2024年3月13日水曜日

郷土出身力士4人全員勝ち名乗り!

大相撲3日目の昨日、郷土出身の4力士全員が勝ち名乗りを受けた。久しぶりにスカッとした。
遠藤は最近不調が続いたため、とうとう幕尻まで落ち込んでいる。初日から2連敗だったが、昨日ようやく勝ち星となった。しかし、かつての遠藤の姿とは程遠い。もう一度前頭筆頭くらいまで勝ち星を重ねて欲しい。

一方の大の里は随分上位に昇進したが、抜群の強さは衰えることがない。髷が結える髪がまだ伸びない大出世のスピードである。今日もきっと抜群の強さを発揮してくれることだろう。

輝は十両に陥落して3場所。土俵際の粘りが殆ど見られなくなったのが残念。しかし昨日は往時の輝だった。

十両もう一人の欧勝海も勝ち名乗り。昨日の晩飯が旨かった。これからも応援しているから頑張って欲しいものだ。

2024年3月12日火曜日

スマホ機種変更はややこしい

スマホを長年(5年間)使用していたが、ドコモから機種変更を勧められ、昨日は津幡まで出向いた。長年直ぐ近くのイオン金沢店を利用していたが、どういう都合なのかよくわからないが、津幡店で取り扱うことになったと連絡がきた。現在の機種のメンテ期間が終了するのだという。そういえば直ぐ電池残量が無くなり充電回数が増えていた。

2月末を以て閉店になった金沢イオンにあった店舗

津幡店に入ってすぐ機種選定をした。機能的に同じものにすることを基本に選定したが、機種は極めて少ないのですぐに決まった。それからが事務的手続きになるのだが、これが実に長くなる。あれやこれやで2時間余、紙バックにどっさりと書類が入れられた。
本当は妻のスマホも同時に買い替えするつもりだったが、シーズン的に在庫がないのだという。入荷までまたざるを得ない。

女性の店員が対応してくれたが、丁寧にわかりやすく説明してもらった。だが、受信料が若干安くなるというWI-FI受信機の購入を勧められたが、ケーブルTVにどうなっているのか聞いてみないと分からないので後日に判断すると伝えた。
かくして機種変更が終わった。やれやれだ。

2024年3月11日月曜日

金大合格発表の思い出

9日、金大入試の合格発表があった。そんな記事を見て、もう三十数年前となるが、娘の合格発表を城内キャンパスまで、娘をマイカーに乗せて見に行ったことを思い出した。
娘としては東京のある女子大を本命としていた。なので受験の際は東京まで同伴したが、幸か不幸か「不合格」だった。
原因は富士山にある。列車から富士山が見えると不合格というジンクスがあるという。それが実にくっきりと見えたのだ。すぐ指を折るとジンクスは消えるともいう。
そして、もう後がない金大の合格発表だった。

金大場内キャンパス

このころ城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったという。
歴史を辿ると、昭和24年(1949)に金沢大学の丸の内キャンパスとなり、「お城の大学」として親しまれていた。その後金沢大学は、丸の内のほか、小立野地区に点在してい学部等と併せて角間地区に総合移転することが決定し、平成元年(1989)の法学部・経済学部・文学部の移転を皮切りに、1995年には「お城のキャンパス」は完全に姿を消した。

さて、本題に戻ろう。恐る々々掲示板を覗き込んだ。すると娘の番号が目に入った。幸か不幸か合格したのだ。
それから時は流れて、受験した本人は教員として多忙な毎日を送っている。

2024年3月10日日曜日

「特急しらさぎ号」廃止カウントダウン

あと5日で特急しらさぎが金沢まで来なくなる。このしらさぎは独身時代を含めて実によく利用したものだった。それだけに、思い入れも深いものがある。
この列車が誕生したのは昭和39年12月。このころ21歳独身時代だった。当時、中央本線名古屋・塩尻間の複線化が鋭意進められており、長野県境に近い中津川でこの業務に加わっていた。
特急列車ができたので、この年の正月休みにわくわくしながら名古屋駅から金沢駅まで乗車した。準急こがねよりも乗り心地もよく、ぐんと早くなった。

初期の特急しらさぎ号

その数年後だったが、このしらさぎで大失敗をしてしまった。岐阜駅から乗車し、米原駅で進行方向が変わった。金沢駅で下車して七尾線に乗り換え宇出津まで。そしてバスで30分ゆられて家に着いた。正月になり写真を撮ろうとしてカメラがないことに気づいた。原因はしらさぎにあった。米原駅で進行方向が変わった際に、吊り具にカメラを下げていたのを忘れていたためだった。
あわてて宇出津駅に行って駅員に事情を話して見つけて欲しいとお願いした。翌日、宇出津駅に到着したから受け取りに来いと連絡があり一件落着した思い出が蘇った。
そのしらさぎ号は数日後に廃止される。なんだか寂しい思いがする。

2024年3月9日土曜日

現役最後の日

17年前(平成19年)になるが、あと1年勤めてもらえませんかと打診されたが、パソコンを睨む業務は目の疲労が激しくなり64歳で退職した。今では70歳を超える勤続者はめずらしくないが、当時は60歳定年が一般的だった。職場で記念の花束をもらったので、バスや電車の中で持っているのは面はゆい思いをした。

現役最後の日
孫たちが出迎えてくれた

家に着くと二人の孫が迎えてくれた。上が6歳、下が3歳だった。その孫たちも今では大4と大1だが間もなく院1と大2になる。

退職してからは町会長を数年、公民館長を3年勤めた。何もしなくなってやがて9年になろうとしている。就職したのは昭和36年だったが、その頃の退職前の人は55歳前だというのにかなりの高齢者に見えた。

今年からグラウンドゴルフ同好会では3月からプレーすることにしたが、今週は雨でなしだった。来週は晴れることを祈ろう。

2024年3月8日金曜日

柳田の8番らーめん昨日から再開

2年前までは柳田の実家へ年2回ほど、家の玄関口と裏の庭の除草やⅠ,2階の掃除に行っていた。ところがコロナ過で部外者の往来が禁止された年が1回だけあって、翌年に行ったところ、水道栓がすべて破損していたり、トイレの天井塗装が落ちていたり、家の損傷がやたら目立つようになった。そんな時、在所の区長から電話があって、今後の家の保持についてどうするのかヒヤリングを受けた。空き家が崩れてけが人が出たりしているので持ち主の意向を聞いているのだという。そして能登町に空き家情報があるので、そちらに登録されては・・・という話を聞いて登録することにした。

階段まわり

そんなことで登録して2カ月過ぎた頃、能登町の空き家情報の関係者から家を見たい人があるということで立ち合いして売却が決まった。そんなことで柳田へ往復することが何回かあったのだが、昼は天坂の8番らーめんを何回か食べに行った。その店が震災後ようやくオープンしたというニュースに接した。 

8番らーめん柳田店7日オープン

能登半島地震の発生から休業していた「8番らーめん」能登柳田店が7日、営業を再開した。訪れた被災者らは、この日に限り1杯100円で提供されたラーメンを笑顔ですすっていた。店の前には午前11時の営業前から行列ができ、開店時間を30分早めた。メニューは塩、しょうゆ、みそ味の「野菜らーめん」のみ。午後3時頃には約300杯が完売した。能登町在住の70代の夫婦は「ソウルフードで、久しぶりに心も体も温まった」と笑みを浮かべた。

いつかまた、この店で食べたい。

2024年3月7日木曜日

昨日投稿の心配事が発生、輪島で窃盗犯人グループ逮捕

倒壊した家屋へ盗人が入るのを心配していたが、輪島の倒壊家屋に窃盗グループが入り、逮捕されたというニュースがあった。
地震で被災した輪島市の住宅に侵入し、高級な酒や指輪などを盗んだとして、名古屋市などに住む少年少女4人のグループが摘発された。

二十歳前後の国際的犯人グループ

このグループは余罪がまだまだあるようだ。この連中は車で移動していると推定できるので、見慣れない車を見たら要注意である。


箱に入ったウイスキ-に…指輪などのアクセサリー…これは能登半島地震で被災した輪島市の住宅から盗まれた品々。
愛知県警は6日、窃盗などの疑いで名古屋市に住む19歳の無職の男らいずれも10代の男女3人を逮捕した。
3人は17歳の少年と4人で地震発生4日後の1月5日、輪島市で被災した住宅2軒に侵入しウイスキーや指輪などあわせて6万5000円相当を盗んだ疑いが持たれている。
盗みに入られた家の住人はいずれも被災し、避難していたという。
警察によると見知らぬ男女4人が乗った車を現場近くの住人が不審に思い警察に通報、警察官が職務質問すると意外な事実が発覚した。

何と悪い連中であることか。現場近くにいた住民が不審に思って警察に通報して逮捕された。しかし油断禁物、まだまだ発生するだろう。