2024年2月14日水曜日

MRO力作「あばれ祭り」が準グランプリ賞受賞!

MROが制作した「あばれ祭り」の番組が全国35番組中の準グランプリに輝いたという。昨年にこの番組を視聴したことがあったが、全国各地35か所の行事を放送局が意地をかけて制作した中の作品だとは知らなかった。取材能力の高さが証明された。おめでとうございます!

みこしを火に投げ入れるクライマックス

大炎の中で暴れの限りを尽くす“あばれ祭” 被災地・能登町の伝統祭礼に密着した番組が全国35番組中 準グランプリを受賞!全国各地の祭りの魅力を映像として発信し、地域の活性化をはかる活動「日本の祭り」で、MROが制作した能登町宇出津の「あばれ祭」を取材した番組が準グランプリを受賞した。

 
川の中で神輿を担ぐ能登の男たち
2003年に始まった「ダイドーグループ日本の祭り」では、全国の民間放送局が、各地の祭りをテーマにした独自のドキュメンタリー番組を制作・放送している。今年度の35番組のうち、MROが制作した能登町宇出津のあばれ祭を取材した「暴炎(ぼうえん)の祭り」が準グランプリを受賞した。

審査員からは「ハードな祭りに命を懸ける青年のロマンと迫力がダイナミックに表現されている」「手に汗握る力作」などと評価された。

MROの取材能力の高さが証明された。今後の益々の活動に期待したい。

2024年2月13日火曜日

千枚田復活に強い味方が支援の名乗り出

千枚田の被害は深刻な状況である。急傾斜地にある田んぼの2000枚前後が海岸線まで続く景観は多くの観光客で賑わってきた。

至る所に大規模な亀裂が発生した

能登半島地震で大きな被害を受けた千枚田などの世界農業遺産「能登の里山里海」や伝統文化の復旧・復興について、宮城県大崎市の伊藤康志市長が2日、支援に協力する考えを明らかにしたという。

復旧工事は難航必至

同じ世界農業遺産で地元に広がる水田農業地帯「大崎耕土」を活用するための関連会議で示した。能登の里山里海は2011年、国内で初めて同遺産に認定された。大崎市などは、能登を「兄貴分」(伊藤市長)として参考にしながら、東北地方初の認定を目指し、17年に念願を果たした経緯がある。

大きな亀裂

伊藤市長はこの日、市役所で開かれた会議で両地域のつながりに触れ、「一日も早く復旧の手伝いを行い、里山・里海が復元されることを望む」と力を込めた。会議メンバーの郷古雅春・宮城大教授は、宮城県内の酒造会社が今回の地震を受け、現地の酒蔵に残ったもろみを搬出して代理で造るようになった実際の支援を例示。「農業遺産では能登は大先輩。仲間としてできることを少しでもやっていきたい」と述べた。

何とも心強い名乗りである。これが引き金となり支援の輪が広がることを期待したい。
また、地元ではクラファン募集で資金を募っている。支援の輪が急速に拡大している。いいねぇ!

2024年2月12日月曜日

伊吹山3合目

アルバムを見ていたら伊吹山の三合目で青年部活動の写真があった。伊吹山三合目の広場でフォークダンスをしていた場面だった。伊吹山は岐阜県と滋賀県にまたがっているが、岐阜市からそんなに遠くはない。三合目は意外と広く緩い傾斜地の広場がある。

マイマイマイ 前行って横ちょん・・というリズム

組合青年部の活動だった。独身時代を謳歌した当年とって23歳の頃。ここから琵琶湖の眺めが素晴らしい。

参加者はザっと100名前後か(大勢いたもんだ!)

3合目から琵琶湖の眺め

伊吹山は家族4人車で頂上まで行ったことがあったが、風が強くて雨が降る悪天候に見舞われ車から降りずに下山した。あの時からやがて60年が過ぎようとしている。トホホだ。

2024年2月11日日曜日

間垣の里大沢町住民の苦悩

ヘリで孤立した住民が救出されるニュースを見たが、ある新聞記事でそれは間垣の里大沢町の住民だったことを知った。
その二次避難先は約160キロ離れた加賀市のホテルだという。
谷内さん夫婦など集落の一部の人は、自宅から約160キロ離れた県南部の加賀市にあるホテルが二次避難先となった。谷内さん夫婦より高齢で、これまで集落の外で生活したことがない人も多いという。

朝ドラ「まれ」の家があった間垣の里大沢町

ある避難民は、「ホテルにいられることは本当にありがたい。でもみんな帰りたがってる。(集落では)畑もあり海もあり家もあり、それで生活できていたけれど、今はそれもない。高齢だと避難先で働くこともできないし、気持ち的にも金銭的にも問題が出てくると思う」
期限は「3月上旬」と決められており、次の行き先をどうするか決断迫られるという。
このホテルでの二次避難者の受け入れは3月上旬まで。県からは、公営住宅を含むみなし仮設住宅などへ移る提案がされた。

国道は寸断された

避難民のある女性は、「仮設住宅への移動については若い家族の判断に任せる」としながら、こう胸の内を話した。
「立派なホテルにいても、自分の生まれたところに帰ることばっかり考えて今まで過ごしてきました。なんとかしてでも自宅に戻って、また畑でも行けば気も晴れるかなと」「人口が少ないので(道路の復旧は)一番最後でないとダメじゃないかなと、それが不安」

住民全員ヘリで避難

大沢町は依然道が塞がったままで、住民は困惑している。
「みなし仮設に移るとしても、バッグ1つで避難してきたので身の回りのものが何もない。今後私たちの集落でも、物や車を取りに帰ることができるようになるのか、全く情報がない。せめて帰省していた子供たちの車だけでも外に出してやりたいけれど…」


孤立した集落に何もかも置いて避難した住民にとって、今最も知りたい情報は「いつ帰ることができるのか」ということである。簡易的な復旧であっても「どのくらい進められているのか」「いつ頃であれば集落に出入りできる可能性が出てくるのか」といった情報があれば、先行きが見えない不安が軽減され、将来を考える道筋にもなるかもしれない。

一日も早い道路復旧が望まれる。

2024年2月10日土曜日

町内シニアクラブの新年会

昨日は町内のシニアクラブの新年会だった。今回の出席者は過去最低の11人。いつもは女性の方が圧倒的多人数だったが、今回は3人のみだった。それでも10人以上のバス送迎という条件は何とかクリアした。出発は11時30分、協和工業前から西インター近くのテルメ金沢までは20分前後の走行で到着した。

会場のテルメ金沢

到着して開宴までの小一時間は温泉タイムだった。平日ともあって浴場はガラガラでのんびり温泉を楽しむことができた。

平日なのでのんびりと
1時から開宴となった。

会長のあいさつ

こんな時にしか聞けない話がある?

それにしても出席者が少ない

出席者の少ないのは、ここ2,3年のうちに会員でも高齢の方が相次いで亡くなられたこともあるが、30人の会員の割には少なすぎる。
過去の様子を見てみよう。

何と20数名が出席した

町内には高齢者がまだまだおられるが、入会されない方が大多数なのである。魅力ある組織とする努力が必要であると痛感した。

2024年2月9日金曜日

復活の日は必ず「来る」!

パソコンのホルダーに新聞記事のコピーがあった。東茶屋街の賑わいを写してあった。立錐の余地が全くないと言っていいほどの賑わいである。


それがコロナ禍により人出がピタッと止まってしまった。それが昨年になってようやく終息して4年ぶりに活況が戻りつつあった。
と思いきや、1.1能登半島地震が発生し県内は観光どころではない大きなダメージを受けた。現在もさと山海道の徳田大津以北が不通となっている。

東茶屋街に劣らない朝市の賑わい

朝市通りは焼け野原となってしまった。歯がゆい限りである。
しかし、阪神淡路大地震の悲惨な状態から今ではそんなことがあったとは想像することが難しいくらい復活した。
輪島も復活の日が来ると信じたい。



2024年2月8日木曜日

写真を比較して孫の成長に目を細めた

かつてわが家で4人の孫たちが夕食を食べていた。うちの孫は男の子二人だが、次女の子供が近所にある幼稚園に通っていて、3時に女房が迎えに行ってわが家で過ごし、6時過ぎにお父さんが迎えに来るまでの間4人が仲良く遊んでいた。内孫の上から外孫の下までの4人が通園した12年間、うちの女房が毎日迎えに行った。

平成22年5月子供の日撮影

平成13年5月生まれが最年長の長男、そして次男、長女、長男とぴったり3つ違いである。この写真には最年少の孫が写っていないが1年後に誕生することになる。

その12年後の令和4年1月撮影

最年長は現在大学4年の22歳、次は大学1年19歳、次いで16歳の高校1年、最年少は中学1年生。高1と中1の二人の孫が幼稚園から帰宅すると近くの公園に散歩するのが日課だった。棒切れで地面に顔を書いたりして遊んだものだった。毎年こどもの日には4人で写真を撮っていたが、大学進学で名古屋や京都に転出してから、子供の日は淋しくなった。
吾々の年代では12年たってもそんなに容姿に変わりはないが、孫の変わりようは著しいものがある。昔がなつかしいなぁ。