保存したものの、送信メール欄に不都合が発生したため、とうとうグラウンドゴルフは欠席となってしまった。
それと、LINEを使っている者が一人いて、写真を送ってくれと要望があった。先ず、パソコンにカメラのカードからデータを取り込み、スマホにデータを貼り付ける作業を始めてみたものの、あれこれ試行錯誤しながらようやくLINEに取り込むことに成功した。早速添付し送信したら、すぐにお礼のLINEがあった、本当に便利なツールができたものである。
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これは便利だ |
幹事あてにPCメールしたが、送信用ファイルが表示されなくなりこれには往生した。試行錯誤を繰り返して、どうにかデータを送信することができたのは先ほどである。幹事によると、クラスメイトのアドレスが変わっている者もあるためお手上げだという。そんなに急ぐことでもないので、ゆっくりやろうということにした。
彼岸も過ぎて春だとはいえ、昨日は、日本列島が寒気に包まれた。金沢でも雪がちらほら舞っていたが、兼六園では1週間まえから雪吊りの撤去作業が始まっている。そんなニュースに触れると、あぁ、もうすぐ春だな・・・という気持ちになる。
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重そうだ |
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昨日で作業終了 |
町内の「おたすけ隊」が広域のおたすけ隊になって8年目になるが、先だって北國朝刊に大きく記事が掲載された。隊長の中山さんは町会長歴7年のベテランだが、現在も1月から副会長として活躍されている。
その記事をコピーしA4印画紙にプリントして本人にお渡しするために手元にあるが、天候が回復次第お渡ししようと思っている。
この記事で隊長と副隊長のかけあいが面白く紹介されているが、この二人はどこへ行っても掛け合い漫才的にやりあっている仲間である。
そして昨日の夕刊に再び中山さんの記事が掲載された。
中山さんと一緒に校下町連発足50周年記念誌を編纂する作業をしたことがあるが、校下内の一般企業の調査を依頼した際に400社を2,3日で訪問された。これには驚いたのだが、町会長をやられている際には、盆踊り大会の寄付金募集を一人で200か所を回られたという。そのパワーに驚くばかりである。
おたすけ隊は校下内を活動範囲としているが、隊員は殆ど吾が町内の住民である。正に根性よしの住民たちである。
昨日の午後、国道8号線からやたらと消防者のサイレン音が鳴っていた。どこが火事なのかは見当がつかなかった。が、今朝の新聞で、隣町の福久だということが分かった。そして今朝、通院している外科クリニックへ向かう途中、金沢イオンの裏手付近に写真に掲載されていた家がチラッと見えた。なんでも、87歳の女性が一人暮らしをしていたようだ。
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消火作業中の住宅 |
18日午後0時半ごろ、金沢市福久町の大﨑静子さん(87)方から出火、木造平屋建ての天井や壁などを燃やし、約1時間後に消し止めた。焼け跡から1人の遺体が見つかり、金沢東署は連絡が取れていない大﨑さんの可能性があるとみて身元の確認を急ぐ。
署と市消防局によると、大﨑さんは1人暮らし。隣家の外壁に延焼しており、署などは19日に実況見分して出火原因を調べる。119番通報した付近の70代男性は「煙が見え、家の中から火が出ていた。呼び掛けたが誰の返事もなかった」と話した。今朝8時半過ぎに外科医に向かった。実は一昨日の深夜に、トイレに行こうと起き上がろうとしたときに事件が起きた。足が滑って転倒し、後頭部を何かにぶつけてしまった。夜明けを待って外科医に行った。後頭部を打ち付けた際に浅い穴が開き、出血もしていたが間もなくして止まり、かつ痛みもなかった。
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早く治してウオーキングしたい |
土、日を過ごし今朝また診てもらった。ガーゼを取って手当の後に再びガーゼを当てて「明日また来なさい」と指示を受けた。これくらいの傷でちょっと大げさ・・・と思うのだが、そうではないようだ。いつものパターンと違うことは、診察後に薬局で藥を貰う必要がなかったこと。
それにしても最近は医者通いが増えた。今週中に再び医科大へ薬を貰いに行かねばならない。いっこうに全身の痒みがなくならない。白内障の手術も1か月後に両眼とも受けなければならない。ま、それなりの「年」になっているので「シャーナイ」か。
能登半島地震の各都道府県の応援派遣職員が県内各市町村の復旧業務に当たっているが、旅館やホテルが全壊となっているため、宿泊用の施設を能登空港に設置するという。これは素晴らしいアイディアだと思われる。
広い駐車場もあり、遠方の職員には羽田まで直通の交通手段も利用できるので好条件である。
能登空港で、復旧作業にあたる人たちの宿泊場所を確保しようと県が、宿泊施設の建設を進めている。 能登半島では多くのホテルや旅館が被災し、復旧や復興を支援する全国の自治体職員らの宿泊場所が不足している。今回、設けられる仮設の宿泊施設は、プレハブとコンテナの2つのタイプで、合わせて16棟に134人が宿泊できるようになるという。
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敷地は有り余るほど十分だ |
平成15年5月 孫を連れて能登空港の見学に行った思い出の場所である |
各市町職員は多忙を極めており、応援職員におんぶにだっこの状態である。応援の職員の皆さんに職務の疲労回復を少しでも早く快適に過ごしていただく場所として、早期完成を願うばかりだ。
泣いても笑っても昨日限りの、サンダーバードとしらさぎの写真を撮影しに、金沢駅に行ってきた。森本駅から金沢駅まで電車で往復した。今日からはJRの駅員がいなくなるという話だったが、実際はどうなのか確認していない。
さて、話を本題に戻そう。昨日はホームで写真を撮る人が非常に多かった。この案内板もこの日を以て大幅変更となる。
いつも見慣れた改札口 今日から表示板が大幅に変更された |
平日なのにコンコースでは人の波 |
米原行きしらさぎ号間もなく発車 |
ホームは写真マニアの群れ |
続いてサンダーバード入線 |
やがて発車していった |
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新幹線開通で関西方面の客には不便になった例だろう |
明日から金沢・敦賀間の新幹線開通に伴い、金沢発着のサンダーバードやしらさぎが本日をもって廃止となる。そんなことから、ラストランの記録写真を残そうと思い立ち、午後からカメラを下げて金沢駅に行くことにした。先日発売されたサンダーバードとしらさぎの特急券はあっという間に完売となった。
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本日の特急券を手にしたマニア |
大相撲3日目の昨日、郷土出身の4力士全員が勝ち名乗りを受けた。久しぶりにスカッとした。
遠藤は最近不調が続いたため、とうとう幕尻まで落ち込んでいる。初日から2連敗だったが、昨日ようやく勝ち星となった。しかし、かつての遠藤の姿とは程遠い。もう一度前頭筆頭くらいまで勝ち星を重ねて欲しい。
一方の大の里は随分上位に昇進したが、抜群の強さは衰えることがない。髷が結える髪がまだ伸びない大出世のスピードである。今日もきっと抜群の強さを発揮してくれることだろう。
輝は十両に陥落して3場所。土俵際の粘りが殆ど見られなくなったのが残念。しかし昨日は往時の輝だった。
十両もう一人の欧勝海も勝ち名乗り。昨日の晩飯が旨かった。これからも応援しているから頑張って欲しいものだ。
スマホを長年(5年間)使用していたが、ドコモから機種変更を勧められ、昨日は津幡まで出向いた。長年直ぐ近くのイオン金沢店を利用していたが、どういう都合なのかよくわからないが、津幡店で取り扱うことになったと連絡がきた。現在の機種のメンテ期間が終了するのだという。そういえば直ぐ電池残量が無くなり充電回数が増えていた。
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2月末を以て閉店になった金沢イオンにあった店舗 |
17年前(平成19年)になるが、あと1年勤めてもらえませんかと打診されたが、パソコンを睨む業務は目の疲労が激しくなり64歳で退職した。今では70歳を超える勤続者はめずらしくないが、当時は60歳定年が一般的だった。職場で記念の花束をもらったので、バスや電車の中で持っているのは面はゆい思いをした。
現役最後の日 孫たちが出迎えてくれた |
家に着くと二人の孫が迎えてくれた。上が6歳、下が3歳だった。その孫たちも今では大4と大1だが間もなく院1と大2になる。
退職してからは町会長を数年、公民館長を3年勤めた。何もしなくなってやがて9年になろうとしている。就職したのは昭和36年だったが、その頃の退職前の人は55歳前だというのにかなりの高齢者に見えた。
今年からグラウンドゴルフ同好会では3月からプレーすることにしたが、今週は雨でなしだった。来週は晴れることを祈ろう。
2年前までは柳田の実家へ年2回ほど、家の玄関口と裏の庭の除草やⅠ,2階の掃除に行っていた。ところがコロナ過で部外者の往来が禁止された年が1回だけあって、翌年に行ったところ、水道栓がすべて破損していたり、トイレの天井塗装が落ちていたり、家の損傷がやたら目立つようになった。そんな時、在所の区長から電話があって、今後の家の保持についてどうするのかヒヤリングを受けた。空き家が崩れてけが人が出たりしているので持ち主の意向を聞いているのだという。そして能登町に空き家情報があるので、そちらに登録されては・・・という話を聞いて登録することにした。
階段まわり |
そんなことで登録して2カ月過ぎた頃、能登町の空き家情報の関係者から家を見たい人があるということで立ち合いして売却が決まった。そんなことで柳田へ往復することが何回かあったのだが、昼は天坂の8番らーめんを何回か食べに行った。その店が震災後ようやくオープンしたというニュースに接した。
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8番らーめん柳田店7日オープン |
能登半島地震の発生から休業していた「8番らーめん」能登柳田店が7日、営業を再開した。訪れた被災者らは、この日に限り1杯100円で提供されたラーメンを笑顔ですすっていた。店の前には午前11時の営業前から行列ができ、開店時間を30分早めた。メニューは塩、しょうゆ、みそ味の「野菜らーめん」のみ。午後3時頃には約300杯が完売した。能登町在住の70代の夫婦は「ソウルフードで、久しぶりに心も体も温まった」と笑みを浮かべた。
いつかまた、この店で食べたい。