2019年9月18日水曜日

ホテルオークラ東京に宿泊した記憶

S36年からH10年までの37年間は国鉄及び国鉄清算事業団に勤務したのだが、その間、数えきれないほど東京に出張した。主な行き先は東京駅北口の横断歩道を渡ってすぐの今はもうない本社だった。その際の宿泊は共済組合が運営する上野と芝に「弥生会館」という職員及び家族の専用施設があった。そこが満員の場合は、職員宿泊所が高輪・代々木上原など数か所、そのほか組合系列の田端宿泊所があった。弥生会館はホテル形式で料金もリーズナブルで快適だった。

劣悪だったのが田端宿泊所だった。物置のような粗末な部屋で夕食と朝食付きで4千円くらいだった。
その後、県関係機関に転職してからはJR乗車券か航空券とホテル宿泊がセットになったチケットで品川プリンスホテルを何度か利用した。セット価格はなんでこんなに安いのだろうと心配するほど安い。

さて、このほど新築中だったホテルオークラ東京がオープンしたという。実は旧館が取り壊しされる直前に女房・孫二人の4人でこのホテルを利用した。というのも、スカイツリーが完成して間もない頃だったので、旅行社が企画したツアーに参加したその宿泊先がたまたまホテルオークラ東京だった。

ホテルオークラ東京 旧館
洗面や風呂がデラックスだった

外の景色は六本木の高層ビルも見える
新館ロビーもこの旧館ロビーを再現しているという
新築完成したホテル

客室数全380室。宴会場14、レストラン5、バー2、その他フィットネスクラブ、ビジネスセンター、チャペル、美容室、写真室等を備えている。
帝国ホテル東京、ホテルニューオータニとともに、ホテルの「御三家」と称される。

「ホテルオークラ東京」にとって、2015年は特別な年になった。前回の東京五輪の2年前、1962年に開業した本館の営業を8月末に終了。約1000億円を投じ、建て替えに着手した。

■米紙も報道
「各地で嘆き悲しむ声」、「一時代の終えん」――。米ニューヨーク・タイムズは、「さよならオークラ」と題する記事を掲載した。それほど惜しまれるのは、「1万8000坪の芸術」と呼ばれるほど、日本の伝統美が凝縮された建物だった。

米オバマ大統領、サッチャー英元首相、ジョン・レノン――。ホテルは世界各国の名だたるVIPを受け入れてきた歴史を持つ。政財界の御用達で、パーティーや記者会見もよく開かれる。国会に近いことから、政局の舞台になったこともある。

創業者の大倉喜七郎は「建築やインテリアに日本美術の粋を集め、日本ならではの国際的なホテルを作る」という構想を掲げた。建設には当時の日本を代表する工芸家や建築家らが参加、「同じ建物は2度とできないだろう」との評もある。

そんな建物を建て替える。背中を押したのは、やはり20年東京五輪の開催決定だ。「最高の施設に刷新し、洗練されたおもてなしを堪能できる空間をつくるのが使命」。ホテルオークラの荻田敏宏社長は強調する。


当時6年と3年だった孫
スカイツリーも楽しんだ
お台場のレストラン街で
その孫は高3と中3で二人とも受験生になった。もう一緒に旅行は無理だろうなぁ。



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