金沢を走っていた市内電車の写真を検索していたら、白銀町と尻垂坂の2枚があったので、カラー化してみた。大正8年といえば、母親の生まれた年なので、存命していれば103才ということになる。1枚目は白銀町から安江町方向を写した写真。
電車の試運転でもしているのか、家の前で見物している姿がある |
当然なのだろうが、車が1台も走っていない。安江町方向に電車が遠ざかっていくようだ。白い制服姿の警察官が数人、何かを警戒しているのだろうか。不思議なのが道路の広さが現在と同等であること。江戸時代からこのような広い幅員だったのだろうか。
もう1枚は兼六園下から小立野へ登る尻垂坂(シッタレサカ)である。道路突き当たりは旧国立病院。遠くに市電の姿を認めることが出来る。カラー化といっても兼六園の緑だけが対象のような写真になった。この写真でもトラック、バス、マイカーは一切いない。この道路幅員も現代と同等の広さとなっている。味噌蔵や石引通りはそれほど広くはない。どうしてこの広さになったのか理由が知りたい。100年前の金沢、大したものだ。
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