2024年4月8日月曜日

圧巻的眺望は犀星の道沿いの桜並木

今日あたりは八分咲きの桜だが、去年より一週間は遅い。去年は二,三日後には京都に行ってしまう孫と一緒に、合格お礼参りを兼ねて兼六園の桜を堪能した。公園そばの駐車場が改築してオープンとなったばかりだったが、その屋上から初めて花見をした。

兼六園と金沢神社をあとにして、もう一か所の桜を見に行くことにした。そこは犀川大橋から桜橋沿いの道(犀星の道と呼ぶらしい)の老木の桜並木がお気に入りの場所。かつて、ここは9年間勤務した職場への通勤路なのである。

見事な老木に咲く花

ゴザを敷いて家族と一緒に花見の会はいいだろうなぁ・・・

今日午後から兼六園の桜を見に行きたいなぁ・・・と思っているが。

2024年4月7日日曜日

復興に希望の光

復興の象徴のように昨日、のと鉄道が全通した。これを機に復興の進行がますます加速されることを祈りたい。 
「のと鉄道」は昨日(6日)、能登中島―穴水間が復旧し、全線で運行を再開し、穴水駅で記念の出発式が開かれた。約3カ月ぶりに出発する七尾行きの一番列車を、地元住民や関係者らが送り出し、復興への期待を込めた。 

所作100点満点の1日駅長はかっこ良かった!

出発式には、のと鉄道会長を務める馳浩知事や中田哲也社長ら社員、沿線自治体の首長、線路を保有するJR西日本の工事関係者らが出席。馳知事は「子どもたちの入学式、始業式に間に合うようにと思っていた。復旧復興の第一歩だと思っている」とあいさつ。中田社長は時折言葉を詰まらせながら「地域に大きな意味を持つ再開。私たちの絆、強さ、未来への希望の象徴となる」と力を込めた。


のと「さくら駅」到着

「のと鉄道」が全線で復旧し、桜の名所で知られる能登鹿島駅に到着した列車=6日午前、石川県穴水町
「のと鉄道」が全線で復旧し、桜の名所で知られる能登鹿島駅に到着した列車=6日午前、石川県穴水町

満開には2.3日早いが全線開通を祝うように競って咲いているようだ。
 

2024年4月6日土曜日

堤防沿いの桜並木と水に浮かぶカモ

昨日は気温が低かったが晴れた日だったので外にでかけた。8号線を横断しイオンの裏手の細い道を歩いた。先日火事のあった家の前を通り、しばらく歩くと牛殺川の始点に出る。
堤防沿いの桜並木も五分咲き。それに沿って気持ち良く歩いた。

独り占めの散歩道

川面にはカモが数匹ぷかぷかと気持ちよさそうに浮いていた。

ちょっと「どこにいるんだ?」という感じだが

あの橋を渡って帰路についた

一緒に遊んだブランコ

一緒に遊んだ孫たちはもう高2と中2になった。指折り数えてみると、あれから8年も過ぎているではないか。内孫は昨日、名大大学院の入学式だった。今では便利なことにネットで実況中継が見れる。二千数百人もの中で、孫の顔を確認することができた。便利な世の中になったものである。大2の孫は今日から授業が始まるという。
便利な世の中になったが、孫は中々帰ってこなくなったのが難点。しゃーないか。

2024年4月5日金曜日

久しぶりの晴れ間

ここ数日、空模様が不安定だったが、昨日は薄日が差す晴れ間があった。しばらく出来なかったウオーキングに出かけることができた。
途中、南小公園の桜がどうなっているのか気がかりだったので、公園に立ち寄った。すると、もう5分咲きの状態。

5分咲きくらいか

この公園の桜だが、枝が歩道に伸びて危ないということで、毎年切られていたが、今の状態を改めてみてみると、歩道に伸びる枝どころか、てっぺんまで切られて木が小さくされたように見える。それでも満開になれば十分楽しめるだろう。

踏切で列車通過を待ったが、この時は金沢駅方向からの列車だったので、待ち時間はほんの僅か。森本駅方向からの列車の場合は5分以上も遮断機は上がらない。なにせ、津幡方面からの列車は森本駅到着前から遮断機が下り、客扱い終了後出発して踏切通過まで相当の時間がかかる。

新幹線が敦賀まで開通してから、森本駅の駅員がいなくなってしまった。金沢駅まで出かけなければ切符は買えない。

無人化された森本駅

東金沢駅でも同様だと思うが、駅員がいないと何かと不便。新幹線延伸が我々にとっては不便をもたらせた。はがゆいなぁ。

2024年4月4日木曜日

花蓮の地震

花蓮市付近を震源とするM7,7の地震が発生した。能登半島地震で多額の義援金を日本に贈った台湾。この花蓮市のホテルに平成8年頃宿泊したことがある。ホテルの前にあるお土産屋を覗いたら、店主が店の奥に日本語が話せるおばあちゃんがいるから、と言われて奥に行ったら流暢な日本語でいろいろ会話することができた。若い頃は学校の先生をされていたという。当然その頃の台湾はすべて日本語だった。

そんなことがあった花蓮市がM7,7の地震で大被害を受けた。

台北やその他にも被害が出ているという

花蓮市で宿泊したホテルの前の景色。

 
このホテルも傾いたことだろう。
花蓮市の10kmほど北側から山あいにかけて、全山大理石のタロコ峡谷という観光地がある。この観光地にも被害が発生して通行止めだろうと推測している。

当時の花蓮駅
1日も早い復興を祈りたい。


2024年4月3日水曜日

千枚田で僅か6%の田起こし開始

昨日投稿した千枚田復興関連のニュースで、昨日(2日)、僅か60枚だが、田起こし作業が始まったという。復興がなかなか進まない中で、避難者の皆さんにも元気が湧くニュースである。


地震で大きな被害を受けた、観光名所「白米千枚田」では、5月中旬の田植えを目指し、被害が少なかった一部の田んぼで田起こしが行われた。
「白米千枚田」は、日本海をのぞむ斜面におよそ1000枚の田んぼが階段状に並び、国の名勝にも指定されている。
米作りを管理する団体などが、田んぼのオーナーを募って景観を守ってきたが、今回の地震で地面に亀裂が生じたり、用水路が損傷したりするなど大きな被害が確認され、復旧作業が進められている。

復興に先駆けの頼もしい田起こし作業

2日は、このうち被害が少なかったおよそ60枚の田んぼで、5月中旬の田植えを目指して田起こしが行われ、輪島市外に避難している地元の住民も参加して、冬の間に乾いて固くなった土を耕うん機を使って掘り起こしていた。

道の駅に寝泊まりしている出口さんも作業に加わった

米作りを管理する「白米千枚田愛耕会」の白尾友一代表は「ひび割れや地滑りなど言葉にならないくらい被害はひどい状況ですが、生まれ育った場所で田んぼの作業ができるのはやっぱりいいものです。1枚1枚丁寧に、元気な田んぼに戻していきたいです」と話していた。
団体では、白米千枚田の復旧に向け、4月5日までクラウドファンディングで支援を呼びかけているという。

2024年4月2日火曜日

道の駅に寝泊まりして千枚田復旧を決意した人

道の駅に寝泊まりしながら、地震被害を受けた千枚田の復旧作業をする人がいることを知った。道の駅の一角に段ボールで作ったベッドで寝泊まりするのだという。

千枚田の横にある道の駅
ここで段ボールベッドを作り寝泊まりしながら復旧作業

地震で妻と息子を亡くした70代の男性は、避難先の金沢から3月末に地元の輪島市に戻り、地震で大きな被害を受けた観光名所「白米千枚田」の復旧作業を進めていきたいという。
男性は「亡くなった妻と息子のためにも家族にとって大切な場所だった千枚田を必ず復活させたい」という。

千枚田復旧作業をしている出口さん

輪島市の出口彌祐さん(77)は、地震による土砂崩れで自宅が押しつぶされ、妻の正子さん(74)と長男の博文さん(49)が亡くなった。
地震のあと、出口さんは金沢市内に避難していたが、3月末に輪島市内に新たにアパートを借りて、戻ってきた。

出口さんは、日本海をのぞむ斜面におよそ1000枚の田んぼが階段状に並び、国の名勝に指定されている「白米千枚田」の米作りを管理する団体のメンバーの1人で、定年退職後10年以上にわたって、妻の正子さんとともに千枚田の景観を守る活動に取り組むとともに、近くの道の駅でレストランや売店の運営に携わってきた。
千枚田は、今回の地震で地面に亀裂が生じたり用水路が損傷したりするなど大きな被害が確認されている。


出口さんは「私たち家族にとって千枚田は生きがいで、妻と息子が見てくれていると思うと元気も出ます。桜の花も咲き、春は田植えに向けてやらなければいけないことがたくさんあります。必ず復活させて、千枚田のすばらしい景色をまたみなさんに見ていただきたいです。妻と息子の思いも背負って頑張ろうと思います」と話している。

家が全壊し途方に暮れる人が多い中、奥さんと息子さんの思いを果たそうと頑張っておられる姿を見ると、毎日ノホホンと過ごしている自分が恥ずかしく思う。